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諏訪探訪日記―御柱巡り―

諏訪へ行ってきた。ゴールデンウィークにも御柱の里引きを見に行く目的で行ったが、今回は諏訪大社4社の御柱巡りと、その歴史を見に行った。

元を糺せば、きっかけはゴールデンウィークに入る前の友人からのLINEだ。「御柱祭を見に行かない?」という、何の変哲もない旅行のお誘いがきっかけだ。それまで御柱祭と言えば、私の中ではかなりクレイジーな奇祭というイメージであった。木落しから建御柱までの過程では必ずと言っていいほど、大怪我をする人がいる。そして、亡くなる人もいる。崖のような坂を太い丸太の上とともに駆け降りるのか、御柱を建てるのになぜ、そこに人が乗っている必要があるのか、そして、なぜそんな危険なことをしてまで祭りを行うのか。まさにそれらの疑問が私の印象を形作っていた。そのイメージはゴールデンウィークに行った時にすっかり変えられた。

まず、歴史の長さだ。相当昔から行われているのはわかっているのだが、いつから行われたかが不明という。そもそも、諏訪大社も日本の初期の文献にすでに登場するようで、創建された時期はわかっていないらしい。出雲大社も同じだろうと思うが、とんでもない歴史を持っている。この地域は古代の遺跡も数多く残っており、周辺地域との交易も盛んに行われていたという。もしかすると、諏訪の地域では文書記録が残る相当前から大規模な祭祀が行われていたのかもしれない。悠久の時を経て受け継がれる一大イベント、その現代の形式が御柱祭。そうとは決まっていないが、こういう想像ができる時点で、諏訪という地域そのもの、そして御柱祭に魅力を感じるのだ。

そして、人々の思いの強さだ。木落し、建御柱は安全面を考慮していたとしても、怪我や命を落とす危険を伴う。その危険を冒してでも、諏訪大社の神様をまつり、そして、祈りをささげるのだ。現代は信仰心ではなく、祭りを盛り上げたい、楽しみたい、という人たちもそれなりにいるのかもしれない。しかし、ベースには彼らの諏訪大社への信仰心があるのだろう。でなければ、それだけのリスクを負えない。そう思わされるくらいインパクトのある祭りだ。

と、前段として興味を持ったきっかけを整理してみた。次に、巡ってみた感想をまとめてみよう。

①上社本宮
上社本宮境内の入口近くに本宮一の御柱がそびえる。5月はこの建御柱を見学した。この御柱を見ると、2か月前の様子がまざまざと蘇ってくる。御柱の先端部を形作られるために振り下ろされる斧や飛び散る木片。太鼓やラッパを吹き鳴らし、祭りを盛り上げながら、ゆっくりゆっくりと持ち上げられてゆく御柱。建て終わった後の幟に書かれていた言葉。祭りに参加した人々の熱狂。それらがまるで昨日の出来事であったかのように思い出されるのだ。それもあり、どうしてもここの御柱は思い出話になってしまう。

②上社前宮
急にひっそりとした雰囲気が漂う。周囲に4本の立派な御柱が立っていなければ、通り過ぎてしまいそうな場所だ。周囲に人影もない。静かな場所。社殿と距離があるので、静けさが際立つ。周囲にある集落の鎮守。こういう風景の方がむしろ日本の原風景なのかもしれない。そんな気を起こさせる場所であった。

③下社春宮
境内を入る前に「下馬橋」なるものが道の真ん中にのこされていた。橋を使っていた当時は、この橋の前で馬から降り、徒歩で向かったという。どんなポジションであっても、最後は徒歩。神聖さを感じさせる。境内の周囲を取り囲む4本の御柱は上社とは少々趣が異なる。樹皮の剥き方が異なるのだろうか?よくわからないが、雰囲気が少し違う。

境内には御柱に負けず劣らずの大木が何本もあり、歴史の長さを感じさせる。数百年にもわたり、ここを参拝する人々を見つめてきた大木。それでも諏訪の街の歴史に比べたら若造だ。私たちの人生の短さについて、ちょっとペシミスティックな感覚を抱いてしまう(セネカでも読んでみるか)。

④下社秋宮
境内にある大木に引き裂かれるように参道が分かれる。そして、その参道の間にお宮が1つ。秋宮はその先だ。ちょっと不思議なつくりをしている。いつから参道のど真ん中に木があったのだろう?それとも木が生えているあたりは昔、境内ではなかった?なんて疑問を抱かせる。ただ、現代ではそれがユニークな要素にもなっている。神聖さとは別の視点で面白い場所であった。

そして、ここは境内よりもその周囲が気になる場所であった。目の前は下諏訪宿の街並みが広がっていて、中山道と旧甲州街道の合流点まである。諏訪の街が発展した所以を見せつけられる。下諏訪宿には温泉もあり、展示施設内には明治初期のある温泉施設を再現したジオラマが展示されていた。当時は街道側に下湯(庶民が入る湯)があったらしく、男女問わず、あまり周囲を気にせず(?)入浴していたらしい。その100年後、山下清が放浪中に素っ裸で歩いていたら、それが記事になってしまったという。まさに、その100年の間に日本人は蛇に唆されてリンゴを食べてしまったらしい。そして、そのリンゴは信州名産となるわけでして…(冗談)。常識や倫理観ってこんなにも簡単に変わるのだと、改めて感じさせられる。

ここまで、諏訪大社の御柱巡りをした中での所感をまとめてみた。ただ、この街、諏訪大社だけではない。1日2日行っただけでは全くもって回り切れない。チェーン店で作られたスナック菓子のような街並みとは全く異なる(諏訪にもそういうエリアがないわけではないが…)。次回は諏訪大社以外に訪れたところでもまとめてみよう。


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