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花韮と、思い出の人と、かなしみ

一人の静けさが沁みるこんな夜には、思い出される花がある。

その花を初めて見たのは高校一年の頃だと記憶している。

学年末の定期考査(懐かしい響きだね)期間中の早めの帰宅。最寄の駅前の大通りを少し歩けば、白に薄いベージュを数滴混ぜたような色の壁をした家が見えてくる。洋風の門構えの向こう側に覗いた木製のドアの引き締まったような焦茶色が、その壁色に寄り添いつつも個性を醸し出していて良いアクセントになっているなぁといつも思っていたことを思い出した。そういえば高校生の私はこの家のことを心の中で勝手に「色彩の家」と呼んでいた。私がこの頃に色彩というものを了解したのはこの家が理由かもしれない。余談だが芥川はある空き地でそれを知ったらしい。

その「色彩の家」を右に曲がって少し歩けば、路はだんだんと両脇の民家に押し込められる様に細くなってゆき、地面の舗装も荒く小石が目立ち始める、その辺り。その辺りの路の隅にその花はあった。

今でもよく憶えている。

星を形どったみたいな白と淡青の花。

凛とした冷たさを内包している様な花だった。その時はなぜか中学の頃の同級生を思い出した。多分彼女の纏っていた雰囲気がこの花に似ていたから。でも彼女を知る中学のクラスメイトはこれには同意しないと思う。彼女はで男女関係なく人を惹きつける求心力があった。それは彼女の容姿の美しさもあっただろうけれど、それよりむしろ誰も拒まない様な朗らかな雰囲気のための様な気がする。担任でさえも例に漏れなかった。なんなら私も彼女に惹きつけられた一人だった。だけれど彼女と親しくなるうちに私は彼女のある種の冷たさを感じる様になった。上手く言えないが、人に自然に愛されてきた人特有の他者に対する情の浅さとでも言うのだろうか。彼女は人を惹きつけるのも早かったが手放したり見捨てたりするのも早かった。それが私には少し冷たく思えた。(けれども私は別にそれが嫌ではなかった、むしろ人間味があるように思った。) クラスメイトはあまりそんな風に彼女を捉えていなかっただろうけれど。

彼女はある日を境に私と話さなくなった。彼女からすれば私はただのクラスメイトの一人に過ぎなかった。

花を見て人が思い出されるのは初めての経験だった。それ以降なんとなくその花の咲く初春には、あの路のあの辺りをよく気にしながら帰った。



その花の名前を知ったのは大学生になってからだった。
友人に悲しい花言葉をもつ花があると聞いた時。それが正しく私があの時見たその花だった。友人が語ったその花の名は花韮(ハナニラ)で、花言葉は「悲しい別れ」。

以降私はよく花韮の花を思い出す。悲しいことがあるたびに。正確に言うと哀しむ少し前に。結末を決定づける出来事の少し前に。

すべてが谷底に沈んでゆくような哀しみの予感が春霞のように漂い始めたとき、花韮を思い出す。その花の奏でる冷たい静けさに私はまた気付けば思いを馳せている。頭に浮かぶその姿形は高校の時に見たままで、やはり凛とした冷たさを内包している。

思えば彼が恋人だった時も花韮の花をよく思い出していた。

小さな歪みが大きくなってゆくのを止められない。それは駅を発ち、向かい合いながらも少しずつ逸れていく隣の電車を見つめているようなもの寂しい気分だった。哀しみの予感。後悔は先に立つ。決定的な何かが起こる前にもう全てが終わってしまったように錯覚して、私は暫く後に今を後悔することになるんだろうなと頭が冷ややかに囁く。花韮の花を思い描く。その花は悲しい未来のメタファーみたいに見えた。

そんな悲しい別れの予感を彼も感じていたと思う。

いつか二人で行った海浜公園で遠くの水平線を見つめながら、彼が溢した言葉を憶えている。

「僕らこのままどこに行くんだろうね。」

私はそうだねとしか言えなかった。重い沈黙。夕陽の綺麗な日だった。彼の頬を染める眩い茜色の光が徐々に薄れてゆく。夜が夕陽を侵食し始める。

帰りの電車は酷く胸が詰まって苦しかった。

それはちょうど二回目の終わりを二人が感じ始めた頃だった。

彼と見た最後の夕陽


今年も三月には何処かで花韮の花が咲くのかな。

今の私には花韮は思い出に咲く美しい花だ。中学の同級生の彼女のこと。ここには書かなかったけれど、私にある深さの傷を残した人。逆に私がある深さの傷を負わせた人。そして愛した彼の姿。花韮は思い出の人をここまで連れてきて、思い出の人は愛すべき哀しみを連れてくる。その哀しみは、花韮の白にほんの少しの淡い青色が滲んだ花びらみたいな色をした懐かしさに近い思い。

もう寂しくはないと思う。虚しさでもない。

過去は消えないというのは確かなんだろうね。それは記憶よりも不確かな形で私の体に染み込みその一部となっている。だから思い出せないことはあっても忘れることはない。忘れていないから何かのきっかけで思い出されることもある。

たぶん私にとってのきっかけの一つが花韮という花だ。

私はまたその花の奏でる冷たい静けさに身を置いて、懐かしさに近い哀しさとともに思い出を見ていた。

花韮の写真  https://note.com/intothegarbageさん


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