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ギリシア精神とアルファベット

「文字」

今でこそ、あらゆる人々が使用することが出来るのが当たり前ではあるが、当然のことながらいつの時代もそうであったわけではない。文字を取り巻く状況一つとっても、そこには大きな転換点ともいえるような出来事が起こったのかもしれないのである。

久雨

が続いているこの頃、晴れであろうが、雨であろうが、読書に傾倒している家屋の中の雨耕雨読の私は、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」の下巻の一文を一瞥し、ヨーロッパ思想の根幹に思いをはせている。

ギリシア人は、フェニキア人からアルファベットを借用し、それに自分たちで考案した母音を加えて、ギリシア語アルファベットを作っていた。宮殿に仕える書記だけが読める文書のかわりに、ふつうの人びとが文字を使って詩や小話を自宅で読んでいた。〔中略〕文字は、簡単で学びやすいアルファベットが登場して初めて、一般大衆が使えるものとなった。そして、詩やユーモアを表すものとして広まった。(ジャレド・ダイアモンド、2019、50-51)

次に、「ヨーロッパ思想入門」からも引用をしたいと思う。

ギリシア人もまた、太古においては、王政の下に隷属的な生を生きていた。しかし、しだいに人間は本来みな自由な存在者であり、そのかぎり平等な存在者であるという自覚に達する。この自覚にもとづいて創造されたデモクラシーこそは、二一世紀になってもいまだそれの地球的な規模での実現が望まれている理想であり、ギリシア人の創造した人類への最高の贈り物であった。(岩田靖男、2003、ⅰⅰⅰ)

『銃・病原菌・鉄(下)』の引用文に見受けられる、文字の進化的な開発とそれに伴う文字使用の人々への流布は、単に文字における変革という一つの視点でとらえるべきなのか。

いや、それだけではない。

この、文字の発展は、特にギリシア人の文字の発展に関して言えば、ギリシア人の思想や精神を見逃すことが難しいのではないだろうか。

引用文にもあるように、ギリシア人精神の根幹は、「自由」「平等」という今の民主主義と、ほぼ同じような考えが基になっている。

しかし疑問に思うことが、文字の大衆への発展と、「自由」「平等」という思想の蔓延は、どちらが先かということだ。

人びとを隷属させるために使用されてきた、「文字」が、全く異なる方向に変化した原因とはなんだろうかと考えたときに、思想の方が、つまり社会としての変化の方が先なのではないかと考えた。

しかし、ギリシアで、民主制が見受けられるようになっているのは、前7世紀~前6世紀ごろ。「銃・病原菌・鉄」には、前8世紀に既に文字使用の証拠がある。

おそらく、意外と容易に考えうるかもしれないが、文字使用の大衆化と民主制への転換が相まって、互いが原因でもあり、結果でもあるように、相互に影響を及ぼしながら、つまり相互触媒として、一つのポリス(アテネ)として拡大していったのではないだろうか。

こう考えると、ギリシアという一地域が、如何に強大な影響を後世に及ぼしたかを理解できる気がする。文字を皆が使えるようにすること、自由と平等を掲げる民主制、民主主義の根幹。現代でも依然重要な要素であるこれらを、ギリシア人たちは、持ち合わせていたのだがら。

ま、兎に角

文字の発展という人類史の一出来事でも、哲学の根幹の一つをなすギリシア精神と共に見てみると、単なる偶発的な現象ではないのではないか?と、別に視点から見てみることで、疑問をもてたり出来るもんだよ…





今日も大学生は惟っている。




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