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就職→結婚→出産したら幸せになれると思ってた件について

みなさんこんにちは、心と体を整えてるセラピストともかです。今日は少し、私の話を交えながら、幸せについてお話ししていこうかな〜と思います。

私たちが受けてきた環境の影響や学びについてお話ししていこうかな。

私はいま20代後半なんですけれども、同世代の人(おジャ魔女ドレミ世代)です。

そのくらいの人ってちょーーーど、自由な生き方を出来る人(例えば、男性と女性どっちで生きたいかは自分で選べるとかね)と、そのような生き方が出来ない人に分かれてきて、後者の人は、自由に生きれなくてちょっと苦しいんじゃないかなぁ?と、思っていて、それを書いていこうかな。

これは、自分と向き合って気がついたんだけれども、わたしは集団行動が苦手で、ほんとに小さい頃から学校が大嫌いだった。

意地悪してくる子はいるし、競争したくないのにさせられたり、エコ贔屓(ひいき)してくる先生がいたりしてすごく嫌だった。

競争させられて、伸ばす。そのような考え方が本当に嫌だったと思う。

みんなが、何考えてるかわからなくて怖くて、自分は、人の顔色伺ううちに、周りを察知してるうちに出遅れちゃう感じだったし

勉強がめーーーーーーーちゃくちゃつまんなくて、本当に苦痛だった。でもやらなきゃいけないからやる、みたいな。

平均値にするより、得意を伸ばす。みたいな教育が当時から流行ってたら良いのにな、と今すごくかんじています。

日本の教育って、みんなを底上げして平均値にする。みたいなイメージがあります。

私は、どのフェーズでも学生時代は、お友達から仲間はずれみたいなのを当時ずっと受けてきていて、きっと周りから見たら変だったんだと思います。

変わってるってだけで、みんなの普通じゃないだけで受け入れてもらえなかったよ。(どこがわかってるかわからないけどね)

小さい頃から、なんでやらなきゃいけないのかな?って考える子で、でも、きっとやらなきゃいけないんだと感じて必死に周りについてきた感覚があります。

なぜ前置きでわたしの小さい頃の在り方の話をしているかと言うと、こういうあり方の人はもれなくマジョリティ側の人間だよ!自分の幸せ見つけよう!って言うのを伝えたかったです。

わたしもそれが自分の中で当たり前で、みんなと違う事に気が付かずに苦しかったから。

簡単に説明すると私はこんな人間↓↓↓

小さい頃から、めーちゃくちゃ繊細でいろんなことに敏感、不安や恐れが強いタイプ。自由が大好きで、世間の常識は「???」なタイプの子供で、なぜ人と合わせるの?みんなが自由でいたら調和じゃん!が、もともとわかっていたタイプの人間だった。そしてHSP.エンパスですし、共感覚。

というタイプの人間が感じたことを書いてます。

そして過去の私は、官公庁の設計士として働いていたんですけど(こんな繊細で意思のある人間にはツラァな職場)1人の大人として、1人の女性として、感じていたことを書ことを書こうかな。

いまから、書くことは同じような人の参考になったら嬉しいです。

そして私の育ってきた環境による意識の話も関わっているので、そちらも書いておきます。

私の母は、結婚→出産→家庭に入る。のが当たり前の価値観で育ちました。

女性は、料理ができたり、男の人より仕事ができるというよりかは、おしとやかで真面目でいい子。そのような子が好かれるんだ。必要とされる。旦那さんを支えること、家庭を守ることが1番の幸せ。と教わって生きてきたように思えてました。

そんな母は専業主婦で自立しておらず、母の実家はお金持ちで私の父は貧乏。

母はの実家のは会社を経営していて、そこから逃れるために母は父と結婚します。
母は、普通に就職したかったらしいですが、それは叶わず、家の手伝いをさせられてしまいます。
それが嫌だということもあり、母は父と結婚します。
母を助けた私の父はわたしが13さいのときに亡くなります。

私の母の印象は、

・常にいい人で疲れている(いい人でないといけない)
・人を受け入れていない(人付き合いがあまりない)
・人にすごく気を使う(迷惑をかけてはいけない)
・ダメな自分がいるので常に完璧を目指す
・自分を恥じているので見栄を張る
・傷つきやすい、プライド高い
・↑のくせに自己肯定感が低いので人を持ち上げる、褒める

こんな感じで、自分に対してものすごくコンプレックスがあるのに、当時はセルフラブとかないので、自分をいい子に見せる仮面、好かれる仮面を常に外でしていて、家では厳しい、ヒステリックママでした。

それでいて、自立してないんで、お父さんが亡くなった時はやばかったです。

自立に必要なことって、自分を認めて愛してることだなあと思います。そうしないと生きづらさって消えなくて、他人にどうにかしてもらおうとしてもらいがちだから。

他人にどうにかしてもらう部分も、もちろんあるんだけれど、個性が強くて、意見があって、強いくせに依存体質の人は自立した方がいいんじゃないかなと思います。

とにかく父が死んで母1人でやってくしかない。となり、私たち子供「🫠🫠🫠」

私が母から教わったことは、自立しないと人生はダメになる。ってことと、人との関わり方が、上部の関係になりやすかったり、自分を偽って生きる生き方を教わってしまいました。

つまり、世の中の普通、人の普通に合わせて生きようとした母の生き方を真似していました。

・常にいい人で疲れている(いい人でないといけない)
・人を受け入れていない(人付き合いがあまりない)
・人にすごく気を使う(迷惑をかけてはいけない)
・ダメな自分がいるので常に完璧を目指す
・自分を恥じているので見栄を張る
・傷つきやすい、プライド高い
・↑のくせに自己肯定感が低いので人を持ち上げる、褒める

この特徴、過去の私でもあるんです。

私は、母に愛されたかったので真面目ですごくいい子でした。だから、合ってなかった公務員にまでなってしまいました。そこには「絶対こんな母親にはなりたくない」「何も出来なくて子供に苦労させる親にだけはなりたくない」「お母さん大変だからわたし仕事がんばる、お母さんや家族を守る、助ける」と思って、手に職がある設計士になりました。

職を持っていた方が、いいと学んでしまったし、自分のやりたいことよりも、家族を支えるとかの役割を担うのが先で、自分の好きとかそーゆーの優先してる場合じゃなかったということもあります。

だから、あんまり自分のことを考える余裕なんてなくて、小さい頃からそんな洗脳があったので、就職したら結婚して子供産んで幸せになることで救われるんだ、いい旦那さんに出会えたら幸せになれるんだって勘違いしていました。

でも、全然違った。

私たちは、もう、個人個人の幸せを在り方を見つける社会の風潮になっていて、私はそれよりちょっぴり早く、向き合いさせられた。これに気がついたのは、四年前です。

わたしは、当時、ずっと外側の要因で埋めていました。

当時はやっぱり学歴のコンプレックスや見た目のコンプレックスも凄かったし、とにかく自分の不足を埋めるので必死で、さっきも書いたように気を配りまくり、周りにすごく愛想が良くて疲れていた。

生理前になると、気持ちが爆破して、なんか死にたい気持ちになったり、付き合ってる彼氏には、「別れる」とすぐ言ってた。なんで頑張ってること認めてくれないの?!の一点張り。これ、本当はお母さんに甘えたかったけど、甘えられなくて辛かったのを彼氏にぶつけていたよな〜。と思います。

当時感じていたのは、外側をいくら埋めても、装っても、満たされない孤独感みたいなのがあって、それを恋愛で埋めている自分もいたし

恋愛で埋めてるうちに、恋愛ですら、埋まらなくなってきた。

そんなときこそ、変な人に出会ったりするよね(自分の本当に欲しいものに巡り合うためにわたしはモラハラと出会い、うつ病にかかります)

そう、そこで、やっっっとわたしはわたしを幸せにしたい。というか、自分の人生の責任は、わたしがとるものじゃん。1人が最高に楽しいときに出会う人と結婚したい。もう依存いやだ。って心から思ったんだよね。

当時は、もう25歳なのに結婚しなきゃやばいと思ってたし、正社員で、ちゃんとした仕事に就かなきゃって思っていました。

自分がフリーランスになるなんて、思ってもいなかったです。もう会社員が無理w

そして、自分で自立出来ると思ってなくて、男性に幸せにしてもらおう、養ってもらおうと思っていたんだよな。

でも、当時の私は母を見て苦しんで気がついていた。そんなのはおかしいことだって。やばいぞ!!って。

で、ちゃんと働くんだけど、小さい頃から父が死んだりして、生きるのに必死で、甘えられなかったので、外に求めるために、自分を偽ってなんとなーーく、みんなに合わせて生きてきたら、本当に生きづらかったんだよね。

ここでみんなに伝えたいのは、ほんとの幸せを見つけるまでに色々乗り越えなきゃいけない壁があって

それは、他人から影響を受けた価値観を脱ぐこと。

これが大切なんだよね。学んできたことが間違っていることに気がつくことが大切。

そして、自立ってめちゃくちゃ大切。依存体質でも別にいいんだけど、他人軸になって、人に合わせるのがキツイ人は特に必要かも。

そして、他人の価値観を自分に装備してるときは、満たされないニーズ(愛されたい、認められたい、不安の解消)などから、守るために他人の価値観を装備して自分を守っているから、自分のことを見失いがちだから、それも生きづらさの原因になんだよね。

だから、自分らしく、自分の幸せを見つけるって時間かかる。でも、なんとなく不幸よりずっとマシじゃない??????

時間がかかるのは、他人の価値観を脱ぐために、洗脳から解き放たれたり、自分で自分を埋めたり、癒したり、しなきゃいけないからね。

私たちは20代後半に結婚しなきゃいけないわけじゃないし、女性は若い方がいいわけじゃない。男性と張り合うこともしなくていい。

女性だって毛が生えていてもいいし、男性だって泣いていい。男の子が男の子を好きでいてもいいし、女の子が男の子のおもちゃで遊んでもいい。

女の子も女の子を好きでいていいし、女性は、男性よりも能力があってもいい。男性だって甘えていい。正しさを張り合わなくていい。

肌は白くなくてもいい、ニキビがあってもいい。モデル体型を目指さなくていい。どんな見た目や容姿でも、自分の価値は変わらない。

組織や社会に合わせなくても、自分の人生の幸せは自分で決められるよ。

いい子じゃなくても好かれる。

こうあるべきってないから、みんなも自分の幸せを見つけて欲しいなって。

世間とか他の人はいろいろ言ってくるんだけど「こうあるべき」ってないからさ、もっと緩くてもいいと思うんだよね。

みんなの心のコンパスに従って進んでほしくて、それはきっと世間の普通から外れることかもしれないけど、それでいいんだよ。って伝えたいです。

あなたがどんな考えを持とうと、どんな感情でいても、OK。

正しさで個性や良さをかき消さないでほしいな,と思います。

誰かに届いたら嬉しいです。

読んでくれてありがとう!

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