見出し画像

災害支援していたら気付いたら移住していたはなし(シーバースレイナの場合)

「なんか、今の生き方、違うな~」

2018年5月ごろ、東京の某デジタルマーケティング会社に勤めていた私は、五月病にかかっていた。
「誰かのために働きたい」という想いを胸に、NPOや社会貢献に関わる仕事を転々とし、「これだ!」とやっと正社員として入ったばかりなのに、半年もしないうちに心も身体も疲弊していた。

「意志、弱スギィ…」

そう思いながらも、布団から出られない日々が続き、6月の終わりに社員全員に惜しまれながら(そうでもないが)、会社を辞めた。

会社を辞めよう辞めようと考え始めてからは、何を思ったか「自分のカフェ・バーをやりたい!」「農業したい!」「自分で経営したい!」ということばかり考え始め、地元湘南にお店を出そうかな~と考えていた。

そんな中、7月、西日本を中心に広範囲が豪雨に襲われ、無職で自宅警備のスペシャリストと化していた私は、報道が伝える水害の様子に「こんな暇な私がボランティアしないで、誰がするねん」と思い立ち、以前インターンをしていた東京の国際協力NPOに連絡をし、「支援に入るならお供します」と連絡を入れた。

そこからトントン拍子に話が進み、豪雨があった7日から10日後の17日には愛媛県入りしていた。
高齢者への支援物資配達に始まり、困りごと相談サロン、地元NPOの運営サポートや被災したNPOへの物資支援などを実施し、拠点を愛媛県西予市野村町に置きながら約1年間滞在し、できる限り地元の方々の目線で支援活動を実施した。

あくまで地元の方の目線を意識していたので、時には飲み会に参加し、イベントがあれば慰労会に参加し、スナックへ通い、時には二日酔いになったりもした。当然、これらは全て住民目線になるため、である。(言い訳)

画像1

▲野村町民に絶大な人気人気を誇るのが、このアサヒ・スーパージュラーイ♪

ともかく、1年間野村町で過ごしていると、この町の魅力に気付かずにはいられなかった。この魅力たちについては、今後書いていく。

そして、東京の災害支援NPOとの契約が切れる2019年9月末、ちょうど空きがあった野村町の地域おこし協力隊に応募し、【ゲストハウスを設立・経営する】という目標を持ちながら、野村町の観光促進・インバウンド対応・魅力発信などを個人事業主という身分で行うことになった。

人生何が起きるかわからない。

今は朝起きるのが楽しみで仕方ない。
1年で、人生は結構変わる。
その気さえあれば・・・

#私の仕事 #自己紹介 #というか私のライフストーリー

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?