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歴戦の兵の軌跡―大山康晴『棋風堂堂 将棋と歩んだ六十九年間の軌跡』―

久々に将棋中継を観た。と言っても途中からだが。棋聖戦第1局藤井棋聖―永瀬王座戦だ。

観戦したきっかけはネットニュース。2度も千日手になったという。永瀬王座の千日手の多さは有名、とはいえ、2局連続というのも珍しい。帰宅後早速Abemaで中継を観た。結果は永瀬王座の勝利。1日に実質3局、しかも、対局後2人は時間の許す限り感想戦を続けそうな勢いであった。それこそ、対局場を離れた後も、どちらかの部屋で延々と感想戦を繰り広げていたのではないか、そう思わせるくらいに。

決着がついた後、感想戦や解説をラジオのごとく聞き流しながら、適当にKindle Unlimitedで読める本を探していたら、こんな本を見つけた。早速読んでみた。

大山康晴著、天狗太郎編『棋風堂堂 将棋と歩んだ六十九年間の軌跡』

大山康晴と言えば、20世紀、特に昭和の時代を代表する棋士だ。確か、将棋会館の入り口にも大山康晴の書か何かあったような…(覚えていないが、何かあったはず)。その前後の世代には升田幸三(様々な新手を繰り出した棋士。現代では升田幸三賞にその名を残している)、中原誠、加藤一二三らがいるにもかかわらず、永世位を5つも有している。文字通りのレジェンドだ。その人の本ということで、早速読んでみた。

まさに勝負師。現代のデータ重視とは異なる要素が多く見られる。だが同時に心身のバランスを整えるといった、現代にも通じるようなことに対しても非常に意識が見られる。往年の将棋ファンであれば、升田幸三との関係性、といったあたりは垂涎ものだろう。世間や升田から見たらライバル関係、大山から見たら追いつき追い越すべき「目標」としての兄弟子。大山と升田の成績を比べると、当然に大山の方が際立つ。それでも目標とする棋士、それが升田幸三であったという。升田は今でも人気棋士の1人だが、こういうところでもそのすごさを感じさせられる。

将棋の世界はスポーツの世界に近い。ある程度の年齢以上になると、勝率が下がる傾向にある。新たな戦法や定跡の習得は若手の方が早い。ベテランはその差を経験で補うが、それにも限界がある、ということなのだろう。平成の時代を代表する羽生世代がタイトルを手放してから数年たった。羽生善治、佐藤康光ら一線級の棋士はいても、若手とは明らかに勢いが違う。数年前までは羽生世代とその次の世代がタイトルを保持し、そこに挑戦する、という構図が多くあったが、すでに過去のものとなってしまった感すらある。個人的には戻ってきてほしい気もするが…。40代、50代になってくると、成績が下降傾向になる棋士がほとんどではないか、という印象を抱くくらいの状態になる。

そんな世界で大山は69歳で亡くなるまで順位戦ではA級に在籍していた。A級順位戦といえば、そのリーグ戦で1位になると、名人位への挑戦権を得られる、まさにトップランナーが集まる世界だ。現代のようなAIを中心としたデータ重視の将棋とは明らかに異なる。とはいえ、その年代までトップを走り続けたことは、驚異以外の何物でもない。それでいながら、傍らでは将棋連盟の会長としての活動も行っていたようだ。自身の対局中に会長職としての業務をこなす、なんてこともあったらしい。その中においても新しい戦法を吸収し、自らの糧とし続ける、まさに将棋界の「怪物」であったのだろう。

将棋好きの人にとっては、大山康晴という人間を知る機会になる本、ビジネス書のごとく自己啓発としても使える要素もある。1人の人生を辿りながら、その人の思い出、考えをまとめた本であるにもかかわらず、十人十色の読み方ができる本。こういう本は面白い。

来年は生誕100周年。大山の生まれ故郷、倉敷を改めて訪ねてみようか、そんな思いにもさせてくれる本であった。

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