うた

ここからだ

うた

ここからだ

最近の記事

もやもや、依存、言葉

もやもやしているのは、依存のせい。依存しているから、もやもやする。依存によるもやもやからぬけ出すための秘密道具は、言葉。 依存体質は、すべてもやもやの原因である。 そう思う。 依存は体質だろうか。個性だろうか。もしかすると、環境によって作られたものかもしれない。私は依存しているから、環境のせいにしたり、育ちのせいにしているのかもしれない。でも、何が原因で私が依存しているのかは重要ではない。重要なのは、依存したいか、したくないか、自分で決めることだ。依存したくないなら、ど

    • 自分が空っぽ

      自分が何かを思えること、感じることを大切にして生きたかった。今でも、そう思う。 だから、誰かの心の底から出てくる声を聴くことが好きだし、心の底からの思いに触れることが好きだ。素直に、思うままに生きている人が好きだ。うらやましいと思うこともある。 ごくまれにしていたこと、カウンターに座ってお酒を飲むことが好きだった。誰かが話してくれる話を耳に入れることが楽しかった。今はもう夜にうろうろしなくなって、かわりにボイシーを聞いている。心からの声を、わきあがってくるような声を聴くの

      • 即断即決

        娘は即断即決ができる。決断は早いし、ゆるぎない。小さいときからそうだった。一方の私は優柔不断で、やはり小さいときからそうだったらしい。そして、私は今でも決断が苦手だ。娘は小学三年生になって、決断に以前ほどの速さはなくなってきたが、それでも決めたらぶれないし、潔い。どうしてこうなのだろう、生まれつきなのだろうか。私も即断即決の人になりたい。 小さいときにスーパーで、お菓子を一つ選ぶにしても、私はずっと決まらなかったという。妹は早々に決められるのに、私は決められなかった。お菓子

        • この子はもう嫌だね、捨てちゃおうかな

          娘をどうやって育てていくか。ここでツレとぶつかることが多かった。最終的に娘とかかわる私が決定権を握ってきた。だからかツレはたいそう不満があるだろう。もう娘の育ちにかかわることに口を出すことをあきらめたようだ。 だからだろうか、時々、自分の娘とは思えないと言う。折に触れて、娘にたいしても、いやだな、もういらないから捨ててしまおうかなとも言う。私にだけではなく、娘にもいうので、怒りがわく。 言葉に力があることを知らないのだろうか。毎日お前は馬鹿だと言い続けたら馬鹿になると感覚

        もやもや、依存、言葉

          満足はどこにある

          いつもなんとなく不安で、なんとなくさみしい感じがして、なんとなく不満。 いつからこうなのか。高校生くらいからだと思う。いやもっと前、小学生六年生から、はっきり不満を感じるようになっていた。意識していなくても、もっと小さいころから不満があったかもしれない。月刊の漫画を買ってもらうのに、毎月必死にどんなにそれが読みたいのかを滔々と訴えなければならない理不尽とか、友達とショッピングセンターに遊びに行くことを許されない理不尽とか、そんな現実に嫌気がさしていた。それでもその頃はまだ、

          満足はどこにある

          二十年前の試験

          人間にとって物語はなぜ必要か。 この問いは、二十年間ずっと引っかかっていた。学生の時の試験問題で、答案に何をかいたのか忘れてしまった。焦って、必死になって何事かをかいた記憶がある。成績はぎりぎり及第点だった。答案の内容ではなく、何がしか書いてある、その必死さに点数をくれたのだと思う。 この問題を出した先生は女性で、バレエをしていたように記憶している。年配で、とてもきれいだった。小柄で、姿勢がよく、足はまっすぐに伸び、痩せても太ってもいない。髪はショートで、嫌みのない魅力的

          二十年前の試験

          私なりの、PMSの乗りこえ方

          イライラは、毎月ある。PMSだと知った。いつもイライラがあるけれど、イライラの量は違う。生理が来てほっとして、今月はそういえばイライラが少なかったかなと思うときがある。軽いイライラの時がある。 そんなときは、毎回食べ物がよかった気がしている。自分でもまだ確信がない。でも、そう感じている。断言はできない。こうするとイライラが軽くなっているはず、という切実な希望も混ざっているから。だから、実際のところを知るのがちょっとこわい。軽くなっていないと知ることは、希望を失ってしまうこと

          私なりの、PMSの乗りこえ方

          海の中を歩いているみたい

          昨日は体が動かなかった。寝汗にきづくのは40歳だからか。部屋もなぜかモノが散らかっている。もともと片付けができないけれど、こまごましたものが、特に散らかっている。海の波に向かって歩いているように、思うようにことが進まない。片付けが進まない。ふっと、生理がきた。ああそうか、だからか。そういえば最近はチョコレートを買っていたな。砂糖を恐れてカカオ86パーセントにしていたのはよかった。砂糖はイライラさせるというし、イライラしたくない。バナナチップスをむさぼり食べてもいたな。そうだっ

          海の中を歩いているみたい

          子どもの靴

          私には8歳の娘がいて、小学三年生になる。今朝、彼女の靴を洗っていたら、穴が開いていた。今年の一月一日から履きはじめて、もう穴が開いている。驚いた。恐るべし小学生。 小学生になって運動量が増えた。毎日学校に行くだけで、片道二キロを歩く。三年生になり、体重も増えたので、靴への負荷が高まったのだろう。靴は、半年もしないで穴が開いてしまった。 娘のファーストシューズは、お下がりののニューバランス。ずいぶんきれいな靴で、しっかりしていて、サイズアウトするころには、ぼろぼろになるくら

          子どもの靴

          同じものを見て、共有できるなら、きっと幸せだろうな

          同じものに触れて、でも同じように感じていない。 その事実を知った時は、ちょっと衝撃的だった。 だから、分かり合える、というのはかなり特殊な出来事のようにも思える。 介護施設で働いていたとき、私は暑いくらいの室温でも寒いと訴える人がいた。驚いた。本当かな?私は半袖でも暑いのに、この人は寒いと言って半纏を着こんでいる。嘘を言っているようにも見えないし、嘘をついたところで何もないし、やっぱり本当に寒いんだろうなと思った。私は動いていて、彼女は座っているということも関係している

          同じものを見て、共有できるなら、きっと幸せだろうな

          先生に頼りすぎかな

          先生に期待することは、子どものやる気を引き出すこと。 もっと欲を言えば、先生は、子どもが毎日がわくわくして楽しいと思えるようなうれしさをはぐくんでほしい。 教科を教えるというのは、やろうと思えば家でもできる。でも、計算してみよう、漢字を書けるようになりたい、という意欲を引き出すのは、家庭では難しい。同じことでも、ママの言うことより、先生の言うことのほうが絶大に信頼性がある。書き取りして、といったお願いも絶大な効果がある。 オヤという立場にしかたてない私は、くやしい。どう

          先生に頼りすぎかな

          とりとめなく、娘との関係を思う

          娘の学校には登校班がある。近所づきあいのない左近、隣は何をする人ぞといった感じで、一つ道をはさめばどんな子供がいるのかよくわからない。だからなのか、一年生が学校に安全に行けるようにだろう、近くの子供たちをグループに分けて、登校班が作られている。 私の住んでいるこの場所は、外で働く人が多いのか、習い事なのか、子どもが夕方に遊ぶ姿がない。昼間は人の姿もあまり見かけない。娘が小さいときに散歩をしていても、一人の人間にも会わないということがよくあった。 それでも娘が小さいとき、お

          とりとめなく、娘との関係を思う

          初めて心を許してくれた日

          家には今、二羽の文鳥がいる。初めての生き物、初めての小鳥。幼稚園生くらいだという。二月か三月に生まれたばかりで、まだ三か月、でも、もう大人のようにも見える。 二週間前に一羽を迎え、ドキドキの一週間を過ごした。毎朝、生きているかどうかを確認して、生きているとわかってほっとする。そんな一週間だった。日中、一羽だけだとさみしいのかなと感じるようになった。家を開けて帰ってくるとつぶつぶの鳥の食べ物が盛大に散らかっているからだ。 家に連れて帰る前は、一つのかごに二羽で入っていた。も

          初めて心を許してくれた日

          完璧を捨てたい

          期限を設けられるというのは、つらいことにもなるし、動き始める原動力にもなる。 何かを書いてみたいと思って、一人で書き続けて、でも一銭にもならないことに不安を感じて、お金につなげられたらいいなと思った。採用されるかどうかわからない。でも、誰かが見てくれる、というのは単純にうれしいし、それがお金につながるなら、やっぱりうれしい。 しかし、書けない。普段は、思った通り、感じたとおりに書いているから、うまく見せたいとか、よく書きたいとか、採用されたいという欲目が邪魔をするのだろう

          完璧を捨てたい

          介護施設ですこしだけ働いていた

          娘が成長し、一人の時間ができると、働かなくては、と思った。でも私にいったい何ができるのか?知識も経験もない30半ばの私にできることはないだろうか。 スーパーはどうだろう。働けるかなという目で店内を歩いてみると、寒すぎてつらいなと思った。私は暑さには強いが、寒さには弱い。レジの人もカーディガンを羽織っているくらいだ。この温度の中で数時間を過ごすのは、体が持たないような気がした。同じ理由で、薬屋さんも、ダメだなあと思った。 私にできること、できれば私もうれしくなれるだろうこと

          介護施設ですこしだけ働いていた

          産後女性の死因の一位は、自殺

          そう聞いて、軽い驚きとともに、納得できる自分がいる。確かに、死にたくなってしまう人がいてもおかしくない。産後はそれだけ過酷だということを、どれだけの人が知っているだろうか。どれだけの人が自分事として感じられるのだろうか。どれほどの非常事態で、どれほどの救いが必要なのか、関心があるだろうか。 私はもう必死で必死で、熱が40度を超えても娘を大切に大切に、守るために、お風呂に入れたことだってある。ツレ曰く、お風呂は怖くてできない。今となれば、お風呂を一日二日入れなくても死にはしな

          産後女性の死因の一位は、自殺