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HSS型HSP×INTJ女が初めての勤め先でのパワハラにより心が壊れた話

以前、私は転職前の勤務先で3度の休職を経験したことを書いた。

何故何度も休職を繰り返してしまうのか、その根本について振り返る度に思い出す、未だに許せない出来事が一つある。
私は心が苦しくなる度にあの頃を思い出しては、それに関わった者たちを呪いたくなるくらい苦々しい気持ちになる。

所謂パワハラ体験談だ。

私が大学を卒業後に勤めた先は市役所。所謂地方公務員であった。
その職業柄、業務内容についてはぼやかしながら書くため分かりづらい部分もあるかと思う。ご了承願いたい。


教育係が典型的な体育会系だった

タイトルの通りである。反対に私は典型的な文化系、加えてHSS型HSP×INTJでもあるために体育会系は大の苦手である。

初めての社会人経験に、どんくさく上手く立ち回れない私はいつも他の職員や市民・外部の取引先の目の前で怒鳴られていた。私以外にも仕事を早く回せない人がいたら、同様に大勢の前で怒鳴られていた。HSP気質の私にとって地獄のような環境だった。

毎日泣きながら帰る日々

具体的に業務について教わった記憶はない。恐らく”見て覚えろ”のスタンスだったのだろう。それすらも言われたことはない。自分なりに見様見真似で頑張ってみては業務時間内に全ての仕事を回し切れず、馬鹿にしながら再び怒鳴られ、一人で残業を課せられる日々だった。毎日泣きながら仕事をこなし、涙を拭いてから事務所に戻っていた。泣いているところを見られようものなら、「お前に泣く理由ないやろ」とまた怒鳴られるからだ。

教育係は役なし職員の中で一番年齢もキャリアも上、民間からの中途採用で入ってきた人だった。平の職員は全員教育係のイエスマンだった。そして、彼は目上の人に対するゴマ擦りが非常に上手い人でもあった。
彼は私一人がなかなか事務所に戻って来ず作業場に籠っていることをどう説明していたのか、あるいは上司は気付いてすらいなかったのか、上司にも思うところはあった。

帰り道、暗い夜空を見上げながら(私はなんでこんな日々を繰り返しているのだろう)(全部私が悪いのかな)そんなことを思い、泣きながら帰った。

突然始まった一人暮らし

ある程度貯金が貯まってから始めようと思っていた一人暮らし。親の仕事の都合により、突然1か月後から始めなければならなくなった。

毎日泣き腫らして帰ってくる私を一人にすることに母は心配してくれていたが、結局私は不安定な状態のまま一人暮らしを開始した。

今までは母が愚痴を聞いてくれ、何とか家では平常でいられた。
しかし家に帰っても誰もいない環境では吐き出すことも出来ず、家での時間を上手く切り替えられなくなっていった。

不安と孤独が苦しかった。

誰にも気付かれることのなかったパワハラ

忘れもしない、11月の始め。いつものごとく怒鳴られた私は、遂にキャパオーバーしてしまったのだろう、仕事中に涙が止まらなくなってしまった。
それをたまたま見かけた上司が慌てて私を事務所に呼び戻し、そこで漸く4月から続いていたパワハラによる心の疲弊を伝えた。疲弊だろうか、もう壊れていたかもしれない。今まで気付かなくてごめんと上司も泣いてくれたが、私は誰の言葉を信じたらいいのか分からなかった。だけど凄くほっとした。

上司は教育係と、彼に加担し私を横目で嘲笑っていた職員を呼び出し、注意をしてくれた。反省して、もう二度としないと話していた、と聞いた。
私と教育係たちは違う作業場で仕事をすることになった。

すると、今度は無視が始まった。そして、難解な仕事を私に回してくるようになった。基本的にその職場は残業禁止だったので(以前は別の業務時間を潰して作業をこなし、休日に手が回らなかった分の事務処理をしていた)、仕事を持ち帰らないと追いつかない状態になっていた。(本来職場の備品なので持ち帰っていいものではないだろうが、個人情報や書類等を取り扱わない編み物の外部委託だったので毛糸とかぎ針だけ持ち帰って家で編んでいた)
自分は何をしているんだろうという虚しさとともに、何も言い返せない自分にも、一回りも年下の新卒をいちびる教育係の懐の狭さにも、職員を全然見ていない他職員や上司にも、全てに腹が立った。

その後の私にもたらした影響

職員全員異動することになった。自治体都合によるものなので極力希望は通すということだったが、私は行きたくないと答えた部署に、”教育係”とともに異動することとなった。最悪だった。

恐らく異動して来たタイミングで、私のメンタルは摩耗し切っていたいたのだと思う。

それからの私は”自分は仕事ができないお荷物”だという呪いに掛かり、一度ミスを指摘されると自分の言動全てに自信がなくなった。自分が任された仕事は自分ひとりでこなさないと、という強迫観念に駆られ、予定のない休日は職場でサービス残業をした。ある日、出勤後に突然立ち上がれなくなり、よく分からないしんどさが身体全体を包んだ。
異動先では上司や先輩らに恵まれ、すぐ帰るように、そして病院に行って休職をしたほうが良いと説得してくれた。周囲の優しさと自分の不甲斐なさにまた涙が止まらなくなった。

その結果の休職だと私は思っている。

今思うこと

どうしても教育係(とその金魚の糞)が許せない。
今でも退職する前に、二人からのパワハラの告発をすれば良かったと思う。
何なら今からでもそうしたいくらいだ。
しかし教育係にも金魚の糞にも家庭があり、恐ろしいことに二人は父親でもある。流石に家庭を壊そうとまでは思えなかった。
何より悔しいのが、恐らく二人は私のことなどすっかり忘れているだろう、ということだ。私だけが未だあの頃の怒りと憎しみに取り残されている。

未だにあの時こうしていれば、と恨んでは、涙が止まらなかった日々を思い出す。だけど、時は戻らないし、今の私を呪縛から解き放てるのは私しかいない。
それに、INTJである自分の性格を俯瞰で見ると、公務員という仕事自体にもストレスを感じていたのかもしれない。公務員になった時に大喜びしてくれた祖母の姿を思い出すと、(教育係との出会いが無ければ辞めなくて済んだかもしれないのに…)と当時は相当恨んだが、今更公務員になる気もない。

心の中で”他人にしたことは必ず自分に返ってくるぞ”とささやかながら相手の不幸を願いつつ(心の中で他人の不幸を願うことくらいは許してほしい)、前を向いて今出来ることを全うしながら生きたい。

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