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第49回、ブレードランナー2049が好きだと叫びたい


サイバーパンクの世界に移住をしたからには、語らずにはいられない作品があります。それは見た事がなくても名前だけは誰もが知るサイバーパンクの金字塔にして、あまりに愛されすぎて同じ映画でありながら5バージョンも存在する、リドリー・スコット監督の名作「ブレードランナー」ではなく、2017年にその続編として制作され、映画通やコアなサイバーパンクファンにコレジャナイと言わしめられた不遇の映画「ブレードランナー2049」です。

レプリカントと言われる人造人間の主人公が、肉体を持たないAIのヒロインに恋をして同棲生活をしているのですが、その女性はある企業が提供をしている脳内恋愛ソフトであり、人格はあっても生命ではないのです。
生命でない所か、思いっきし脳内恋愛用の商品でしかないのですが、自分はこの恋愛を、偽物の無意味な物だとは思いたくないのです。

この恋愛が否定をされる理由は、彼女が実態のないAIだからでしょうか?
もし機械の体でも、実態があれば恋愛対象として認められるのでしょうか?
それとも彼女が企業が提供をする、AI商品だからでしょうか?もし商品ではなく、偶発的に生まれた意識ならば、その恋愛は認められるのでしょうか?

ここまでは許容できるけど、ここからは許容できないという境界線は、一体どこから来るものなのでしょう。
自分にもきっとその境界線は、普段意識をしていないだけで、持っているのだと思います。
アリエルは黒人ではなく、赤毛の白人の方が良かったと思うのも、その一つかもしれません。

だからこの映画に対する作品や恋愛観への否定的な気持ちに対して、否定をするつもりはありませんが(ややこしいですね)少なくとも自分にとってはこの主人公の恋愛意識は共感できるものだったのです。いやもっとはっきりと言えば、自分自身がこの映画のヒロインに恋をしたのです。

もちろん現実の女性にも恋愛感情を抱いた事がないわけではありませんが、自分の人生においてその殆どが、映画やアニメなどによって提供をされる、虚構のヒロインによって、心をうめられてきた自覚があります。

LGBTという言葉を聞きなじむようになってきた今の時代でも、虚構の存在に対する恋愛意識は、その対象に含まれていないかもしれません。
(最近ではLGBTQという言葉に変更され、このQの中に含まれているのかもしれませんが)

大多数の人に認められる事でなくてもいいです。
この際ののしられてしまっても、いたしかたがないです。
「人口の減少?少子化問題?そんな事は知った事か」とは言わないですが、人間はその為だけに生きている訳ではないのだと思います。

なるべく社会に迷惑かけずに、多少は社会貢献もしていくつもりはあるのでどうかこんな自分が生きている事を、許容できる社会でいてください。

扉絵の方ではなく、この娘が自分の推しヒロインです。

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