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生きること、真実を亙めること

カントの哲学研究者、中島義道の著書を読んでいると

よくカントの倫理学、道徳的善について考えが出てくる。

自分の、もしくは誰かの身体、精神、財産の利益と誠実性のどちらかを優先するかとなった場合に、後者を選ぶのが、カント流だ。ショーペンハウアーとは違う。

そうして色々本を読んでいると、

常に真実を求めていることと、生きることは対立しているようにしか思えなくなる。

集団の素早い意思統一のための統一のためのメカニズムとして、付和雷同の心性はとても効率的である。〔中略〕人間に限らず広く動物を見ても、多数の他者の判断に従う行動は、多くの場面で種の繁栄にとって有利だったに違いない。(全卓樹、2020、96-97)

つまりは、多数の他者に従わない行動は、種の繁栄に不利だということになる。

社会の俗説を疑い、真実に対して誠実であろうとする行為は、やはり生物的には欠陥機能なのだろうと思ってしまう。

(しかし、民主主義という観点から見れば、そういった俗説、大衆の意見に立ち向かうことこそ、人類が生き延びるのに必要なことだとも考えられる。)

こういう事を知るたびに、人間の「生」とは?と考えてしまう。

だからといって、そう簡単に答を出すべきなのか?


やはり、すべては極論、相対的で、そもそも答など無いのだろうか。

だとしたら、我々の「考える」力は何のためのものだ?

何故相反する能力を持ってしまったのだろう?

なぜアリのように、社会的な生物として完成していながら、「生」というものに反抗できる力を持っているのだろうか?



今日も大学生は潜考している。


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引用文献

全卓樹. (2020). 銀河の片隅で科学夜話. 朝日出版社


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