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偏愛音楽 vol.2「野狐禅」

【野狐禅】やこぜん
禅を学び、まだ深い境地に達していないのに、自分では悟り切ったような気でうぬぼれていること。生禅(なまぜん)。

「マスター、そんな野暮ったい名前を付けているフォークバンドがありましたよ」
マスターは人差し指でメガネを押し上げながら「野暮はおめぇだろう」と笑うのでした。

何の話やらさっぱりだと思うが、野狐禅のファーストシングル「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」の歌詞のもじり。

野狐禅というフォークデュオをご存じだろうか。2009年に解散してしまったのでもう10年も野狐禅としては活動しておらず、知る人ぞ知る感が出てきてしまっているやもしれない。わかりやすい言葉で紹介すると竹原ピストルがソロの前にやっていたバンド。YouTubeのサムネに若かりしピストルがいるのですぐピンときた人もいるかもしれぬ。氷室京介や布袋寅泰にとってのBOØWY、藤井フミヤにとってのチェッカーズと言ったら例えが大きすぎるだろうか。

彼らのことを知ったのはまだ俺が中学生のころ。HEY!HEY!HEY!でこの曲が取り上げられたからだった。デビューシングルが全国放送の番組に取り上げられるという幸運に恵まれながらも野狐禅自体は中々売れなかった。その原因のひとつが尖りすぎた歌詞だ。

「自殺志願者が線路に飛び込むスピードで
 僕は部屋を飛び出しました
 目に映るものすべてをぶっ壊してやりたかったけど
 そんな時でも一番お気に入りのTシャツを着てきた自分が
 バカバカしくて」

いっそ死んでやろうかと諦めに似た気持ちで飛び出たのに、服は生きることを全肯定してくる感じ。「おつりやるから560円のセブンスター買ってきて」と言ってるのに610円渡しちゃうような。言ってることとやってることが真逆いっちゃうあほくささ。「そんなこと言ってるけど深層心理は違うんじゃないの?」というヒトの浅ましさを描き出す。ただ、「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」というタイトル含め刺激的過ぎて一部のラジオ局じゃ放送禁止に。真逆のメッセージ性を持った曲だというのに。

「買ったばかりのTシャツに穴が開く
 奴がロケット花火を打ち込んできたから
 おかえしに一束丸ごと線香花火に火をつけて
 ビー玉くらいの火の玉を頭に落としてやる」

セカンドシングル「少年花火」の冒頭。「悪ガキどもが夏休みに火遊びしてんだなぁ」くらいの感想しか抱かないが、確かいじめを助長するという理由でこれも放送禁止に。本当はそんな少年の花火がまばゆく見えるほど鈍色の腐りきった大人になってしまったという夏の夜の切なさを歌った曲なのに。

2曲連続で放送禁止という憂き目にあった野狐禅は「ぜってぇオンエアできる曲作ってやんよ」とサードシングルを制作。その名も「初恋」。

この曲の発売時またまた幸運なことにHEY!HEY!HEY!に出演。起死回生のチャンスを得た野狐禅に対し松ちゃんが放ったツッコミを今でもよく覚えている。

「初恋、聞きましたけどね。これ、最後に初恋って言ってるだけやんか(笑)」

その通りなのである。

「僕のこの両手は 神に祈るためでなく
 人生を這いずり回るためにあるんだ
 たとえそれがどんなに惨めな姿であろうとも
 目がチカチカするよ
 ずっと夜を睨みつけていたんだ
 その答えと出会うために
 ずっと夜を睨みつけていたんだ

 今まで流してきた涙と 指切りをしよう
 少し照れくさいから
 こっそりと「僕はもう逃げません」

 「強くならなくては」と
 拳を握りしめるたびに
 興奮するよ せつなくなるよ
 明日が待ちきれないよ 初恋みたいだ!!」

「泥臭く生きていこう」と思いを新たにした男の歌に、取ってつけたように初恋が挿入されているだけなのだ。初恋の甘酸っぱさみたいなもんは何もない。早く明日にならないかな、という思いを初恋に例えただけで別に遠足だっていいわけである。そのことを松ちゃんが指摘したのだった。

だが、松ちゃんは野狐禅のことをこき下ろしたわけではなく、むしろ褒めていたのだ。この歌詞の男のように、周りからとやかく言われようと今まで通り不器用な男の生きざまを歌い続ける2人に込められた好意なんだよ。「初恋ってパッケージで包んだだけで中にあるのは今までと同じく泥団子じゃねぇか。腕はまだ下ろさずファイティングポーズ取ってんな。矜持を見せてるな」という生きざまに対してのツッコミだった。

事実、この後松ちゃんに竹原ピストルは救われることになる。HEY!HEY!HEY!にも出なくなり中々曲が売れず事務所から独立。そして独立からわずか2年での解散。ピストルはソロとして1人でハコの折衝からセッティングなどをこなし年間300本近いライブを行う日々。そこから2年。そんな中で声がかかったのが松ちゃんの監督作品への出演と主題歌提供の依頼だった。

さや侍。個人的に松本人志監督作品で一番面白い。エッジが効きすぎてる松本作品の中で、普通に見ても受け入れられやすいと思う。この映画のラストを締めくくるいい役どころで竹原ピストルは登場する。このPV自体がネタバレみたいなもんなので未見の方には申し訳ないのだが、ここで私は泣いた。作品自体の肝としてもいいシーンなのだが、ここに竹原ピストルが出てくることがさらに感情を揺さぶった。これで売れるな、と。

松ちゃんに「才能ある人間が認められないと」と言うほど買われていた竹原ピストル。だが、この作品でも一過性のブームに終わってしまった。結局また一般に竹原ピストルの名が知られることなく時間が過ぎてしまったのだ。松ちゃんはピストルをさらに引き上げるために「ふうせんガム」という曲を自分の冠番組のEDテーマに据える。それに応えるようにピストルも「俺のアディダス〜人としての志〜」とタイトルに「人」と「志」の字を据え、松ちゃんへの決意を表す。

「そして栄光へと続くリングの上で勝負するチャンスを与えるべくで、
 俺をドサ回りから引っこ抜き、
 銀色に輝くスクリーンの中に放り込んでくれたあの人の涙を

 忘れるわけがない、だからこそなんだ

 走り出し続けろ。変わり続けろ。
 裏切り続けろ。応え続けろ。

 見守っていてくれ。
 一等星に生まれてくることができなかった以上は、
 一等星より目映い大金星を狙ってやるさ。
 ダイヤモンドに生まれてくることができなかった以上は、
 ダイヤモンドより硬い意志を貫いてやるさ。」

そう誓った竹原ピストルは翌年、 住友生命「1UP」CMソングに「よー、そこの若いの」が採用されることとなる。このCMを初めて目にしたとき、耳なじみのある声に「んっ」と思い、右下に現れる小さい「♪竹原ピストル」の文字に快哉を上げた。さらに瑛太が演じるキャラクターのコミカルな演技が話題となり、このCMがシリーズ化されることに。そのたびに映る右下の小さい「竹原ピストル」の文字を見て「とうとう世間に竹原ピストルが知られてしまったぞ・・・」と私はほくそ笑んでいた。すでにHEY!HEY!HEY!に出てから10年以上が経っていた。

このCMのおかげで、とうとう2017年には紅白歌合戦へ出場を果たした。古賀シュウや山寺宏一にモノマネされたりもしていて、あぁやっと本当に売れたんだと当人でもないのにいたく感動した。2017年、紅白歌合戦の直前に出演したCOUNTDOWN JAPANの会場で俺は初めて竹原ピストルの生歌を聞いた。中学生の頃から追いかけてきて、生まれてはじめて竹原ピストルを生で見た。そのころから皆に「いいから聞いてみろって」と勧めても「ピストル?芸人?」(事実高校の頃に作ったお笑いコンビの名前の名残なのだが)「フォークとか昔っぽくて好きじゃない」なんて反応だった。カラオケで無理やり入れて歌っても、歌うというよりしゃべるような曲が多いから「どうしたお前」というリアクションを受けるばかり。そんなだったのに今やCMソングを歌うようになり、ステージ前に人だかりができている。「よー、そこの若いの」を歌うときには、曲名だけで「おー!」の声がこだまし、サビは「よー、そこのわけぇの!」と全員で叫んだ。竹原ピストルの曲で大勢とノれる日が来るとは。グッとくるものがあった。

竹原ピストルの中でも好きな曲、勝負曲と言うと「カウント10」だ。普段は好きな曲を聞かず、試験前や旅行中、嫌なことがあったときなど特別な時にだけ聞くようにしている。好きな曲だけをずっと聞いているとすぐ飽きてしまってもったいないから。だから「カウント10」も毎日聞いているわけではない。だが、それを毎日聞いている時期があった。

2011年。俺は就活の真っただ中だった。世間的には高学歴と呼ばれるような大学で、4年生になる4月までに最低1社は内定をもらえるというのが先輩からの話だった。だが、連戦連敗。たかをくくっていたこともあろう、最終どころか2次3次でホイホイ落とされていた。そして東日本大震災。売り手市場だと言われていたはずが真っ逆さまで、説明会や面接はすべて延期か中止され、宙ぶらりんの状態となってしまった。それまでに内定出ているやつは保険があるから震災で延長された春休みを謳歌していた。だが、内定の無い俺はいつ始まるかもわからない面接に向けて、志望動機を練り直したり模擬面接やグループディスカッションをやってみたり。

5月にようやく大学が始まってみると同じゼミのやつらが楽しそうにどこの内定もらっただなんだとしゃべっている。6月には教授に「まだ内定ないのか、大丈夫か」と心配される。そうして7月にはゼミに行かなくなった。体面は面接のためだが、ゼミに行きたくなくなっていた。内定もゲットしあとはこのゼミで卒論を書くだけでキャンパスライフを終えるキラキラした奴ら。一方、内定も彼女も単位もなく、そのせいで元気もやる気もなくなる吉幾三も真っ青の俺。大手の採用は終わり、中小にも目を向けざるをえない。中小へ行ったら行ったで「今大手の採用って終わってますよね?ご自身ではなぜ大手に落ちたと考えてらっしゃいますか?その反省はされましたか?」と詰められる始末。うるせえ!!!!!!

「お前は必要ない」を無理やり引き延ばした文章を送り付けられる毎日。しかも好きな相手からだけでなく妥協した相手からも。内定がないから授業に出れず、授業に出れないから孤立し単位は取りづらく、同じ心境を分かち合える仲間はどんどん減っていく。そんな負の連鎖でもう面接も大学も行きたくねぇ、でもなにかやってないと言い訳にもならねぇと新しいエントリーシートをポチポチ送る。その時に「カウント10」と出会った。

この動画がまだ1000再生も行ってないころから何度も観ている。当時はまだ音源として発売もされていなかったから、この動画ではじめて知った。「あーもう死にてぇな」が冗談じゃなく本気になり始めていた時だ。6月にさや侍が公開になり、竹原ピストルのことを調べていてこの動画に出くわしたんだと思う。

「確かに誰に頼んで鳴らしてもらったゴングじゃない。
 例えば季節のように、いつの間にか始まっていた戦いなのかもしれない。
 しかも運やら縁やら才能やらといったふわついた、
 しかし、絶対的に強大な事柄がどこまでも付き纏う、
 ちっともフェアじゃない戦いなのかもしれない。
 だからと言って、不貞腐れて、もがきもせず、あがきもせず、
 例えば季節のように、
 いつの間にか終わるのだけはまっぴらごめんなんだ。
 誰かが言ってた。人生に勝ち負けなんてないんだと。
 確かにそうなのかもしれない。
 しかし、人生との戦いにおける勝ち負け、二アリーイコール、
 自分との戦いにおける勝ち負けはやっぱりあると思う。
 ぼくは絶対に負けたくないから、どんなに打ちのめされようとも、
 また立ち上がって、またどこまでも拳を伸ばす。
 ちなみに話は変わらないようで変わりますが、
 ぼくは“人生勝ち負けなんてないんだ”という人の人生に
 心を動かされたことは、一度たりとも、無い。

 ほんとは覚えているだろ?
 ド派手に真っ向から立ち向かって、しかし、
 ド派手に真っ向からブッ倒されて、歪んで、霞んで、
 欠けた視界の先にあるそれこそが、正真正銘、
 挑み続けるべき明日だってことを。

 さあ、もう一度立ち上がろうぜ。
 そしてまた、どこまでも拳を伸ばそうぜ。

 ダウン!から カウント1・2・3・4・5・6・7・8・9までは、哀しいか な、
 神様の類に問答無用で数えられてしまうものなのかもしれない。
 だけど、カウント10だけは、自分の諦めが数えるものだ。
 ぼくはどんなに打ちのめされようとも、絶対にカウント10を数えない。」

この曲の「語り」のところがまぁ見事自分の状況と重なってしまった。親のコネで商社に入った友人やサークルOBの口利きで面接をスルーした奴など、普段の大学の授業はそいつらよりよっぽど真面目に受けているのに報われないむなしさ。今聞いてもCDに収録されているものよりこの動画の方がいいと思うくらい胸に迫るものがある。「おれは絶対に負けたくねぇから」のところがどうしても胸に響いてしまう。自分との戦いに負けて死ぬだとかアホ垂れたこと抜かして諦めて感傷に浸ってる場合じゃねぇ。髪の毛ふんじばってでも前に進まなきゃならねぇ。そう言い聞かせるために、ちょっとした小説くらいの分量のこの歌詞を毎日ぶつぶつ言いながらパソコンに向かっていたので、今でもそらでこの曲を歌える。

さや侍に抜擢された竹原ピストルのように、そうして頑張っていれば誰かが見てくれているんだと。成長しない努力はないんだと。報われない痛みはないんだと。そう信じてなんとか内定を得ることができた。そんなことがあったからさや侍でも泣いた。友達は酷評していたのだが、1人俺は泣いていた。去年、竹原ピストルの弾き語りライブでこの曲を生で聞いてしまったとき、また泣いてしまったのは言うまでもない。今でも嫌なことがあったり、落ち込みそうなときにはこの曲を聴いている。カウント10を数えさえしなければ、再起できる。この曲がいつか地上波で流れる時を心待ちにしている。まだまだ俺も竹原ピストルについて野狐禅だが、この文章を読んで誰かが竹原ピストル、また野狐禅にハマってくれたら嬉しい。

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