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小説の世界と現実を対比させる本―ジョージ・オーウェル『1984年』―

次回の読書会は以前読んだ小説『コンビニ人間』。個人的にはちょいと気が重い小説だが、あまり長くない。改めて読んでみると以前読んだ時とは違った印象を抱くかもしれない。

さて、今日は気が重くなるが、考えさせられる小説を1冊。

ジョージ・オーウェル『1984年』

ディストピア小説の世界的な代表作の1つだ。ディストピア小説と言うだけあり、率直に言って、物語の展開、結末にはぞっとする。

自宅内も含めた監視。「ビッグブラザー」への絶対服従。厳しい言論統制。ニュースや過去の改ざん。慢性的な物資不足。。。どれをとっても、ロクなものはない。

ただ、ちょっと立ち止まろうか。現代の家には大抵、自宅内にはPCやスマホ等にカメラがついていて、ネットにつながっている。ということは、技術的には監視できるし、実際にそれを悪用した事件も起きている。そこで、現代社会を見たとき、この小説で描かれている内容は、技術的に可能になっていたり、ある程度現実に生じていたりするのではないだろうか、という疑問にぶつかる。

ビッグデータが出始めの頃、論文にこの小説が取り上げられることが多くなった。そして、私もその時にこの小説の存在を初めて知った。試しに読んでみたときは、物語の社会構造、そして、そのリアリティについていけずに読むのを断念した。数年後、改めて何日にも分けて少しずつ読んで何とか読了した。読了後、読み終えたというある種の爽快感とともに、この物語で描かれる社会の気味悪さにぞっとする、その相反する感情を抱いたのを、今でもはっきりと思いだせる。

この物語で登場する国家「オセアニア」のような社会は、小説が書かれた当時は難しい要素もあったが、現代では技術的にも実現しうる。当然実現してほしくはないし、そのような社会が到来しそうであれば、よりマシな社会へ脱出を試みるだろう。しかし、同時にもしかすると、強烈な監視社会であっても私たちは案外適応してしまうのではないか、なんて想像もしてしまう。まるで外出時にマスクをつけるのが「習慣化」してしまったのと同じように。それが気味悪さ、気分の重さを助長するのだ。

文章量も多く、内容も重い。胃もたれ&胸やけ必至の小説だが、自分たちがどのような社会に生きたいか、どのような人でありたいか、どのような人と付き合いたいか、それを考えるきっかけにもなる、そういう小説だろう。

そして、『コンビニ人間』。。。これもある種、似た要素があるんだよな、なんて思ってしまって、改めて読むのに二の足を踏むのである。読もう!そして、どんよりしよう、ここ最近の天気のように。


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