イエロー・イエロー・ハッピー(2)

* * *

麻生清貴はいわゆる強迫性障害らしい。
らしい、というのは正式な病名を彼が知らないこと、通院をしたことがないので自覚症状が無いからだ。

例えば道でベビーカーに乗せられている赤ちゃんを見ると、とっさに「死なないでくれ」と強く思ってしまう。虐待や不慮の事故で、生後間もない赤ちゃんが亡くなるニュースを見ると小さくて儚い命を授かったばかりなのに、と心が痛む。
夫婦が、ベビーカーを抱えて、階段を上り下りしている姿を見ると特にそうだ。躓いて転ばないだろうか。頭のおかしな人間が突き落とさないだろうか。階段から落ちた赤ちゃんは、打ちどころが悪ければそのまま動かなくなるのだろうか。生きていたとしても障害を抱えて生きながらえるんだろうか。

他にも、交番や駅のポスターに貼られている指名手配犯のポスターを見ると、気分が途端に憂鬱になる。犯罪者と目が合うと、取り込まれる気持ちになり、自分も犯罪者になった感覚になる。
清貴は小学生の頃、いじめをしていた方でも受けていた方でも無いが、傍観していたことはある。標的にされた人間が別の誰かに触れると、「菌が移った」と言って、触れた人間はまた別の誰かに触れるのだ。それはやがて教室内で鬼ごっこのように広まっていき、最初に「菌」を持っていた鬼が堪えきれずに教室の外に出ていった。
清貴はその輪の中に入るつもりはなかったが、誰かから「菌」を移されてどうしようかと迷っていて、そこで教室の外へ出ていく「鬼」の吹本君としっかり目が合ったのを今でも覚えている。

そんな記憶の彼方に霞む経験さえ、今の清貴を苦しめていた。清貴は犯罪者を強く嫌悪すると共に、指名手配犯の人相と目が合うと、もしかしたら自分は犯罪者なのではと思うようになった。今の自分の顔はマスクをした偽物で、顔の下に映るのは指名手配犯の人間でなのだ。
もしかしたらあのベビーカーを突き落とす人間は、自分なのではないか…。
なぜそう思ってしまうのか清貴には分からない。しかし、「そんなわけない」と自分の中で頭の中で強く否定し、酷いときにはその押し問答が小一時間続く。

清貴は無性に手と顔を洗いたくなる。どちらも「今の自分は本物」であることを強く自覚するためだ。必ず手荷物の中にはフェイシャルペーパーと除菌シートを携帯し、外出中にその衝動を抑えられるようにしている。ただし、洗面台に映る自分の顔は怖くて見ることができない。
もう一つ、頭の中で文字通り自分を殺す。最近の自分への罰の与え方は絞首だ。自分の首にロープがかかり、徐々に絞めあがっていく感覚が、呼吸を苦しくする。自分の首に全体重がかかった時に、踏んでいた床が突然開く。
他にも、猛スピードで突っ込んでる車に轢かれる清貴。高層ビルの屋上から飛び降りる清貴。脇腹にサバイバルナイフを突き立て失血死する清貴。邪なことを考える自分自身を、清貴はこうして何人も殺していった。

こうした考え方でも今まで生活に支障をきたしてなかったから、自分は平気だと思っていた。しかし、ある日突然、無性に生きづらいと感じたのだ。
清貴は2か月前に祖父を亡くした。同時期に、細かい仕事のミスで多少なり叱責された。でも、それが原因というわけでもないのだ。
何か、もっと根源にある自分の考え方に嫌気がさしたのだ。こんな思考回路を持ち続けるなら、負の感情を抱き続けるなら…。
楽になりたかった。死んで、終わりにさせたかった。

そんな折、このサービスを見つけて清貴はすぐに予約を取った。
ライフエンディングセンターと銘打っているそこは、人生の理想的な最期を迎える、いわゆる終活のための相談所だった。
通常、高齢者のための財産分与や保険の見直し、果ては葬儀のプランニングまで幅広く相談を請け負うものであったが、20代~30代から終活を考える若者も存在することから、間口を広げて対応をしている。
しかし行き過ぎたものだと、「どのような自殺方法が楽か」「簡単に、かつお金のかからない死に方は何か」という疑問にまで答えてくれるという噂が立ち、単なる自殺教唆の延長であるとニュースになるまで取りざたされた。
もちろん清貴も楽に自殺できる方法がないかを相談しにきた一人であり、簡単に紹介してもらえないのでは、とダメ元でここを訪れたのだが…。

* * *
(続)


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