見出し画像

大切なことは海外生活が教えてくれた。

初めてカナダで海外生活を過ごしてから10年。
気付けば3カ国で時間を過ごした。

この時間がなければ、きっと私は今だに人の人生にケチをつけたり、比べたり、自分を否定的に言うチキンのままだっただろう。

浅く広い付き合いはなく、
深い付き合い方。

よく友達が多いね、と言われるが、
ワーホリ3カ国行っていても今だに頻繁に連絡を取るのは15人ほどだ。

多いか少ないか、感じ方は人それぞれとして、

私はこの友人たちに、真剣に向き合った自負がある。

だから気軽に連絡するし、近況も気になる。

うわべだけの付き合い。

日本にいる時から、凄く違和感だった。

思っている事を言わず、作り笑顔でその場を切り抜けて、関係のない人たちに不満をぶちまける。

もしも、その問題が当人で解決できるなら?
その人が理解してくれて、調和できる関係になれたら?

その可能性を見ずに、決めつけて物事を進めてしまっていることがあまりにも多かった。

カナダにいた大学生の時の自分は、まさにそうだった。

少し一緒にいただけで、その人のことを全て分かったような気持ちになり、
分かり合えないだろうと思う事は他で吐き出す事も多かった。

学校の集団生活で、それが正しく、常識だ。と決めつけていた。

カナダのトロントで出会った日本人のお姉さん

彼女は今も、カナダにいる。

出会って今年で10年になる。

トロントで出会った時から破天荒。
会うときは大概酔っ払っている。
英語も全然できない。

でもなぜだろう。

私の記憶の中で、いつも、カッコイイ存在だった。

久しぶりに年賀状を送ったら、嬉しいことに返事が来た。
日本が大好きなのに、日本に帰れずカナダで結婚して、
子供も授かったそうだ。

彼女はいつも言動がストレートだ。

英語は話せないが、当時勤めていたカフェのオーナーと、
日本語と英語で本気で口喧嘩をする。

したい事はする、
面倒臭い事は面倒臭い。とはっきり言う。

数年に一度、彼女に再会するが、
スタンスは変わらない。

どんな人生でも、どんな経歴でも、

筋が通っていると、その人を慕いたくなる。

年齢を重ねれば重ねるほど、何故彼女に憧れたのかが理解できた。

オーストラリアのバンダバーグでの人間模様

オランダ人の同僚が言った。
「え、日本人って討論しないの?意見言い合わないの?」

セカンドビザも兼ねての農場仕事。

2つの大きな家での多国籍集団生活。

と言いつつ、20人いればほぼ半分は日本人、あとは、ヨーロピアン。

最初の2ヶ月は、地獄だった。

日本人とヨーロピアンの間で板挟みで
2段ベッドの上ですぐに出て行くと泣きながら思っていた。

集団行動に長けている日本人と
単独行動も平気なヨーロピアン。

集団の力というのは、時に恐ろしい。
英語が苦手な集団なら尚更。

日本人があまりにも日本語を使うので、グレてしまったマルタ人の女の子がいた。

気性が荒いのもあったが、普段は英語を教えてくれる明るい女の子だ。

女子はヨーロピアンがその子一人だったので、誰も英語を話さない。

知らない言語で盛り上がっている彼女の表情は、とても悲しそうだった。その時の私は、メントスをあげることしかできなかった。

そのうち、彼女は諦めて、英語で悪口を言うようになってしまった。
理解ができる私に、「私が何言ってるかわかるよね?」と笑った。

率直に辛かった。変わっていく彼女を見るのも、変わらない日本語環境も。
結局、いろいろあった。最後はみんなで和解した。

主観的に見ると、わからないことがたくさんある。

その光景を見たのが、初出勤の日だったから、タイミングも良かった。

その出来事が印象に残ってから、極力英語で話すように努力した。
だからこそ、彼女は私に「分かるよね?」と言った。

農場では色々だったが、その後パースで再会した時、笑顔でうどんを食べて、英語を褒めてもらったのが良い思い出になった。

農場は入れ替わりが激しい。セカンドビザが取れると、すぐに皆旅立つ。

そして、国籍は思わず偏る。

集団行動が落ち着くのに、新しく入ってくる日本人はあまり歓迎しない。

「日本語環境になるから。」と。

すでに日本語環境になっている事実が全てなかったかのようにこの話をする。

仲良くしていたが、大切な友人だと思ったから、正直に言った。

「なら他の農場に移ればイイんじゃないですか?今いる環境が変わらないなら、自分が変わるしかないですよ。」

どうでも良い人なら、口を出さないし、余計な問題に首を突っ込みたくない。
ただでさえ気を遣う性格だから。自分にストレスしかない。

けれど、これから長く付き合いたい人に、上っ面だけの褒め殺しをしたって、関係は深まらない。

討論して、双方納得したからこそ、帰国した今でも、関係が続いている。

全ては、話し合うこと、意見をぶつけあうことが大事だ。

オランダ人の同僚が教えてくれた。

パースの偶然がもたらしたもの

全ては偶然からの必然。

イタリア人Uberドライバーが生活を変える

たまたまその日が誕生日だと言う知り合ってすぐの日本人の女の子と行った、
大好きなロックバンドのライブの帰り道。

渋滞していたが足もないのでUberを呼んだ。

中から陽気なイタリア人が出てきた。

渋滞していたので、1時間半ぐらい世間話をした。

「お客さんにこんなこと言ったことないけれど、僕とクラスメイトが毎週月曜日に飲んでるから、良かったらおいで!」

怪しかった。でも、友達もいないし、暇してたので、行く事にした。

月曜日、ノースブリッジのパブ、バード。

ヨーロッパや韓国・台湾など、多国籍で、皆フレンドリーだった。

気づけば次の月曜日も行っていた。

そして、気づけばパースにいた11ヶ月間そこで出会った仲間と過ごしていた。

あの時Uberに乗らなかったら。いや、その前に、ライブに行かなかったら。

彼らに出会えた事で、偶然も必然だったと感じるようになった。

そして、英語環境だと無意識にでも出てくる「Thank you.」

”ありがとう”の言葉が、生活を充実させる事を実感した。

突然の帰国が気づかせた、自分との向き合い方

自分を好きになることが、一番難しかった。
人のために何かをすることで、そう思わせようとしていたのかもしれない。

2020年3月

コロナの始まり。

ニュージーランドのオークランドでは、3月後半、早々にロックダウンが行われた。

家から出るのも買い物だけ、バスは医療従事者やその他関係者以外乗れない。

でも、その時の生活は楽しかった。

シェアメイトがいたから。

おはようから始まり、みんなでご飯を食べて、のんびり過ごす日々。

同僚と会えないのは寂しかったが、電話すれば問題ない。

けれど、その時の最後の日本直行便のチケットが取れてしまったことで、2日後に全員帰国する事になった。

ビザもまだあったし、まだ穏やかな日々だと思っていた矢先。

日本に帰国し、誰もいない家で、一人で迎える朝。

最初はとても辛く、悲しく、最後のワーホリの幕引きが予期できなかったことが、なんとも言えなかった。

けれど、数ヶ月一人で過ごして、思った。

「今、自分のために日々生きている。」

3カ国のワーキングホリデーでは、何処でも基本シェアハウス。

集団生活を4年ほどしていたので、今まで気付かなかった。

主観的だと気付かない。まさにそうだった。

無意識に人の為に動いて、自爆する。そうなることが何度かあった。

自分の為にと言いながら、人のために、気を遣いながら過ごし、気付けば息がしづらくなっていた。

後悔はない。楽しいが大部分だったから。

けれど、ひとりで過ごす時間が増えて、実感できた。

そして今、自分の目標にだけ注力して、日々を生きている。

今までの経験を如何にして自分の未来に活かしていくか、常に考える時間がある。

人生の中で、一番前向きになれている。

緊急帰国のおかげで、気付かされた。

やはり、全ては偶然で必然だ。

大切なことは全て海外生活が教えてくれた

時間の儚さ、友との向き合い方、自分との向き合い方。

文章に書ききれないほどの、喜怒哀楽を、4年強の海外生活で経験した。

そしてその全てが、今の自分のモチベーションへとつながっている。

海外生活を必ずすべき、と言うわけではなく、

私の場合、自分が変われた場所が、海外だった、と言うだけ。

何処で自分の転機が訪れるかは、自分次第だ。

人と比べず、自分のしたい事を貫く。

芯がなかった時の大学生の自分では考えられない事だ。

今日も、日々感謝をしながら、精進していこう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

その他の海外生活は以下の記事で読めますのでお時間があれば是非。

今日も良い日になりますように。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?