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あと約3週間で正規の小学校教員を退職する28歳男性の正直な今の思い

※もともと公開する予定でなかった個人的な日記をnoteに貼らせていただきました。なので文脈がおかしかったり、内容が感情的に多少傲慢になっているところは温かい目で見てください。


 ついにあと3週間で正規の教員を退職する。

 そんな自分の今の気持ちや思いに向き合って、日々考えを更新していく。

 さっき電話で、来週は彼女とピクニックに行くことにした。最近は彼女とも外出する機会が減っていた。教員を辞めることが目前に迫っていて、正直自分の心にそんな余裕がなかった。

 しかし、彼女から「ピクニックに行きたい!」と言われて、すぐに行こうと言った。やりたいことはできるだけすぐにやる。いつか行こうと言っていたら、どんどんできることもできなくなってくる。若いうちに、できることをどんどんやっていかないとね。

 その思いは教員を辞める決断にも通じる。

 正規の教員を退職してでも自分でSNSの発信をやってみたいと思った去年の10月の思いは確かに本物だった。だから去年の10月にその思いを校長に伝えたし、伝えてからも自分の中で何度も何度も考えて、その度にやっぱり正規教員を辞めようと何度も繰り返し思ってきた。本当に今日まで毎日のように考えてきた。

 辞めることが本当にいいのかどうか。でも、毎日考えて、やっぱりこのまま正規教員を続けようと思ったことが1回でもあっただろうか。いやなかった。何度考えても、結論はいつも一緒だった。「できるかどうかわからないけど、やりたいことがあるならまずやってみよう。」と。

 他の人から見たら、何をやっているかわからない人かもしれない。それでもいいんじゃないか。周りの先生から白い目で見られるかもしれない。それでもいいんじゃないか。

 やってみたいという自分の思いに蓋をして、塞ぎ込んで、本当にそれが自分の理想の人生へつながるのだろうか。

 自分の思いを大事にする。過去を生きた先人の言葉を今までみて、自分の思いに蓋をして良かったと言っていた人は、未だかつてみたことがない。それよりも、あの時自分に正直に一歩を踏み出して良かったという言葉は何度も見てきた。

 だから何となく直感で思う。自分のこの思いに正直になって、うまくいくかは分からないけれど、とにかくチャレンジしてみようと。それで仮にうまくいかなくたって、何かに本気で挑戦しようと思って一歩を踏み出した人間は、多くのことを学び、それが結局その人の今後を生きる力となるじゃないかな。

 だから、これからの人生のほうがはるかに長いし、まだまだ若い20代の自分は色々失敗していいと思う。年を取ってからだと、失敗するともう取り戻せないかもしれないから、大きな挑戦はしにくくなると思うし、リスクを取りづらくなると思う。

 でも今の自分はまだ20代。しかもまだ独身。結婚も焦っているわけではない。できたらいいなとは思うが、早急なことではない。

 自分の中では、今は結婚よりも仕事の方向性を定めたり、やりたいことを定めたい思いの方が強い。やりたいことが結婚した後でも変わるかもしれないけれど、今だいたいの方向性を定めることは大事だと思う。だからこそ、今失敗してでも、自分がどんなことを将来的にやっていきたいのか、毎日考えている。

 その中で、教育に携わりたい思いが一番強い。数ある分野の中で、一番興味があって、自分の人生を通して貢献したいことは教育だと思える。

 なぜ教育なんだろう。
 それは、自分が一番興味のある分野だからだと思う。誰かの成長に関われる仕事って素晴らしい。その人がより幸せに豊かに生きていくためにできることを何かしたい。そんな仕事なら一生関わりたいと思える。それぐらいの思いがある。

 教員という仕事は、自分の中で一番その思いに近い仕事だった。

 しかし、いつの日かここに居続けていいのかどうか自分の中で疑問に思った。
 安定はしている。収入も年間で500万を超えていた。おそらく定年になる頃には800万円ぐらいは貰えているだろう。雇用も安定しているから、不景気でもクビになることはおそらく無いだろう。何より子どもの成長に日々関われる仕事。誰かの成長に関わりたい自分のこの思いに一番近い仕事だったはず。社会的な信用もあり、これから結婚をしていくことを考えても、相手のご両親にもきっと安心してもらえるだろう。

 そんな仕事を辞めるなんて、自分は一体何がしたいのだろうか。

 まず大前提、この仕事は誇りある最高の仕事だった。色々な面でも成長させてもらえて感謝もしている。でも、辞めることを選択した。過去の自分、去年の10月の自分の思いが今更どうとかじゃない。確かにあの時は今以上に辞めることに対して前向きだったし、後悔よりもワクワクの方が強かった。

 でもそれはあくまで過去の自分であって、その時の思いは別に考えた方がいい。
大事なのは「今の自分がどうしたいか。どう思うのか。」

 人間は日々変わる生き物。去年の自分と変わっていることはむしろ成長している証。思いや考えが変わらないことの方がむしろ変だ。

 だから今の自分の中でもう一度考えたい。
「なぜ正規教員を辞めるのか。」

 
 その思いとしては、「より多くの人の成長に関わる人間になりたい。」

 これに尽きると思う。

 教員として生きていくことでも、人の成長に関わることはできた。しかし、何万人何十万人いやそれ以上に多くの人の成長に関わる人間になれるかと言ったら、それは一人の教員としてはなかなか難しいと思う。1年間で30人の子どもの担任となって、その子達と深い関係を築いていくことはできるが。

 世の中には多くの人間がいて、その人たちがより豊かに、より自由に、そして社会ももっと幸せな社会になるように自分にできることはあるだろうかと思った。

 こんな大きなことを言っているが、自分にそれができる力が現状あるか考えたら、あるわけないし、そんなことを言えるような立派な人間かと言ったら、そんなわけがない。自分で自分は未熟だと思うし、良い人間だとも思わない。でも向上心はあるし、何より多くの人の役に立つことをしたいという思いはたしかにある。

 だから、未熟な自分だけど、そんな自分でも、世の中のためになることをもっとできたら、もっと自分の人生に生きた価値が出てくるのではないだろうかと思った。

 別に今の自分に生きる価値がないとは思わない。そんなネガティブな思いからではなく、今でも十分に生きる価値があるとは思うのだが、できるのであれば、もっと多くの人のためになることをして死にたいとそう思うだけ。

 そして自分に今その力がないのはわかっているし、初めからそんなのあるわけではないからそこは問題じゃない。

 ただ、そんな自分になれるのであればなりたいと思うだけだ。

 そして、目の前にそんな自分になれるかもしれないチャンスというか可能性のあるものに出会えた。それがSNSだった。

 SNSは今の時代ほとんど誰しもが持っているツールで、つまり多くの人に何かを伝えることができる最強のツールだと思っている。もちろんその扱い方を間違えるとそれは悪いものにもなり得る。世間では特に大人が「SNSなんて。」という言葉や「見ていると頭が悪くなる。」とか言っている。

 しかし、本当に悪い面だけしかないのだろうか。
 自分はそうは思わない。世間でみんながそう言っているから、自分もそう思うっていうのは単に同調圧力に流されているだけで、逆にそういう人ほど危ないと思う。

 自分でしっかりと考えて、自分で判断基準を持つことのほうが大事だと思う。

 そして自分としては、SNSは悪にもなるが、正しく扱えば、それは味方にもなると思った。例えば、両学長のリベラルアーツ大学。金融教育が叫ばれている現代で、動画上でわかりやすく解説してくれる。本要約チャンネルも忙しい現代人が本の内容を素早く理解できる。もちろん本の内容を全部できるわけではないが、少なくとも本屋に行かなくても、洗い物など何かをしながらでも、無料でいろいろな考え方を知れるのは、最高の学びだと思う。

 自分自身も、教員として人の成長に関わる仕事をしてきて、自分自身をもっと高めたいと思っていたし、本を読んだり、動画を通して、より考え方をアップグレードしようと勉強してきた。

 それが無駄なことだと思ったことはないし、むしろそれがあったからこそ、今年度で正規の教員を辞める決断をしても、自分ならどうにかやっていけるのではという自信になっている。

 もし本も全く読まない。動画で学ぼうともしない。日々遊んでばかりで、ちゃらんぽらんな生活をしていて、正規教員を辞めるという決断を思い切ってできただろうか。いや無理だったと思う。

 自分なりにだが、毎日それなりに頑張ってやってきたように思う。
 自分は何者になりたいのだろうかとこうやって自分に問うているこの時間も、自分がもっと向上したいからやっているのであって、その思いがなければ、きっと自堕落な生活ばかりになっていたと思うし、そんな生活をしている教員は結局子どもからの信頼も得られないと思う。

 自分は自分で納得ができるような生き方がしたい。

 それを考えた時に、誰かに言われた通りの生き方がいいとは全く思わない。それがたとえ親に言われたことであっても、自分でちゃんと考え、判断した上で行動する。もちろん意見を全く聞かないわけではない。意見はしっかりと聞くが、最終的な決定は必ず自分で下す。それは、失敗した時でも、誰かのせいにしたくないから。誰かからこれが最高の道だと言われて、それに従って、もし仮に失敗したとしたら、きっと自分はその人のことを恨んでしまうような気がする。「あの時最高の道だって言ったじゃん。」って。ただ自分で考えもせず闇雲に従ってしまった自分のせいなのに。

 そうはなりたくないし、そんな恨んだ思いを抱えながら生きたくもない。だからいろいろな人に意見は聞くが、最終的には自分で決定する。自分で一生懸命考えて下した決定なら、仮に失敗してうまくいかなかったとしても、それはその時の自分に力が足りなかったからしょうがないと割り切れる。

 そしたら失敗しても解決策は簡単。失敗から学び、自分がさらに成長すればいいだけ。

 そしたらまた次の挑戦をしようと思える。

 今回自分が教員を辞めて、SNSをもっと本気でやりたいと思ったことをいろいろな人に意見を聞いてみた。本当にこれでいいと思うかと。

 ほぼ全員が「やってみたらいいじゃないか。」と前向きな意見だった。さすがに両親は心配の方が強いのか、全面的にいいとは言っていないが、それでも自分の考えを尊重してくれて、応援してくれているように思う。


 「より多くの人の成長に関わりたい。」

 その思いからスタートしたSNSの取り組み。最初は本当にうまくいくのか不安でしかなかった。でも一年半前の9月ぐらいからショート動画で学べる動画を作って発信し始めて、気がつけば、YouTube3万人を超え、TIKTOKも2万7千人、インスタグラムも1万人弱。正直想像もしていなかった。

 どこまでできるかなんて考えていなくて、とにかくまずやってみようと思って始めた。

 その頃中田敦彦さんがYouTube大学で、いろいろな学びを発信していたり、両学長さんも学びを発信していたりと、YouTube上で無料でこんなにも学べるなんてすごいと思ったし、すごく見ていた。

 だからだんだんとそんな人たちに憧れている自分がいた。
 それに教育系のジャンルだけでなく、インテリアや料理、ガジェットなどのジャンルでもSNSを通して自分の得意なことや好きなことを活かして起業している人がたくさん出てきていて、そうやって新しいことにチャレンジしている人がたくさんいて、自分は安定な仕事はしているけれど、本当にこれでいいのかなって疑問に思う自分もいた。

 何かで大きな結果を残したいという思いもあった。昔から陸上競技をやっていたが、自分は団体戦よりも個人戦の方が向いているなと思っていた。フリーランスや起業って、ある意味個人戦だと思っている。会社の規模が大きくなっても、経営者って、結局自分で主体的に考えて動いていかないと、サラリーマンのように毎月給料が来るわけではないから。

 でもなんとなく自分ならできる気がしている。根拠のない自信だが。

 少なくとも、仕事しながら、時間がない中でSNSの発信をやってきて、一年半で総フォロワーが7万人弱になってきて、決して成功しているとは言えるレベルではないが、少なくとも起業に向けたスタートとしては、十分に結果が出ていると思った。一年半でこれだけできるなら、これに集中したらもっと結果を出せるような気がした。

 目の前に、教員という人生の道以外に、より多くの人の成長に関わるという人生の道が見えてきた。それで自分が本当に結果を出せるかどうかなんてわからない。やってみる前から結果なんてわかる人間なんて誰もいない。でも、世の中で成功している人たちは、そうやって不確かな道を自分なりに努力しながら歩んできたから、そこにたどり着いたはず。

 最初から無理だと諦めている人間には絶対に到達できない場所。信じるものの中でしか、そこには辿り着けない。

 自分がどれほどこの世の中のためにできるかわからないけれども、少なくとも少しだけ結果が出てきていて、挑戦する資格ぐらいはあるかなと思うから、まずやってみようと思った。

 もしYouTubeとかTIKTOKの登録者が1000人とかだったら、まず間違いなく来年度から非常勤✖︎副業をやろうとは思えない。正規教員として留まるか、あるいはがっつり転職して、それなりの給料をもらえるところに行って副業する。

 でもそれをやらずに、正規教員を退職して、4月から非常勤✖︎副業の選択ができるようになったのは、自分にそれなりの自信がある証拠だと思う。結果が全く伴っていなかったら、こんな思い切った選択を自分でもできないと思うから。

 でもそうやって自分に自信が持てるようになってきたのも、今までの積み重ねで、自分が出した動画を見て、登録をしてくれる人が増えてきたから。

「より多くの人の学びになるものを作りたい。」

 その思いだけで、今はいる。

 決して自分が立派な人間だとは思わないし、完成された人間でもない。
むしろ、欠点ばかりで、毎日反省ばかり。

 それでも、そんな人間でも世の中のためになりたいという思いだけは確かにあって、自分がやったことで誰かがより豊かに幸せな生き方ができるようになるのであれば、それはやっていいことだと思う。

 何度も繰り返すが、うまくいくかは分からない。
 しかし、SNSを始めようと思った根本的な思いは忘れないようにしたい。

 根本的な思いとは「より多くの人が豊かに幸せになるように、その人の成長に関わることをする。」ということ。

 正規教員を辞めてでも、自分がその道に行くことができるチャンスが目の前に見えているのなら挑戦してみたい。これがたとえ幻想だったとしても、もしかしたら現実になるかもしれない可能性が少しでもあるなら、一度でもいいからチャレンジしてみたい。もしこのまま中途半端に教員を続けて、後々「あの時SNSやっていたら今頃どんな人生になっていたのだろう。」と後悔だけはしたくない。

 だって、もし1年か2年か分からないが、たとえ上手くいかなかったとしたら、また教員に戻ってくればいいじゃん。また教員をやりたいと思うのであればなれる。それが新たな一歩を踏み出すための自信にもなっている。

 人間は変化する生き物。

 あと一年後の自分がどう思っているかなんてそんなの分からない。なんならやっぱり自分は教員でいたいと本気で思っているかもしれない。

 でもそれならそれでいいと思うんだよね。
 だって、一旦正規教員から離れてみて、SNSにも本気で取り組んでみた結果、そういう考えに至ったのであれば、それが自分の中での正解だと思うんだ。

 そうすれば、今みたいに中途半端な思いで教員を続けるよりも、きっともっと教員という仕事に集中して、もっと本気で子どもと向き合えるはず。そしたら最高の教員になって、結果的にここで辞めた決断があったからより最高の教員になれたと後できっと思える。

 だから、SNSで上手くいくか上手くいかないかどっちに転んだとしても、きっとここからの1年間は、自分の中でいろいろ試してみて、自分の人生の方向性を定めるいい1年間になると思う。

 もちろん辛いこと大変なこともあるだろうが、それも含めて自分が成長するチャンスじゃんか。

 だから、どちらに転ぼうが、日々こうやって日記をつけていきながら、自分のことを振り返りながら、一生懸命努力をしていたら、自分が納得する道が必ず見えてくると思っている。


 最後まで見ていただきありがとうございます。
 もともと公開する予定ではなかった個人的な日記を今回noteに貼らせていただきました。日々こんな感じで日記を書いております。感情的で傲慢な文脈もあったかと思いますが、根本的な思いとしては書いてある通りです。

 まだまだ未熟者ですが、後で良かったと思える日々にしていきたいと思います。

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