見出し画像

愛するクラブがくれたもの【8】

V・ファーレン長崎を愛するサポーターの方からお話を伺い、応援することで得たもの、楽しさを多くの人に広める「愛するクラブがくれたもの」。
第8回は「涼奈さん」よりいただいたお話です。

学生時代は長崎が大嫌いだった涼奈さん。しかし、難しい時期を過ごしたのち、ヴィヴィくんとV・ファーレンをきっかけに故郷への感情が変化していきました。
※サムネイル画像は2018シーズンのアウェイ・広島戦(涼奈さん提供)。

大嫌いな故郷・長崎に戻るまで

私は、小学生の頃から都会に憧れがありました。
長崎には面白い場所が無い。雑誌に載っているようなショップも無い。平成初期〜中期頃は今とは違い、通販で何でも気軽に買える時代ではありませんでした。

その憧れは成長しても変わらず、高校卒業後は埼玉県にある短期大学へ進学し、東京都内の会社に就職しました。
とにかく、田舎で何の楽しみもない長崎県が大嫌いな学生時代でした。

憧れていた都会での生活でしたが、数年後渋々長崎へ帰ることになりました。
理由は、リーマンショックの影響で勤めていた会社の経営が危うくなったこと、一人暮らしになかなか慣れなかったことが原因です。
実家に戻り長崎で働き始めましたが、職場の環境と人間関係の悩みから適応障害になり、退職せざるを得なくなってしまいました。

2013年のJ1昇格プレーオフ進出が、興味を持つきっかけ

辛い毎日を過ごしていた2013年のある夕方、V・ファーレン長崎のJ1昇格プレーオフ進出が決定したというニュースを、地元局の番組で目にしました。
当時、V・ファーレン長崎については名前だけは何となく知っていた程度。そのニュースの中でプレーオフについての説明もあり、勝ち進めばJ1昇格と知りました。
サッカー自体には元々興味があり、テレビで日本代表戦はよく観ていたので、A代表の選手や浦和レッズ、ガンバ大阪などの有名クラブは知っていました。

有名なクラブと対戦できる!それはすごいことだ!と一気にV・ファーレンが気になりだし、すぐに検索。
公式サイトの選手と監督、コーチ陣のプロフィール写真が並んだ欄を見ていたところ、一番最後にあったヴィヴィくんの写真を見て、一目惚れしました(笑)

ヴィヴィくんとお姉さんの優しさ

その日を境に「ヴィヴィくんとはどういう子なんだろう?」「ヴィヴィくんの日記がある!」「ファンの方々がたくさん写真を撮っている!」と、私の頭の中はヴィヴィくん一色になりました。
残念ながらその年のプレーオフは敗退しましたが、いつか生のヴィヴィくんに会いたいなあと思うようになっていました。

それから約2ヶ月後、2014年の開幕戦を迎えるにあたって、ヴィヴィくんたちがチラシ配りを行うとお知らせがありました。
浜町で行う日は、ちょうど心療内科の通院日と被っていたため、診察後急いで向かうことにしました。

そこで初めて、生ヴィヴィくんに会えたのです。

とても可愛くて、話しかける時にすごく緊張したこと、2月の寒い時期に関わらず興奮して会う前も会った後も汗だくになっていたことなど、今でもハッキリと覚えています。
その日はお手紙とバレンタインのチョコを渡し、2ショットの写真も撮ってもらいました。

ヴィヴィくんとの2ショット(涼奈さん提供)

その数日後、諫早でもチラシ配りが行われるとのことだったので、体調を整えて再び会いに行きました。
少し離れたところで眺め、終わる頃に勇気を出して話しかけに行ったところ、アテンドのお姉さんが「この前手紙を書いてくれた方ですよね?」と声をかけてくれたんです。
そしてヴィヴィくんが、私の手をあのもふもふな両手でそっと包んでくれました。
まさか覚えてくれていると思っていなかったので、とても驚きました。
手紙には、私が適応障害で療養中なことも記載してありました。
お姉さんとヴィヴィくんの労わるような優しさが温かくて、ものすごく感激しました。この出来事は1番の思い出です。

その後、V・ファーレンも大好きに

そこからはヴィヴィくんに会いたい、試合を観に行きたいという気持ちが、私の治療のモチベーションになりました。

ヴィヴィくんにハマったことがきっかけでしたが、同じくらいV・ファーレンというクラブもサッカーも大好きになりました。

ほとんどの選手がもともと長崎に縁がないにも関わらず、それが仕事だからという理由を越えて、長崎のために雨の日も晴れの日も頑張ってくれている。そこに胸を打たれました。
また、勝てない時でも決して見放さず、自分たちも応援を頑張るからという一蓮托生なサポーターのスタイル、スタジアムの雰囲気が素敵なこともあって、大好きになれたんだと思います。

初観戦時(涼奈さん提供)

「長崎に生まれてよかった」への変化

またクラブを応援するなかで、あんなに嫌いだった長崎県のことも好きになっていました。

私はいつもゴール裏で観戦しているのですが、スタジアムでサポーターがチャントを歌う姿が本当に熱くて、選手の皆さんを応援している時、長崎で今生きているんだなという実感が湧きます。それがすごく幸せです。
都会への羨ましさが完全に消えたわけではありませんが、長崎に生まれてよかった。
だって、身近にこんな素敵な「ヴィヴィくんと誇らしいクラブ」があるんですから。

涼奈さん提供

今、長崎は人口流出が1つの課題だと思います。
V・ファーレン長崎が、今の県民やこれからの世代の方々が長崎で暮らしていきたいという理由の1つに、生きていく楽しみになってほしい。
応援する楽しさは年齢と関係ないので、若者から高齢者の方まで、多くの方の生き甲斐になってほしいです。

ヴィヴィくんとV・ファーレンが大きな勇気に

私自身としてはもう治療は終えましたが、適応障害になる前の自分には戻れていません。
今でもよく悩み、人と仲良くなる事に難しさを感じますし、ネガティブ思考から体調に波が出やすい部分があります。
元気に働く事、趣味を楽しむ事は私にとって決して当たり前のことではありません。

涼奈さん提供

それでも、ヴィヴィくんとV・ファーレンに元気をいただきながら、それ以上に応援を頑張って、この地でしっかりと生きていきたい。
しっかり働いて趣味を楽しむ、自立した女性になりたいと思っています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?