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子どもには第2の居場所を持たせた方がいいと思う今日この頃

最近強く思うんですけど

最近強く思うんですけど、第2の居場所が絶対必要。子どもだけでなく大人にも。居場所と言っても別荘があるとかそう言うのではなく。

でも子どもの場合は、現実にあるといいと思います。例えば学校と塾で心のバランスをとっている子もいると思う。(塾がいい悪いは別にして)

居場所を探すカオナシ


メタバースの中でも良いのか

子どもにとっての居場所が例えばメタバースの中でもいいのかもしれない。でもそれは本当に居場所になるのか。道具として使う分には大いに結構だが、幼い頃は身体性を大切にしないと大人になって不都合が起きる気がするんです。


例えばVRが自然界だと思っていたら・・・

電力問題は人には関係ない

結局はメタバースと言っても、電力がなければ保てない。体は電力は直接的に必要なく生きていける。そこがどうしても不釣り合い。視聴覚的には満たすけれど、味は?香りは?感触は・・・それが疑似体験でいいのかと言う問題はなかなかクリアできない。

そんなメタバースの中に入って生きていけるような錯覚を、幼い頃に持ってしまうと、将来はちょっと不安な気がします。子育て中の親として。

風力発電の風が止まったら


あつまれ どうぶつの森

自分が子どもの頃、30年前くらいは、小学1年にもなれば自転車で1人少し遠くの野原や川に行っていた。それこそ毎日行っていた。すると、同じような年齢の違う学校の子たちがいて、同じように魚や虫が好きで、名前も知らないお友だちと協力して虫取りをしたりした。

それをメタバースの中でやる。いわばあつまれどうぶつの森ですね。

あつまれ どうぶつの森


メタバースと現実のバランス

例えば虫取りをメタバースの中でもやるし現実でもやる。これならバランスが取れる。今の時代自然でしかやったことないと言うのも寂しい。が、メタバースでしか虫取りをしたことない。蛍を見たことない。これはもっともっと寂しい。

ようするにあつまれどうぶつの森でしかやっていないってこどですね。

実際に体感することの大切さ


現代の親の仕事

ここのバランスをとってあげるのが現代の親の仕事なのかもしれません。親世代が子どもの頃、ゲームはそれほど充実していなかったから長続きはしない。だから自然と外遊びもした。

それで育ったのが今の親世代だとしてら、バランスを取ことはできる。


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