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生み出せ空白: find your good wants

「マツコの知らない世界」という番組を勉強をしながら観て居る。マツコ・デラックスさんの知らない分野を、その分野に非ッ常に詳しい方々が、マツコさんに対して紹介していくという番組の趣旨は、番組をみたことがある方であれば、周知のことだと思います。

この「マツコの知らない世界」という番組からは、学ぶことが多いです。それは知らない分野の知識についても言える事でありますが、それだけではありません。番組のタイトルは確かに、「マツコの知らない世界」ですが、紹介される内容は完全に未知の世界のことではありえません。例えば、前回みたときは、カレーについての知らない世界を紹介していていましたが、もしマツコさんの前で「人間の身体の胸郭と骨盤と脊柱の構造とその不思議」或いは、「人格の環境依存性と鏡像段階」の知らない世界というものが紹介されているとしたら、なんとなく不自然に思えませんか?

勝手に、不自然に思えるという前提で話しを進めますね。

マツコの知らない世界は、「マツコさんの知らない世界」を紹介する番組でもあり、一視聴者にも色んな知識を教えてくれる番組。でも、その「知らない度合い」って、結構重要なのではないかと思います。つまりどういうことかというと、「空白」の適度な認知(構築)が重要なのだと思うのです。

先ほどの、「カレーについての知らない世界」と「人間の身体の胸郭と骨盤と脊柱の構造とその不思議」。両者には、どのような違いがあると考えますでしょうか。それは、「知らなさ」です。言葉が貧弱で適当な表現が思う浮かびませんが、どれだけ身近であるかそうでないか、認知度が高いかそうでないかであるとも言いかえることも出来ます。では、この「知らなさ」の程度が、どう「空白」の適度な認知(構築)につながってくるのか。

勘のいい方はわかっているかもしれないけれど、自分の既存の知識をどれだけ土台として活用し、知らないものを自分が理解できる形で有限化できるかということだと思う。ワタシはそう考えます! 

「マツコの知らない世界」という番組において重要なことの一つは、マツコさんの反応だと思います。マツコさんの反応があって、番組内容から視聴者は面白いという反応を表すことが出来るのだと思います。ということはそういう番組として適切なマツコさんの反応を引き出すような構造を、番組は用意しなければいけないと思います。(というか無意識的にそういう題材を選んでいるのかもしれません)

そこで重要なことが「空白」の適度な認知(構築)なのです。換言すれば、「マツコの知らない世界」では、「知らなさ」を極端に肥大させることなく、また知らない世界を体験するマツコさんや視聴者が、大きな不信感や恐怖を抱かない程度に、「知らなさ」を適切に有限化しなければならないのです。

とどのつまり、この番組でカギとなるのは、「知らない世界」という要素のみではなく、「知っている」という要素もだということ。知っていることに対して、どれだけ知らないかというその塩梅が重要。なので、「カレーについての知らない世界」は、この意味で非常に扱いやすいテーマだと考えます。というのも、ある程度認知されているという「知っている」の土台が存在し、知らない知識を、知っている知識と対比させて「知らない」と記号付けすることが可能だからです。

「カレー」というものを知っているけれど、市販されている調味料を使ってオリジナルのルーを作ることができるのは知らない。こういうことが簡単に出来る、言いかえれば、「自分の既存の知識をどれだけ土台として活用し、知らないものを自分が理解できる形で有限化」或いは、「大きな不信感や恐怖を抱かない程度に、「知らなさ」を適切に有限化」することが、難しくはないということなのだと思います。

「マツコの知らない世界」とは、もう少し丁寧にそのタイトルを書くとしたら、「マツコさんが(或いは視聴者が)知っている知識とは乖離し過ぎてはいない程度の分野で、マツコさんが(或いは視聴者が)おそらく「知らない」というラベリング・記号付けが容易な世界」なのだろうな~と思います。このタイトル(仮)を基にすると、「人間の身体の胸郭と骨盤と脊柱の構造とその不思議」或いは、「人格の環境依存性と鏡像段階」の知らない世界の不自然さや、それを選ぶ蓋然性の低さが分かるかなと思いますよ。

ということで、「マツコの知らない世界」をみながら、何となーく思った(であろう)ことをちょっと文章化してみました。もちろんこの考え方は正しいわけではないし、穴だらけでしょうから、それは変でしョと思われてしまうかもしれません…さて、アナタは、どう考えますか?




今日も大学生は惟っている


参考文献

千葉雅也.2017.メイキング・オブ・勉強の哲学.文藝春秋


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