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『お父さん』になっていく
僕は数年前にお父さんになった。でも、僕の中に『お父さん』は、いない。
実のお父さんというのは、戸籍上も生物学上も実在するし健在だけど、物心つく前に両親は離婚していて、その存在はどうしようもなく希薄だ。一緒に暮らしていた記憶もない。言ってしまえば、赤の他人のそれと変わらない。だから僕の辞書の『お父さん』は空白のままだった。
「お父さん」
と、子供の通う幼稚園で名前も知らない年少さんの男の子に声をかけられた。その「お父さん」はきっと、その子供のお父さんを指しているのだと思う。その子のお父さんと僕がオーバーラップしているだけで……僕はきっとそれに準じた振る舞いをしなくちゃいけないんだ、と思った。でも当然ながら僕は君のお父さんを知らないし、知っていても君のお父さんになることは絶対にないから、君は僕の行動に首を傾げるのかもしれないね。
人は誰しも、無意識に役割のモデルをつくるものだ。この男の子は、この子のお父さんが『お父さん』のロールモデルになっていくのだと思う。この子がお父さんになったら、この子のお父さんのような『お父さん』になるように振る舞うんだろうね。そして、その子をお父さんと呼ぶ子供の『お父さん』のモデルになる。
僕にはそのモデルがないんだ。だから自分で作るしかなかった。でも、うまく出来なかった。
もしかしたら、今まで見聞きした色んなものから何かしらのイメージは出来ているのかもしれないけど、比較するものが無いからか、どれもこれもピンとこない。
「お父さんになってほしい芸能人ランキング」的なものを見ても、なぜその人が良いのか理解に苦しむけど、誰か特定の人を挙げられる点は少し羨ましくも思う。
たぶん僕は、僕の子供に甘い。
それはそうだろう。『お父さん』のロールモデルがない僕が、お父さんとの繋がりがない僕が、「関係していないこと」によって満たされていなかった僕が、唯一『お父さん』としての役割だ、とそう認めることが出来ることは、ただ「関係していくこと」しかないのだから。愛情を注いでいくことしか出来ないのだから。
僕の子供が大きくなって、そうだな、お酒が飲めるくらいになって、バカみたいな話に付き合ってくれるならその時に聞くんだ。
「お父さんってどんなイメージだった?」って。
「お父さんは『お父さん』でしょ」って言ってくれるといいな。そしたらきっと、僕の辞書の空白もすんなり埋められる気がするんだ。
子供が生まれたら『お父さん』になるわけではないだろうけど、僕の場合は、子供によって『お父さん』という言葉を象ることが出来る気がする。
だから今日も少しずつ、僕は『お父さん』になっていく。
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