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唐揚げにレモンをかけないでください

 わかってます? それ、あれですよ? 決戦の火蓋ですよ? 滴るのは果汁でなく血と涙ですよ? 覚悟はできているんですね?


 今日もまた、どこぞの居酒屋で勃発するであろう唐揚げレモン問題。新社会人の皆さんや大学等での歓迎会に参加する方であっても、お酒は飲めないけれどこの4月からは成人扱いなわけで、それ相応の対応が求められる。

 居酒屋でのマナー問題で槍玉に上がっていた「とりあえず生」論争は、ハラスメント対策の必要性と件の感染症によって衰退した飲みニケーション文化や、嗜好の変化や価値観の多様性によるビール愛好の翳りもあり、ひとまずの終戦を迎えたとみてよいだろう。その一方で、終わりのない対立が続くのが唐揚げレモン問題なのだ。

 今回はあくまでもマナーという観点でこの問題を考えていこう。また、この問題が勃発するのは大皿で提供された唐揚げに、周囲の同意を得ずにレモンをかける行為及び拒否できない空気を作り出しレモンをかける行為。これに絞って考える。そのため、食事途中で味の変化をさせるためにレモンをかけるという行為には言及しない。
 個別に取り分けた後なら、勝手にしろというものであるからだ。(添えられたレモンが少ないとそれはそれで悲しい争いが生まれるけど。)


対立構造の把握

 まずは対立構造を明確にしておく必要がある。細かく書きすぎると重たいので、カラッとまとめアゲて書く。

レモンかける派

食を楽しみたいよ派
→「単純にかけた方が美味い」
 「味の違い(レモンのかかり具合による差を)楽しめる」
 「レモンの香りで食が進む」
 「油っぽさを酸っぱさで抑えるから必要」
かけないと失礼だよ派
→「料理とともに提供される以上使うべき」
 「(手が汚れるから)その役目を引き受ける」
 「使われないレモンの気持ちを考えろ」

レモンかけない派

食を楽しみたいよ派
→「そのままの味の方が美味い」

かけると失礼だよ派
→「料理は完成された状態なのだから調味料は使うべきでない」
 「かけられたくない人もいるんだよ」

結論

 味というのは個人の嗜好の問題だ。そのため、かける派にもかけない派にも、美味しく食べたいという価値観は同様に存在していて、この点において決着はつけられない。その他のことについても、考え方の違いによるものなので同意を得る以外に解決策はないように思われる。

 民主主義的観点から言うと、その場その場で多数決をとってそれに合わせるのがよいのかもしれないが、そんなことが出来るのであればこの問題は起きない。決を採ったとしても我慢しなくてはいけない少数派は生じてしまうし、お呼びでないのに飲み会皆勤の同調圧力さんが顔を出すと、少数派にもなれず辛酸を嘗める結果となることもあるだろう。
 また、個人の嗜好を考えると風味の変化の不可逆性は看過できないものだ。それに、レモンをかけた方が美味いと感じる人の中にも、かけるタイミングやその量にまでこだわりたい人の存在も観念できる。絞る角度にこだわる人もいるのだとか。私の首も45度に傾いでしまう。
 このように考えると、やはり大皿に盛られた状態で勝手にレモンをかけるのはマナーの悪い行為であるという結論に至った。


 え? 普通すぎる? ですよね〜。
 ということで、味変用に調味料用意したので、お好みでご利用ください。


 もう少し考えてみよう。レモンかけない派は味の多様性を尊重したもので、かける派はそういう意識が欠落しレモンをかけることが絶対的に正しいという認識に至っているという見解は理解できる。しかし、かけない派が多様性を認める立場を採るなら、レモンをかける派にも一定の理解を示すべきだと考える。そのため、もう一度かける派の言い分を検討しよう。


 油っぽさを抑えるためにレモンを使うというのであれば、他にもある油っぽい料理にもレモンをかけるのか。という疑問が湧く。これに対しては、レモンが一緒に提供されることが無いから使えないという反論も出ようものだが、そもそも唐揚げにレモンが付されて提供されるようになったのも、レモンをかけて食べたいというニーズがあったからと考えるのが妥当なので、この反論は退けられる。
 次に、レモンを使わなくてはいけないという義務感を覚える人について言うと、調味料の提供があるのは一種のサービスであり、使うことを強制されたものではないということを伝えたい。逆に、調味料を使われないように一切提供をしない飲食店もあるくらいだ。個人的にはこだわり系麺類の飲食店に多い印象だ。替え玉なんてもってのほかだ。
 作り手側としては、完成品を提供しているという気持ちの方も多いのだろう。それを破壊しかねない調味料をあまり良く思っていない人も多いと考えられる。

 ともすれば、レモンかける派の言い分は全て自分の嗜好を正当化するような身勝手な言い分に聞こえてしまう。しかしながら、そのような決めつけをして考察を終えるのも後味が悪いので、必死に考えた結果、一つの可能性を絞り出した。
 それは、レモンをかける派には、

「唐揚げを食ってるんじゃねーよ。レモンを味わうために唐揚げがあるんだよ」

という言説が生じうるという点だ。これならば、他の油っぽい料理にレモンをかけない理由にもなるし、レモンをかけなくては始まらないのも肯けるし、同意を得ずともよいと考える者がいてもおかしくはない。

 これは、フグ刺し(てっさ)をポン酢を味わうための料理と位置づける人がいるのと同じ考えだ。ちなみに私はとても共感できる。
 私の場合は山椒を味わうためにうなぎの蒲焼を食べる。白米とタレと山椒だけあればいい。うなぎ自体は少しは食べたいのに別にいらないのでいつも妻に盗りあげられている。これが、他の料理ではダメなのだ。山椒を味わうならうなぎの蒲焼しか考えられないのだ。視野狭搾だと言われても、口を酸っぱくして言い続ける所存だ。

 これはもはや、味や嗜好の問題ではない。言わば宗教のようなものなのだ。と、このように考えるとレモンかける派の方の言い分も認めざるを得ない。教義で豚肉を食べられない人に対して、カレーの肉が豚か牛かの議論は成立しないのだから。

 酒の席に限らず「政治・宗教・野球」の話は無闇にするなという言説を聞いたことがある人も多いだろう(若い人は知らんかも……)。だが、こんな宗教論争なら全然ありではないかと思う。酒の肴にもってこいだ。
 あ、でもお酒は二十歳になってからね。


 あ、コラ! レモンかけるな!

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