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午前中の読書

5月8日。歩けば半袖で充分な外気の午前中、荷物を二つ持って坂を登り仕事場へ向かう。程よく汗ばむくらいの太陽に肌をあてる。鍵を開けて室内へ入り、荷物をおろす。窓を開け、午前中の空気を部屋へ取り込むと肩の力が抜ける。出掛けにバナナを食べて来たが、珈琲はまだ飲んでいないので湯を沸かす。豆を挽く。同時に食パンを二枚焼き始める。ドイツからやって来たのに何十枚も入って百円という紙フィルターの上に粉をあけて湯を垂らす。バタを冷蔵庫から取り出し、小さな木べらで細かく賽の目にする。途中でパンを裏返しつつ湯も垂らす。時代錯誤の可愛らしいキャラクターの描かれているジャムの瓶を取り出す。湯を垂らす。パンを取り出す。バタをのせ四方八方に分散させる。最後の湯を一息に注ぐ。ジャムを一匙すくいパンへ。それを二回繰り返す。ガラスの器に満ちた珈琲を陶器のカップへ移し味見する。パンを重ねてサンドにし、一口頬張る。サイドテーブルの脇にある読みかけの本を手に取る。

『女ひとり 中国辺境の旅』クリスティナ・ドッドウェル著 堀内静子訳 ハヤカワ文庫


原題は『A TRAVELLER IN CINA』1985年の出版で日本では89年に出されたようだ。2021年なら邦訳のタイトルは違ったものになっただろう。
旅好きの血を先祖から受け継いだというイギリス人が馬の背や時にはカヤックに乗りながら一人で中国を旅した記録。安易に旅情の感動秘話に仕立てず淡々と目指す土地を踏み締めるのが心地良い。現地の食べ物や市場の様子、服装、髪型、芸能といった風俗など彼女の垣間見た生活が土地土地で綴られる。初めて耳にする少数民族の名前が食パンの上で溶けたバターの香りとともに漂ってくる。チベット語での正式な別れの挨拶は一編の詩であることや、大理石の採れる大理という場所のあることを知りながらページを捲っていく。
著者が句読点で休息をとるのに合わせ、こちらもパンを口へ運び珈琲を飲む。そうして一つか二つ、エピソードをきりの良いところまで読み進め遅い朝食を終える。黄砂が飛ぶという予報の空に薄手のカーテンのような雲が広がる。それでも車は午後に向けた光を眩しく反射しながら通りを進んでいく。遠くの方で散歩させられている保育園児の群れが景色にパステルカラーを染みつけている。小ぶりな日傘が買い物の為に坂を下っていく。午後には大陸から旅して来た砂粒がここにも届くだろうか。



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