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言葉にするのが難しい“変化”と“成長”

こんにちは、とってもお久しぶりにnoteをかきはじめました。お久しぶりなので、リハビリ投稿のような心持ちでおります。

10月の学会発表の原稿提出に向けてバタバタしていたところ、最近の自分の生活を振り返ることを忘れていました。

オリンピックも始まり、「あれ?もう7月が終わるぞ」と時の流れのはやさに震える限り。

さて、これまで私は研究への関心に近いことを日常で感じ取った時に、noteの記事にしてきました。例えば、「他者視点に立つことの難しさ」について。

「視点」は、学習・認知科学の分野ではとっても重要な概念です。何かを理解するために、誰の視点でみようとするのか、自分なのか相手なのか、はたまた第三者なのか、社会なのか、、など大きな概念ではありますが。

他にも「フィードバック」について。学びのふりかえりの観点から考えてみれば、他者の視点をいただくという意味で、重要なキーワードです。

今日描き始めているのは、最近研究をしていて感じた自身の変化を、「成長」と捉えることができるのか?ということです。まずは、最近感じた自分の変化についてです。

1.論文の見え方が変わった

最近は、

「あ、この論文は、自分の研究のここを説明するために使えそうだ」
「あ〜なるほど、こっちの観点で分析しているのか」
「研究の対象も、手法も違うけど、明らかにしたいことは仲間だな」

などなど、気づくことが多くなってきました。

一方、学部生からは、「自分と関連する論文が見つけられなくて、今週は何も読めませんでした。」などと報告を受けることがあります。3年前くらいを思い出すとよくわかります。

そういえば私も、自分と関係する論文ないな〜って思っていました。今思うとなんてことでしょうね。おんなじ論文があったらすでにオリジナリティないですし。

書いていて気づいたんですが、学部生の時は、「自分の研究」なんて言い切れるほど、自信がなかったし、自分って研究しているんだろうか?という気持ちでずっといたように思います。

今思えば、今の方が論文を探すこと・読むことは簡単な作業なのかもしれません。そう思うと、学部生に論文の探し方を教授する方がよっぽど難しいと感じます。

話が逸れました。次。

2. 細かい部分が気になるようになった

論文の形にしていくには、フォーマットから参考文献リストの書き方など、さまざまな細かいルールがあります。

最初は指摘されて気づいて直す、ということをしていたのですが、正直、自分ではなかなか気づけませんでした。

でも今は、体裁があってないと“気になる”ように変化しました。特に、他の人の原稿などを見る時には、細かいフォーマットや、誤字、言葉選びなど、本当にそれでいいの?と気になるのです。

気づかないから直せない→気になるから直せる

こう変化してきたことに気がついたのです。

もともと大雑把な性格なこともあって、この辺りはたびたび悩まされましたが、適応してきたように感じます。

仕事とかでも、いつの間にかできるようになっていたこととかってありますよね。そういうのに、自覚的になることで自分が日々取り組んでいることへの自信とか、やっててよかった、と感じられるように思います。

これらの“変化”は“成長”なんでしょうか。うーん難しい。

変化、を学習と捉えれば、私は日々の研究活動をすることで、少しずつ学んでいることがあるんだな、ということです。嬉しい。

また自分の気づきがあった時、こうやってnoteにまとめていきたいと思います。

それでは今日はこの辺で。良い週末を〜!

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