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多分、「フツウ」の就活に向いてない。


ずっと遠くにあると思っていた、「就活」「労働」「企業社会」といったものが、いつの間にかもうそこまで来ていた。

「シューカツ」という響きの言葉が、なぜか悪いもの、気味の悪いものとして刻まれていた私は、「シューカツ」やその先にある環境や状況が怖くて怖くて仕方がなかった。その「シューカツ」とやらで人が死ぬこともあるのだから、なおさらはいそうですかと受け入れられる気がしない。

hspやinfjという気質も相まって、ミンナが一様に、当たり前のように行っている「シューカツ」が、自分にはどうにも向いていないようにしか思えないと痛感した。


まずなによりスーツが嫌いすぎた。あんなにピッチリとした、血液の通りが悪くなりそうな服を、よくも着ていることが出来るなぁといつも疑問に思う。

ESとかエントリーシートとか、その単語について聞くたびに、「強制された個性」や「取り繕った性格・能力」、「みんな個性的という無個性」という言葉がいつも脳裏をよぎる。

大学を卒業してもいない、あるいは卒業したばかりの20そこらの青二才の多くが、起業家や天才のような明確なビジョンを持っているように思えない。

そもそも、生きる意味も目的も、死ぬ意味も価値も、働く意義も碌に考えたことのない若者が付け焼き刃的に造り上げた個性を振りかざしてその場しのぎで「採用」の為に白目をむきながら頑張っているのが、奇妙に見える。

今は大丈夫かもしれないが、後々結局後悔するなら、その「シューカツ」に持続的な有用性はあったのかと疑問に思う。

どうしても働かないといけない状況を抱えた人もいるだろう。自分を殺して、とりあえずお金の為に。ただ職に就くことが重要であると思わざるを得ない状況にいる人もいるだろう。私は、その人を否定するわけじゃない。


ただこれは、自分に大きく関わる問題だから。

その場しのぎだけのものが、自分を不幸せにするなら、今の「シューカツ」に囚われたくはないと思う。

生きる意味を、働く意味を、社会で暮らす意味を、人間として在る意味を。もうモーレツ社員のように、企業でただ馬車馬のように働いて、一つの企業に憑りついて安定を得られる時代では、とっくのとうに無くなっているのだ。

企業の年齢はどんどん短くなるのに、人間の寿命はどんどん延びて行く。どういうことよ・・・?

ねえ知ってる? 

「シューカツ」って「エピソード」っていうものが必要らしいですよ!「エピソード」って面白おかしくて、刺激のある話ですよ。たかだか一介の大学生に、「エピソード」があると思いますか?

そういうものが無いとして、それを取り繕う以上に酷い話がありますか? 個性という無個性振りかざして、振りかざされて、何が楽しいヽ(・∀・)ノ?

大学中にとりあえず内定をとったところで、それがとりあえず受かればいいという態度で成されたものならば、それで本当にいいのか? と思ってしまう。でも世間は、「受かること」を依然気にしているように見える。それが、(オルテガのいうような)大衆の意見なのだろうか。

入社した後にしたいことを明確にした上で、入社する人もいるだろう。しかし、そのビジョンさえも繕って、創り上げてしまうこともある。まぁその場合が、割と多いのだと思うけれど。まぁ、自分の思い通りになることの方が少ないのだから、就活をする時点で、ある程度他人に沿わなければいけないのだとは思うけどね。

じゃあ、自分のやりたいことやってみるかと言われても、それが全くと言ってよいほど思いつかない。好きなことをしてみればいいと言われても、そもそも自分てなんなのだろうと、すぐに哲学的疑問に逸れていく。

あぁ

多分、「フツウ」の就活に向いてない、なぁ。



今日も大学生は惟っている。



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