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読書会より~先人たちの文化や考えから学ぶ~

11月の読書会も無事(?)終わり、ある人は展覧会へダッシュし、ある人は失敗談を語り、それぞれの日常に帰っていった。

正直、読書会で紹介する本のネタはとうに尽きている。なので、最近はおススメできるかどうかはあまり重視していない。むしろ、単純に個人的な興味であったり、本を見つけたときのシチュエーションであったりを重視している。その中で何か引っかかるのがあれば、それを応用すればいくらでも面白いネタにぶつかるであろうから。
なお、読書会で各自が紹介した本は以下に掲載されているので、そちらを参照いただきたい。

今回は2冊紹介した。まずはこちら。

①ゴールデンカムイ

今年北海道へ行った時の目的の1つがアイヌの文化に触れることであった。留萌や稚内に現を抜かしているうちに時間が過ぎてしまい、結局旭川市博物館での展示くらいしかまともに見られなかった。当時、博物館で特集展示されていた知里幸恵の『アイヌ神謡集』を後日買ってみたものの、時代背景もアイヌの人々の文化も全くもってわかっていないので、読んでも今一つ頭に入ってこない。その熱が冷めようとしている頃に、電子書籍の割引クーポンを手に入れた。その対象に『ゴールデンカムイ』が含まれており、迷わず全巻購入。一気に読み進めた。

物語の背景はこんなところだ。
時代は明治末期。日露戦争後の北海道が舞台だ。アイヌの人々が集めた金塊、その在処は網走監獄を脱獄した24人の死刑囚の体に刻まれた入れ墨の暗号を解くとわかる、という。その金塊の在処を探し出そうとする人々の壮絶な争い。これを幹として物語が展開してゆく。

物語の中では様々なアイヌの文化が描かれている。狩りの効率を高める知恵、その狩りで捉えた動物に対する敬意、育てた子熊を神の下へ送り返す儀式「イオマンテ」、自らの生きる糧を提供してくれる大自然への感謝の思い…。数え上げるとキリがない。

これらは物質的な豊かさには必ずしもつながらない。むしろ物質的な豊かさは、日々の食事や自らの生活を構築してくれる事物への感謝の念を薄くするものなのかもしれない。漫画で描かれるアイヌの人々の生活を見ると、改めてその感を抱かされる。

当然、現代の生活に慣れ親しんだ私たちにとって、彼らのような生活にどっぷりと浸かることは厳しい。しかし、どうあがいても私たちは地球がもたらす恵みの中で生活しなければならない。スペースコロニーや火星移住などという話があるものの、それが実現するまでは少なくとも地球での生活が必須となる。その地球がもたらす恵みから適度に「いただく」、この姿勢は忘れてはならないのだろう。

『ゴールデンカムイ』はこのあたりにして、次へ。

②呉清源棋話―莫愁・呉清源棋談

以前の読書会で呉清源とその兄弟を追った本を紹介した。また、noteで紹介した川端康成『名人』でも呉清源は解説の立場で登場する。この本は川端康成が呉清源から聞いた話をまとめた『呉清源棋談』、呉清源によるエッセイ『莫愁』からなる。

呉は囲碁の世界を「調和」として見ている。この世界の調和を乱さずに打ち進めると、必ず黒番(先手)が勝つという。黒番が負けるのはその調和を乱したから。つまり無理な手や悪手と言った手を「調和を乱す」手として捉えているのである。なので、互いに調和を保って打ち進めれば、黒番が勝つ、という発想であり、それを呉は囲碁を「勝負というよりも自然の現象」(P.31)であるという。この世界観は非常におもしろい。

どんな物事でも無理をすると、どこかにひずみが生じる。それは囲碁に限らない。業務に追われていると、ミスや漏れが生じる。また、進捗状況が悪いからと言って、無理に元に戻そうとすると、さらなる悪化を招くなんてことまである。

ある特定の場面にはそれに応じた正着があり、その手を打ち続ける限り、その世界の調和が保たれる。呉の囲碁観・世界観はこういう風なものだったのではないだろうか。戦中・戦後の囲碁界の巨星から学べるものは囲碁に限らない。それが呉清源という人の面白さであろう。

今回紹介した、アイヌの人々や呉清源に共通して見える部分は多い。しかし、まだそれは何となくつながっているように見える、というくらいに過ぎない。何かいい感じに説明できるようになったら、その時はまたこの人たちを取り上げるかもしれない。「またかよ…」って思われそうだけども。

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