4ヶ月経過:野生の勘

 9月に入ると涼しい風が通り抜け、朝晩は大分涼しくなった。喉を潤す冷たい緑茶から、ほっと安心する温かい紅茶へと体が求める物も変わってきている。

 この4ヶ月で大きく変わったことは、自分の動物的”勘度”が上がったこと。

 夜と朝の境目の基準が、太陽の光から、セミや鳥の鳴き声などの音情報へと変わった。空の色が変わり始める紺色の空に、セミの鳴き声が鈴虫の音へ混ざり始め、鳥の音が増えていく。現在は、温度変化や太陽の位置を音で感知するようになった。

 雨についても、天気予報の雨と、夕立の雨だと、雲が向かってくる方角も変わってくるし、風の吹き方や鳥の反応によって、どのくらいで雨が来るかもおおよそわかり始めた。山は、水を集める役割と、水を溜める役割があることを教科書で学んだ以上に経験で学ぶ。

 最近の日課は、畦道を散歩すること。
 畦道は、街頭が一切無いので、満月や、月の光がある時は、道が比較的見えるが、月が無い時は、1m先の人さえもよく見えない。自分の位置を把握するために、遠くの集落の街灯の個数を覚え、それを基準にして歩くようになった。 
 そして、この暗闇散歩が、現在1番贅沢な時間だと思っている。暗く広大な土地を歩くと、視界に入ってくるのは、薄らと浮かび上がる山々と街中心部の光のみ。自分から光を発しないかぎり虫も大して寄ってこない。どんなに歩いても山に近づくことはないので、風や水路の音に耳を傾けることができる。この散歩は、瞑想に近い心理状態だと気づいた。これによって、日中の興奮状態を落ち着かせる事ができ、日々の日課としてはとても重要な時間となっている。

 最後に、一番大きく変わった事は、虫を殺す頻度や虫の死骸を見る事が断然増えたこと。自分で週に1度以上は、虫を殺している。特にムカデは、危険なので家の中でもスリッパで叩き殺さなくてはいけない。見つけたら見逃さないように躊躇無く、即行動に移す。叩いても、体の一部が分裂して動いていることもある。そして、死ぬ間際のもがいている姿は、苦しみを全身で訴え、なんとも言えない気持ちになってしまう。深夜、殺す場合は、部屋に、苦しみの空気が残り、もがく姿の残像が、私を30分ほど寝れなくする。虫が日常生活の中にいることなんて普通なはずなのに、私の人生では、虫が居ない生活が普通で、それに慣れきっていた自分について、考えてしまう。

 自然は、とても素直で移り変わりをただただ受け入れるしかない。見たまま、感じたままを受けとることが不安から開放される手段の一つだとも学んだ。

 なんばのビルの上に作られた公園、”なんばパーク”には、高価な植物と室外機の音が鳴り響いている。鳥や虫の音など一切聞こえず、じっとりとした風に気持ち悪さを感じる。この4ヶ月で五感で感じる情報量の配分が随分と変わったようだ。

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