わたし的『詩的な感覚とその表現』
思い出す度に何度も味わう「失敗の記憶の苦さ」を、「手に残り続けるチョークのざらつき」に喩えること。
「もう会えないけれど私を支えてくれる人の思い出」を、「秋の終わりの海辺で灯る静かな火」みたいだと思うこと。
浴室にて「掌からぽとぽとと零れ落ちてゆく水の粒」が、「失われてゆく人の記憶」みたいに見えたこと。
「今日は寒いねとあなたが言い終わったら、私を泣かせる十分前だね。」なんてその未来から過去を回想してみること。
「ふと思い出した昔の小さな幸せの記憶」を、「実家の古い文庫本をめくった次のページにのぞいた四つ葉のクローバーみたい」と喩えること。
「仕事に出かける時の憂鬱」を、「今日は雲が重い」と表現した父。
「満員電車で触れた肩の着膨れ具合」に、「冬」を感じること。
「手に残るハンドクリームの優しい花の香りに恋人ができた事を感じたと話した中学生」
「解けた靴紐を放って歩き続ける」のをなんだか「私の人生」みたいだと感じながら歩いたこと。
「白詰草」を見ると「幼い女の子の朗らかな笑顔」が浮かぶこと。
「駅を発ち、向かい合いながらも少しずつ逸れて離れてゆく隣の電車」を見つめている時に感じたもの寂しさ。
「駅前に捧げられたペットボトルとお菓子と花束。それを見つめる19歳のニヒリスト。」という情景。
「民家の窓から漏れ出たオレンジ色の暖かな光を見た時に彼女と結婚を決めた」と話した上司の人の良さそうな笑顔。
くしゃみが引っ込んでしまった後しばらく、「あの時君が言いかけて飲み込んだ言葉が何だったのか知りたくなる」ような少し寂しいもどかしさが残ること。そしてまぁいいかとなることを繰り返すこと。
「夕暮れの河川敷を歩く人はみんな優しく見えるから、人なんてそんなもの。」なんて会社の後輩に諭すこと。
(全て創作)
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