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電車での読書は乗り過ごす要因

今朝の話です。
通勤電車では、読書をするようにしています。紙で読むのは難しいため、もっぱらKindleです。マンガを読むのは、この「帰宅路日記」を書き終えた後の電車かお昼休み、またまた自宅。
朝は、教養書やビジネス書を読んでいます。朝は頭がいちばん冴えていますから、多少難しい内容でも読みやすい、と感じています。

通勤電車のお供といえば、ほかにも音楽があります。ふだんはモンハン(モンスターハンターという国民的(!)ハンティングゲーム。2025年に最新作が発売されるため、ぜひ買ってほしい)のBGMを聴いています。
セリフがないし、コーラスがあったとしても、モンハン語という日本語に聞き取れない言葉が流れるため、歌詞に気を取られません。あと、シンプルにすべての楽曲が素晴らしい。思わず、その場で踊りたくなるくらい。
モンハンのBGMってすごくて、狩猟しているときにはそんなに気にならないんですけど、改めて聴いてみると「あ〜!!あの曲ね!」と判別できるんです。なにかに集中していると気にならない、だけど、ちゃんと記憶に残っている楽曲。それがモンハンのBGM。

っと、モンハン熱で話が脱線しました。

ふだんは、ゲームBGMのような「歌詞」がない曲を聴きながら、読書しています。
ここ最近は、「学園アイドルマスター」通称「学マス」にどハマりしていることもあり、キャラソンを聴いています。
ほんとは歌詞のある曲を聴きながらの作業って、集中を逸らしたり、学習効率を下げるので非推奨です。
だけど、推しの曲を朝から聴きたい!というオタクのサガに従っています。
推しは、「姫崎莉波」お姉ちゃんです。かわいい!
ぼくの性癖、もとい好きなタイプを詰め込んだキャラになっています。「あれ?自分なにか意見出ししたっけ?」と錯覚するくらい。今日も帰ってから、プロデュースします!

また脱線しました。

つまり、通勤電車では「なにかしらの音楽を聴きながら、読書している」ということ。
それが意味することは、視覚も聴覚(推しの歌声に聴き惚れることで心も)が、意識外にあるということです。ちょくちょく現在地を気にしなければ、容易に乗り過ごします。

プライベートだと、結構乗り過ごすことがあります。それも音楽を聴きながらではなく、純粋に読書に集中していて。「あれ?いまどこ?ワタシはダレ」状態。
さすがに出勤時には、ミーヤキャットみたく周囲を確認し、現在地を把握することに努めています。

それが今日はなぜか1駅乗り過ごしてしまったんですよね〜。なんでだろう。
と反省する気も改善する気もないので、ただただなんでだろ?と思うだけです。

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