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読書中座記 藤本和子 『イリノイ遠景近景』

ドーナッツを食べたくなる本

 野球帽をかぶった男たちが、煙たいドーナッツ店のカウンターに腰を持たせかけ、コーヒーをすする。左手にはドーナッツ。彼らの他愛のないおしゃべりに耳を傾注させながら、著者は連れてきた子供にドーナッツを与えている。藤本和子著『イリノイ遠景近景』の35ページに書かれているアメリカの姿だ。

 このたった5ページ程度の情景を読むだけでドーナッツが無性に食べたくなる。しかし日本の私の暮らす街にあるドーナツ店はどれもこのイメージには小綺麗すぎる。さらに数十ページ読み進めると今度はホットコーヒーなる名前の町が登場する。人口の曖昧なこの小さな町にはガソリンスタンド兼よろず屋がある。店内は薄暗く、表には風見鶏代わりの看板が風に揺れているかもしれない。ここで給油する間に紙コップにホットコーヒーを入れてもらい、キャンディも買おう。
 さらに数十ページ読書を捗らせると、今度はワシントンに取り残された安アパートに暮らす78歳の現役ファッションモデルの女性の話や、葬儀館を引き継いだアフリカ系アメリカンの話を聞くことになる。キャンディの出番だ。

 こんな調子で出だしはアメリカの日常の細部が短く綴られていく。著者は自らの暮らす町の住人や出先の街で見かけた十色の人々を細かくメモしていく。彼女の聞き齧った話の中から、人間がどんな環境で何を支えにして暮らしているのかを垣間見ることができる。この辺りまでは給油の必要もなくあっという間に読み終えてしまうだろう。


ギヴ・ミー・シェルター以降


 本の後半は、それまでみられた快活で愉快な雰囲気は減少する。代わりに著者は日々の可笑しさで安易に濁してしまうことのできない境遇の人々の声を聞き取り始める。自らとは異なる生活に人生の居所を有する人々だ。著者である藤本和子さんは日本領事館に勤務したのち、翻訳業で広く認められた方だ。夫は大学で教えていたというから生活には余裕があったものと推測される。それでも彼女は高みの見物的に境遇の異なる人々を眺めるのではなく、どうしたら良いものかと思案しながら自ら出向いていく。放火癖のある宿泊者や、恐喝や殺人罪の前科のある男が来るかもしれないというホームレスの女性のためのシェルターを手伝いに行く。

そんな怖いことなら、もちろん行きたくない、とわたしは思ったが、「行くわ」と答える。

イリノイ遠景近景 藤本和子著    ちくま文庫 p.138

「どうしたら良いか分からないもの」に飛び込むのは勇気と勢いがいる。藤本さんはきっとその強さと怯まないアクセルを持った人だったように思う。
 彼女がベルリンで昼顔の花を摘む場面がある。ここで語られる言葉がずっとひっかかっていたのだが、読了してそれは夜更の小さな街灯のように輝く。彼女がときには盗み聞きによって集め、恐れながら飛び込んだ施設で聞き、凍った道を走破してノートへ書き写した人々への眼差しによって、その花は住処を見つける。

終わりに

 本の末尾に6ページほど、岸本佐知子さんによる解説がある。この短い解説もまた、その短さに反比例するような深い余韻を与えてくれる。ぼんやりと読書中に浮かんでいたことをしっかりと頷かせ、なぞらせてくれる。しつこくない料理上手な手による煮物のような読み心地だ。

そして最後に

 実はこの本を買うきっかけは逗子にある古書店でもらったものだ。その日、私は地元の新刊書店で良い本を見つけられず、逗子まで足を伸ばした。というのも以前その古書店"ととら堂"で見かけた小説を思い出したからだった。あそこへ行けば何かしらあるのではないかと思い電車に乗った。到着し、かつて見た棚の辺りを探してみたが、目当ての著者を見つけることができなかった。その作家というのが藤本和子さんの翻訳した小説家だったのだ。目当ての書籍がどこか別のところへ移されていないか店主に尋ねると、今は売れてしまって入荷もなかなかないと教えてくれた。そしてこうおっしゃったのだ。

「お好きな方は、その作家の翻訳者さんの本も探して読まれますね」

数日後、私は藤本和子さんの「イリノイ遠景近景」を手に馴染ませていた。

fine  -上町休憩室 管理人N-

本日紹介した書籍は・・
藤本和子著『イリノイ遠景近景』ちくま文庫 です。ありがとうございました。

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