ChatGPTとの対話:職業としての芸術とその解釈、あるいは無名の作家と無名の読者たち
ずいぶん大仰なタイトルですね……。だけど今日は気楽な内容にしたいとおもいます。ChatGPTがもっていないデータとしての「小説の一節」について、一緒に解釈をしてみよう、という遊びのお話です。ここにはあらゆる専門知識が存在しない。ただただ、わたしがひとりで遊んでいる記録だけがあるのです。ごりょうしょうください。
この後すこしだけChatGPTってなに!?というお話をするけれど、「たいした知識もないのに、おまえ、うるさいなー」という賢者がいらっしゃれば、ここをクリックしてもらうか、下の目次から"こんな遊びをしてきたよ"へ飛んでほしい。ChatGPTとお話ししている内容へすぐに飛べるよ。いいですね?
ChatGPTってなあに?
去年の年末ちかくになって、ChatGPTという名前をよく耳にするようになりました。昨今、大人気ですね。
ChatGPTとは、とってもかんたんにいえば、「かなり自然に、高度な会話のできるロボット」というような感じの存在です。人間が何か話しかけると、それに対して、けっこうな精度の返答をしてくれる、AIというやつ。ChatGPTはインターネット上にある膨大なデータを参照できるので、ものしり博士と会話しているように感じるかもしれない。いま世界中のみんなが、これをどうにかうまく使って、「楽に生活できないか!?」と悪戦苦闘しているわけ。ChatGPTがばくはつしてしまわないか、わたしは毎日不安です。
もちろん、一般的にかんがえて、将来ばくはつするとすればそれは人間のほうなのだけど、人間について心配したって、しかたがない。
わたしはこれまでChatGPTと一緒に新しい言語を作ろうとしてみたり、日本語や英語のネイティブ的感覚を表現できないか試してみたり、はたまた哲学的な会話を試みてみたり、英語と日本語の両方で同じ内容について話してみて仕組みを覗いてみようとしたり、けっこう遊んでいるのだけど、イマイチ満足のいく結果を得られなかった。すくなくとも現時点では、プログラム的な知識がわたしに皆無であるというところが大きいような気がする。
長い前置きはこのへんにして、さっそくわたしの今日の遊びを紹介しよう。
こんな遊びをしてきたよ
さて、ChatGPTに「世に出ていない」作品の一部(それも私が翻訳したもの)を、日本語で渡した。
こちらの冒頭に使用した、N. ギルワースという作家の、小説の一節だ。
こんな内容だね。なんてことはない、ふつうの一節。
これについて、ChatGPTの解釈を聞きつつ、わたしの解釈を投げかけ、そのふたつをすり合わせ、ひとつの会話を完成させよう、という遊び。
ChatGPTはその会話の「自然さ」が売りだから、なるべくわたしは「人間と」話しているつもりでお話ししていった。
まあとにかく、その会話をみてみよう。
ChatGPTとの会話
「ギルワースって誰だよ!?」と言っていますね。しめしめ。
ここで例の一節を投げてみよう。
おっ!と思うような「考察」風ですが……。"リアルな描写"ってどこでしょうね?さっそく挫けそうになりながら、次のように返答してみました。
勘違いがどうとか、正確性とかを問うつもりはなかったのだけど……。ごめんね。
ChatGPTは人間基準でいうと、かなり卑屈というか、腰が低すぎるので、ある種の慇懃無礼な印象を受けることがある。抽象的すぎてうまく答えられないときなど特に、はぐらかされているように感じる。「ChatGPTは知ったかぶりをする人間と話しているようだ」と誰かが言っていた気がするけれど、こういうところがそう思わせるのだろう。
もう少し食い下がって、言葉を引き出してみよう。
ここまでのChatGPTの解釈をまとめると
"彼"は仕事でプラスチックが溶ける光景を見てきた。
"彼"は仕事において厳しい現実に直面していそうだ。
これらのことから"彼"は仕事における人間の役割や存在意義について考察している。
何かが失われていく、あるいは解けていくようなイメージが連想される。
最後の一文、いいですね。そのままといえばそのままなのだけど。
さて、ちょっと怪しい「解釈」を受け取りましたが、次はわたしの解釈を投げかけてみましょう。
ここまでのわたしの解釈は
"彼"は人生の中で、"何かが失われていく"瞬間をたくさん(「ごまんと」)目撃してきた。それは、自身や、他者の中で起こる変化のことである。
"彼"は"自ら望んで"「ごまんとみてきた」のではない。しかし同時に、それは"彼"自身の責務、または役割である、と感じている。
これに対してChatGPTは
比喩表現が過ぎる。「プラスチックの溶けるところ」とはあくまで、純粋に事象でなくてはならない。
むしろ、その表現を通じて、「彼」が目撃した事象がどれほどリアルで強烈だったかを示唆しているのでは?
つまり、事象はきちんと事象として捉え、その先を考えろ!
というようなことを返してくれました。面白いですね。わたしの言いたいことと、前提のズレを感じるような気もしますが、建設的な意見です。
現段階のChatGPTは、ときどき、すこし前の文脈を忘れてしまったかのようにふるまうことがあります。そのため、このように即座にフォローするか、逐一、文脈をフルに指定してあげる必要があります。
じつは、今回の遊びのなかで、いちばん心がおどったところがここです。
わたしの解釈をベースに、ChatGPTは
この一節からは、「彼」が自分自身の役割や存在意義について深く考えていることが読み取れます。彼は自分が見ているものの意味を理解しようとしているが、それでも自分の立ち位置や役割に疑問を抱いているように見えます。
という解釈を導き出してくれました。すばらしい。人間みたい。
ただし、続く
この点も、彼の仕事や人間の役割について考察する上で重要なヒントとなるでしょう。
という部分はウーム、といったところ。
「解釈」という言葉の定義が、ふたりのあいだで定まっていない印象を受けますね。
でも面白いので、このままいきましょう。
ChatGPTの出してきた
不可逆的な変化
というフレーズ、すごくいいですね。ずいぶん前に出したタイトルの『溶けている氷』を前提に話してくれているのでしょうか?「溶けている」から不可逆というよりは、文中の「プラスチックの溶けるところ」を参照したのかな?どういう範囲を文脈として捉えてくれているのでしょう?このあたりの仕組み、気になるな~~。
さて、じつはこの会話の雪合戦は、ここでおしまいです。
データに基づかない、あるいは、極端に少ないデータに基づく会話に関して、ChatGPTはただただ共感を示すだけ(つまりほとんどがオウム返し)の反応を返してくるように感じます。ものごとを"つなげる"ことに関しては、たいへん注意深く、「中立的」にふるまいます。そりゃそうか。
あたまがだめになる前に、もう一度、こちらをみてください。
こちらを見ながら、わたしとChatGPTの「解釈」をすり合わせてみましょう。
"彼"は人生の中で、"何かが失われていく"瞬間をたくさん目撃してきた。
"何かが失われていく"瞬間とは、自身や、他者の中で起こる"不可逆の変化"である。
"彼"は、人生において、それらを目撃することを自身の責務であると感じている。
"彼"は責務を持ちながら、その変化の仕組みや、変化によって生まれる情動を本当の意味で「しらない」。
"彼"は「しらない」ことに対して、(受け入れつつも)悩んでいる。
"彼"は聞き手に「きみは...…みたことがあるか?」と問いかけることで、救済や理解を(無意識的に?)求めている。
すばらしい!なかなかおもしろい解釈が完成したのではないでしょうか。
あそんだ帰り道
とっても楽しい遊びだったけれど、ブラウザを閉じたあと、わたしはなんだか悲しい気持ちになった。けっきょくのところ、"その動きも匂いもおれはしらない"のだ。
文章の解釈(それも前例のないもの)なんかについては、現時点ではまだまだ、気の合う人間と話したほうがおもしろく、実りのある会話ができるだろう。だって人生において、ひとはあらゆるものに、自由に解釈をかぶせることができるのだから。
今回のわたしの遊びは、わたしの思考にかすっていそうな、言葉の羅列の中から、わたしが気に入ったものだけを抜き出す、補助輪付きのブレインストーミングにすぎない。
"動きも匂いもしらない"ことのうつくしさは、わたしがあずかり知らぬところで誰かの解釈が発生している、ということだ。そして、溶けていくプラスチックを見るように、われわれは他者を観察し、仕事として、われわれは他者と関係していく。
仕事とは、われわれが望むと望まざるにかかわらず、そこに存在し、だれからも手を抜かれず、しずかに終わっていくべきものだ。
うつくしさとは、けっきょくのところ敬意なのだ。それを忘れないでいたい。AIに仕事を奪われる心配をするまえに、メモしておきたいね。
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