見出し画像

大人になっていく人達と停滞気味の自分~美容師になった友人の話~

梅雨が明けた8月のころ。

傘が手放せない日々も終わりを告げ、一歩家の外に出れば強い日差しが降り注いでいた。少し歩いただけで背中に汗が滲む。

僕は汗っかきの人間なので、逃げ場のない暑さに閉じ込められるこの季節が苦手だった。無論、夏が嫌いというわけではない。海水浴もBBQも花火も大好き。

しかし、如何せん汗をかく。Tシャツはびっしゃり濡れ、ベトベト肌にまとわりつく。その状態で過ごすのがこの上なく嫌なのである。なるたけクーラーの利いた涼しい部屋にこもっていたい。

とはいえ、今年は不要不急の外出が憚られるコロナ禍である。例年の夏とはガラッと変わった。僕は大学院の研究室に足を運ぶこともなく、就活もほとんどオンラインでの面接に切り替わった。灼熱の外気に触れることなく、家の中で全てが完結される日常が訪れたのだ。

当初は快適な暮らしであると大いに満足していたが、流石に時間が経てば外の空気も恋しくなる。変わらない家の風景にも飽きていた。

こんな所にばかりいては鬱屈してしまう。僕はこの鬱々とした空間から避難するため、月初めの日曜日に久しぶりに美容室へ向かった。



いつもは最寄り駅に近い美容室で髪の毛を切ってもらう。おしゃべり好きのおばちゃんが僕の担当で、気さくに対応してくれるのがうれしい。

ついつい大学院に生息する変人の話とかアルバイト先の愉快な客の話をして、たまにおばちゃんから近所の穴場のご飯屋さんを教えてもらったりする。

おばちゃんはドライヤーをかけている最中も話しかけてくるのでこちらも声を張らなくてはいけないことがある。

くわえてまぁまぁ長いこと話しかけてきた挙句、「どう思う?」なんて聞いてくることがある。思わず「え?」っとおばさんの方へ頭を向けると、「あぁ動かさないで。乾かないでしょう?」といってくる始末だ。ウォンウォンとドライヤーが耳元で響いていることなんてお構いなしである。
少しお茶目な人だ。

それでもカットの技術はとても高くて、毎回想定していた以上に良い感じに仕上げてくれる。僕の要望に答えつつ全体のバランスを整える技術はピカイチなのである。


しかし、今回行く美容室はそこではない。少し遠出をして下北沢まで行く。高校の同級生がそこで美容師をしていて、今回は彼に髪を切ってもらうからだ。

5月ごろ一度連絡があり、「髪を切らせてくれない?」と声をかけられていたのだが、その時は就活中で忙しく断っていた。申し訳なく思っていつか行こうと考えていた。

2週間ほど前、再び彼からDMが届いたので遠慮なくお願いした次第である。


高校時代、彼は自由に生きていた。同じバスケ部に所属していた仲間だったが、しょっちゅう粗相を犯しては部停になり、何十枚もの反省文を書かされていた。いわゆる問題児だった。部活の実働時間よりも部停していた期間のほうが長いのではないかとすら言われていた。


そんな彼が一端に働いているらしい。
どんな仕事ぶりなのだろうと気になっていた。


画像1


しかしまぁ下北沢なんてお洒落な町には縁がない人間である。渋谷から京王井の頭線への乗り換えすら手間取った。さながら上京してきて背伸びをしてみたものの見事に失敗した人みたいだ。

電車の中にいる人が全員お洒落でイケてる人たちに見え、いつもは気にしない洋服のしわを整えたりシャツの襟を直したりしたが、界隈の住人からすればその姿さえぎこちなく映ったに違いない。


改札を出ると目の前に青空が広がっていた。
高い建物が少ない街である。その代わり小さな路地が入り組むようにあり、それぞれにテナントショップや飲食店が立ち並ぶ。小さな劇場の看板の脇には若手のお笑い芸人らしき集団がライブの呼び込みをしており、その前を人々が行きかっていた。


線路に沿って少し歩いた先に踏切があった。そこを渡って反対側へ抜けると駅前の喧騒から少し外れて閑静な住宅街に変わる。彼が働く美容室はその変わり目の場所にあった。

画像2


「いやぁ、ほんとありがとう」

お店に入ると、彼は金色の髪の毛をなびかせながら迎えてくれた。以前会った時よりも大人びて見えた。久々の再開が自分の職場だったからか若干の他人行儀感があったが、それもしばらく話しをしているうちに消えていった。

気さくで明るい性格は、高校の時と変わらずそのままだった。


店内はコンパクトにデザインされ、低めなトーンの照明のおかげか温かみのある雰囲気に包まれていた。白い壁面に並べられた木製の鏡台も優しい色合いである。

「今日どうする?」と尋ねながら、彼はてきぱきと道具を整えていった。歩くたびに腰につけたポーチが揺れ、カチャカチャとハサミが触れ合う金属音が小気味良く響く。


彼は僕の後ろに立つと髪の毛を持ち上げて毛並みを確認するように眺め出した。

「やっぱり緊張するもん?」

と聞くと

「もうだいぶ慣れてきたよ」

と返ってきた。実際、彼のインスタには高校の同級生たちが度々UPされていたからそれなりに経験は積んできたのだろう。髪を扱う手さばきも丁寧で優しかった。何度かその作業を繰り返した後、彼はようやくハサミを入れていった。



彼が美容師を志すようになったのは高校1年生の時だったという。友人に「お前美容師になれよ」と冗談半分で言われたのがきっかけだった。

当時、カットをしてもらっていた美容師に憧れていたものの、その時はまだ決心する勇気がなかった。かといって大学に行って学びたいこともなく進路をどうしようかと悩んでいた時、たまたま知り合いが夢を叶えてカメラマンになったことを聞いた。

「進学せずに仕事に就く道もありなんだな」

そうして美容師になる決意を固め、専門学校の門を叩いたのである。


卒業後、彼は美容師の見習いを始めた。しかし今に至るまで決して順調ではなかったという。最初に就職した美容室は20人に1人しか入れない人気の店舗だったが、その分指導も厳しく付いていくので精一杯だった。

試験にパスできず、全然前に進めない。苦しい日々の中で次第に周りとの間に差が開いていき、置いて行かれる焦りだけが募った。

何度やっても認めてもらえない環境で、「本当に悔しかった」というほどの挫折を味わった。結局、彼はその美容室を離れた。


その後、さまざまな縁があって今の美容室で働いている。幾つもの決断があり、今ようやく軌道に乗り始めた所なのだ。


美容師を辞めようとは思わなかったのか。気になって尋ねてみたが、それはないと彼は即答した。仕事そのものは好きだし続けたいのだという。

「勉強したことがすぐに生かせるんだよね」

スタイリストになるまでには何十という試験が立ちはだかるが、学んだことを実践できることが何より面白い。

「だから今は勉強も好きだよ」と、かつての問題児は楽しそうに笑った。



店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。昼間の猛暑は街に吸い込まれたみたいで、取りこぼされた熱気が所々に転がっていた。街灯が煌々と照らす道を、僕は駅に向かって歩いた。

難関の美容室に就職しながら、その環境に馴染めず辛酸を嘗めさせられた悔しさ。苦い経験を味わい、焦燥感に駆られる日々。しかし、それらを抱えながらも仕事は面白いと勉強に精を出す彼の純粋さな強さに思わず胸が熱くなった。

だからこそなのかもしれない。彼がふと口にした言葉にドキっとさせられたのである。

「俺からしたら、内定もらったからなんだって感じだわ」

就活を終わらせた知人らの話をしていた時、彼がふとそんなことをつぶやいたのだ。

どんな会社に入ったかなんてそんなに重要なのか。まるで自分のことを言われているような気がして思わず動揺した。

コロナによる混乱の中、何とか内定をもらったことに安心しうつつを抜かしていた僕へのある種の軽蔑。もちろん彼にその意図はなかったと思う。けれども彼が焦点に定めた抽象的な括りの中に、僕は間違いなく存在していた。

「入ってからのほうが何倍も大事」

滔々と語る言葉の背後に、彼の懊悩と超克の軌跡が見て取れた。一人の大人として先に社会に出た同級生が、一回りも二回りも大きく思えた。このままじゃあとても敵わんわと、己の矮小さを突きつけられた気がした。

僕の下北デビューは、懐かしい思い出に浸りつつもほろ苦いものでもあった。次、もう少し大人になって再び訪ねてやろうと心に決めた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?