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習慣化には記録が効果的

記録をつけるという習慣も必要になりますけど、自分が積み上げた事実が可視化されるのは、継続しやすくさせます。
記録といっても、なにも日記をつけたりカレンダーにバツ印をつけたりすることに限らず、たとえば読んだ本を平積みで置くのもある種の記録です。つまりは、目に見える形で記録が残せればいいんです。

とはいえ、ぜんぶがぜんぶをアナログで管理するのは不可能なので、デジタルの力を借りるべきです。スプレッドシートとかExcelに記録をつけるのがいいと思います。最近だと、notionのほうが好まれるんでしょうか?
ぼくは極度のめんどくさがりなんで、正直、記録をつけ始めても続かないでしょうし、なんなら始める気持ちもありません(笑) やってみようとは思ってますよ?
noteのようにマイページを見るだけで、自分がこれまで投稿した記事数が分かるアプリのほうが好きです。だって、楽だもん。

継続に貢献する記録ですが、それ自体が目的になるとその意味を失ってしまいます。
「記録をつけること」が目的に成り代わってしまうと、いかに楽して記録を稼ぐかを考え始めてしまいます。テキトウにこなそうが、一生懸命にこなそうが、その行為を記録するはできます。

数だけをテキトウにこなすだけでは、見かけ上は習慣化に成功しているように見えます。
けれど実際は習慣になっておらず、ただただ妥協で記録をつけているだけです。「この程度でいいっしょぉ〜」と、習慣化したい行為に対する姿勢がお粗末なものに変貌しては、とても習慣化しているとは言えません。「習慣化している自分に酔っている」だけ、もしくは「習慣化に伴う苦痛から逃げている」だけです。

記録と同じ様なものとして、数値に囚われることで自分を見失う事象もあります。早いところ、SNSでの活動です。
最初は受益者のために活動していたのが、次第に自分のためだけに活動し始めます(もちろん、全員ではないです)。その際の決まり文句は、「数値に走ったか」。

記録をつけることの最大の意味は、やっぱり「成果の可視化」だと思います。自分がこれまで積み上げてきた成果が、数値や量として具現化されれば、感慨深くなるじゃないですか。「こんなに積み重ねてきたんだなぁ」って。
自己を高める一方で、数値が目的になれば自己を惑わす薬にもなります。記録をつけるをはじめとした「成果の可視化」には、適切な距離感が大事になります。
知らぬ間にある境地にたどり着いていた現象が、理想的な状態なのかもしれません。

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