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【短編小説】「おはよう」よりも先に

先に目が覚めて、君が寝息を立てている側をそっと抜け出す。サイドテーブルのデジタル時計には7:09と表示されている。日曜日の朝にしては早めかな。

昨日の、そのままにしていた流しの食器を洗おう。お皿が3枚お茶碗二個とお箸は二膳、ワイングラスが1脚に湯呑みが1個。全部洗い終えて、まだ起きてこない君の様子を見に行く。

「まだ寝てるの?」
返事はない、代わりに羽毛布団がモゾモゾと動く。ああ、起きてるね。

ベッドに近づいて、頭まで被っていた布団をそっとめくると、しっかり目を開いた君が自分の喉を指さして少し大げさに首を振る。

「あー、喉が痛い?」
ウンウン、と首の揺れが縦に変わる。
「喋れない?」
ウンウン。
君は、困ったと言わんばかりに舌をチロリと出して、僕を見つめる目を細めて笑う。

それが自分で恥ずかしくなったのか、ガバっと布団を被る君。それを放っておいて、僕は部屋を出る。
「ちょっと待ってて。朝ごはんつくるよ」
後ろからバサバサと布団を蹴飛ばす音が聞こえた。


冷蔵庫を開けて目的のものを探す。確か、上から二段目の右奥に……あった。ゆず茶、君がひと月前に僕のために買ってくれた。甘すぎて1度しか飲まなかったけど、君が捨てていないことを僕は覚えていた。君は覚えているだろうか。時間は経っていても、このゆず茶の時間はあの時のまま、止まったままだ。

“止まるというのは、運動が停止していることだ、冷やすというのは運動を遅らせることだ”
なんて言葉を、どこで聞いたか思い出そうとしながら、ゆず茶を3杯スプーンですくってマグカップに入れて、ポットのお湯を注ぐ。

さあ、動きだせ。

カップの中で黄色い果肉が踊り始めて、湯気と甘い香りが満ちる。猫舌の君にはまだこれは飲めないから、その間に朝食を用意しよう。


卵を二つとベーコン4枚を取り出して、僕の5枚切りと君の6枚切りの食パンを1枚ずつトースターにセット。フライパンを火にかけベーコンを並べる。卵を割って落とす。あ、1個黄身が潰れちゃったから、これは僕の方だ。半熟を自分で潰して食べるのが君の食べ方。潰れた方に塩をかけて、君の分は後から醤油をかけるんだよね。ああ、白身がくっついちゃった。

食器棚からお皿を二枚取り出そうとしたけど、隣の大皿にした。目玉焼きとそのなり損ないは、黄身が黄身を求めて手を伸ばしているような、ヘンテコな抽象画に見えてきて、切り分けるのはやめておいた。


飲みごろになったゆず茶を持って君の待つ寝室へ行くと、起き上がってほっぺを膨らませた君がベッドのへりに座って、腕を大きく上下に振った。

「もしかして、怒ってるの?」
ウンウン。
「なんで?」
君はベッドを指さして、見えない何かを引っ張り上げている。
「起こしてほしかったの?」
ウンウン。
「そっかあ、じゃあこれはいらないね」
いじわるにそう言って、手渡そうとしていたマグカップを引っ込めると、きょとんとした顔で僕を見上げる。
「ゆず茶、いつかのお返しに」
口をポカンと開ける君。「・・・(あ〜〜)」と、聞こえた気がした。あ〜〜、覚えていたんだ。

「大丈夫、もう飲めるよ」
君が恐る恐る口をつける。温度を確かめて安心したのか、優しい音が二度響いた。君はカップをサイドテーブルに置いて僕を見る。艶めいた君の口唇が美味しいと無音で語る。

「ご飯食べられる? あ、その前に熱測ろうか」
体温計を取りに行こうとした僕のパジャマの裾が引っ張られる。振り向くと、今度は僕の両手が君の両手に捕らえられる。そして君は、あごを持ちあげる仕草を二回、続けて頭を突き出す仕草を二回した。

僕は口元が緩んだのを誤魔化しながら、その場にかがんで君にそっと顔を近づける。鼻先が触れ合いそうになるところで、優しく額を押し付ける。

「うぅん、熱はないね」
額をくっつけたまま僕は言う。君の鼻息がかかってくすぐったい。

「…好きだよ」

口唇は同じ動きをしていた。至近距離の君の瞳はまん丸で、その瞳に映る僕の瞳もきっとそうで。熱は確かにそこにあって、ただ同じ体温で。

そして、少しだけ時間が止まる。





君がサイドテーブルの方を見て、残念そうな顔をする。
「もう八時十分か。朝ごはん食べよう。ほらほら、そんな顔しないで、また淹れてあげるから」
今度はちゃんと君を引き起こして、手を繋いだままリビングへ。

向かい合ってイスに座って、大皿の上の目玉焼きに君は醤油をかける。ちょっと、僕のにもかかってるんだけど。怒った僕は黄身に手を出す。中からとろりと溢れてきたのを僕のに絡ませた。これもお返しだ。

声にならない声を出して僕を睨む君。それを無視してなり損ないを僕はほおばる。とっくに冷めきっていたはずなのに、塩味と旨味が混じった君と僕の二つで1つは、なかなかどうして良い味じゃないか。

僕と君の視線が交差する。伝わる温度がある。

僕らはもう動き出して止まらない。


(完)


この作品は、文章で読むからこその良さと、耳で聞くからこその面白みを意識しました。
ご興味があれば、こちらも聞いて頂けると幸いです。


また、物語の演出で敢えてぼかしている要素と、ちょっとした(謎解き、というほどではない)遊びを仕込んでいます。

敢えてぼかしている方は、文章ではそれを感じられますが朗読だと感じにくくなります(選択肢が少なくなります)。気にならない人は全く気になりません。

遊びのほうは、朗読では一切気づけませんが文章だと違和感があるところと、逆に文章では引っかりもせずに読めますが、耳で聞くと「ん?」となる(かもしれない)部分。

どれも分からなくても何の問題もないただの私の趣味であります。その内容については後から投稿する後書きに書く予定です。

11/18 書きました。


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