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吉野敏明さんの新著「医療という嘘」⑥/3章ロックフェラー医学と失われていく大和魂④

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■前回のお話

続きものなので全体を通して読むと面白いですよ(^。^)

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①鮭の一生に見る、オス、メスの役割の違い


ヒトを含めたすべての生き物にはそれぞれに役割や個体差がある。決して皆同じではないということだ。それは平等ではないということも意味する。


例えば、鮭の一生だ。鮭はオスとメスでカップルになり、ことを済ますと、オスの顎が伸び、メスは産卵に適した身体になる。

メスが産卵を3〜5日にわたって行うと亡くなる。オスはその間、メスと産卵床を守る。さらに、オスは自分の妻だけでなく、群れにいる全部メスと卵を守る。

カップルになれなかったオスや、受精ができなかったオスは、その群れのメスやその卵を守る。子どもの生まれなかったメスは死んだ後、その身を子どもたちのエサとして捧げる。

鮭の生き様を見ると、オスにはオスの役割が、メスにはメスの役割があり、決して同じではないことがわかる。


②基準値を超えたら一律で薬が処方されるようになった


日本人は昔から、自然に寄り添って生きてきた。だから雄雌(男女)にはそれぞれ役割・使命がある、というのがごく自然で理解ができる。

女性や子どもを命懸けで守るのが男たちの仕事で、女性たちは子どもを命懸けで産み育てるのが役目。


昔、女性は自宅で出産していた。隣近所の女性たちが集まり、皆んなでお産を手伝っていた。これをみて、女の子たちは「将来、自分もあんなふうに子どもを産む。だから早く結婚をして子どもを産もう」と思えた。男の子たちも早く自立して父親のように家族を養ったり、村を守ったりすることを当たり前だと思っていた。

近年では、自宅で子どもが産まなくなり、赤ちゃんは病院で産むと思い込まされている。さらに核家族化により、男女共に家族よりも個人の趣味や娯楽を大事にするようになり、価値観が一変してしまった。

これは、人をモノや機械のように一律扱う西洋医学が入ってきたことや、自由・平等の人権思想の浸透などで生じた核家族化による影響だ。

歴史的に見て、日本は昔から女性が尊重されてきた。縄文時代の土偶は妊婦を模していて、女性を敬う心性が見てとれた。律令制のもとでは女性にも私有財産を持つことが認められ、平安時代には紫式部などが世界初の女流作家として大活躍していた。

日本では昔から「男女の役割は異なるがゆえに補い合える」という自然の摂理に合致した考え方をしていた。それを共産主義的な平等・人権思想が入ってきたことによって、男女間や社会に分断がもたらされたのだ。


平等は英語ではイコール、つまり「同じ」という意味。これを医学・医療で言えば、個人差を全く考慮しないで「誰に対しても同じ処置をする」ということだ。

つまり

個体差を考慮しなければすべて一律に扱えるので、大衆をモノのように管理・コントロールしやすい…これが疫学や公衆衛生、ワクチンの落とし穴なのだ。


現代医学は様々な検査によって「基準値(基準範囲)」を設け、基準値超えたら「病人」と見なし、どんな人に対しても同じ薬を処方する。この基準値は個人差を考慮しない。基準値を超えても健康な人は沢山いるというのに。


基準範囲は健常者の検査値の分布に基づいて設定されている。特定の疾患や病態、治療の目標などを考慮して算出されていない。そして専門学会や医療機関によっても基準値が異なるのだ。


「人類は皆健康であり得る権利・人権を等しく持っている」という大義名分を盾にして、基準値から外れている人を「病人」として扱っている…これが現実だ。

彼らは、個人差を医学・医薬品によって埋めれば、病気をいくらでも作り出せることを知っているのだ。

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