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質問したいのに、無視される

学校の先生が、質問がある人ときく。
クラス中の生徒が、質問したいと挙手をする。
先生はいつも同じ人だけ指名する。全く指名されない生徒もいる。
娘が指名されない側だったら、どういうことですか、と聞きたくなる。毎回挙手をしているのに、一度もさされないのはどういうわけですかと。

そんな状況が、実際にあるのは驚く。
この世界は自由に発言できるわけではない。特に権力を前にして、自由な発言は制限される。政治家の耳に入る情報もまた限定されているのもうなづける。

菅首相記者会見。東京新聞の一面に載っていたので話してきかせると、三年生の娘もすぐに状況を理解できる。なんだか変だね、どうしたのかね、と思う。それを首相という立場にある人がやっている。小学三年生でさえ疑問に思う記者会見。子どもだからこそわかるのか。理不尽はどこにでもある。子どもがわくわくする未来は、ほど遠い。

9回の会見で、
19社のうち、一度も発言できなかったのは2社。「挙手の状況、内閣記者会とフリーランス等のバランス」が勘案されるという。しかし、東京新聞は毎回挙手しているというのに、無視されている。

権力、力というものは、一度の発言も許さない状況を作ることができるんだな、怖いものだなと思う。中国ではWeChatで、政府に反対する意見を投稿したその瞬間に、そのコメントは消されると聞く。力のない個人の発言もまた、力を持ちうるからだろう。そこまで必死になって、人間を使って、お金を使って、言論統制をする。私にはよくわからないけれど、権力者にとってはその価値があるのだ。何もない私が言っても仕方がない、とも思うけれど、でも何かの足しにでもなるのかなと期待してみる。

発言には力がある。実感はあまりないけれど、時々、言葉に力があることを垣間見る。

菅首相会見での質問回数、ざっくり幹事19社を記してみる。
0回は東京新聞と日本テレビ。無視されている。発言の機会が与えられていない。
6回が一番多くて、日経新聞とテレビ東京。
5回は毎日、読売、産経、共同、時事、NHK、TBS
4回は京都新聞
3回は朝日新聞、中国新聞、フジテレビ、テレビ朝日
2回は西日本新聞、ジャパンタイムズ
1回は北海道新聞

発言は、その機会を与えられなければできない、というところに権力の強さを見る。言ってもいいよと言われなければ、言えない。聞けない。こわい。記者と首相の力関係は、対等ではない。「国民は、法の下に平等」って、どんな意味なんだろう。


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