起業したくなる不治の病

今年の1月から3月の間、創業スクールなどに通い、自らの生まれてきた意味や、価値や、人生の目的、なすべきこと、その理由なんかを熱心に考えた。
その結果、自分の考えた事業を発表する3月の最終プレゼン前にはすっかり鬱になってしまった。
『嘔吐と悟り、メランコリア』

以前の記事の中で上記のように書いた。
せっかくなので、その創業スクールでどんな事業アイデアを創出したのかについても少し聞いてほしい。 

わたしが、最終的にプレゼンした事業は『アイデアファーム』というものだ。
アイデアの農場。
つまり、アイデアの種を植える土壌を整え、みんなで育てるというサービスを作ろうとした。
いわゆるアイデアシェアリングというものだろうか。

アイデアをスレッドに投稿すると、SNSのように「いいね!」をもらえて、スレッド内でシェアされ、ブラッシュアップされたり、いろんな人にいろんな形で実現化されたりする。
アイデア実現に貢献した人は、他のユーザーから「いいね!」をたくさんもらえたりする。
そして、この「いいね!」は集めて換金できるという仕組み。 
(後日、ITを専門とするスクール仲間のブラッシュアップによって指摘を受け、気付いたのだがポイントを換金するサービスは作ってはいけないらしい。架空のお金を世の中に生み出すことになるから、とのこと。ただ、広告料やスポンサー料などを資金として回すのはいいんじゃないかと思っている。ちょっと、お金に関してはバカだから、よくわからん)

これは、3ヶ月もかけて熱心に自分自身の根幹部分に焦点を当て続けただけあって、まさしくわたしの潜在的欲求を反映したものになっている。
今、分析的に考えるとおもしろい。 
じぶんのアイデアが、いろんな人にいろんな形でシェアされるというのが肝である。誰かが勝手に、というのがいい。
わたしには、『競合他社』とか『独自のメソッド』みたいな概念はあまり重要ではない。
創業スクール時は、便宜上、差別化や独自性などはセールスポイントとして事業アイデアの中に盛り込もうとしてきたが、本音は違った。
いいと思っているものは、どんどん広まればいい、それだけだ。
とにかく、わたしは躁状態によって湧き出るアイデアの置き場を無意識に探していたのだと思う。

その3ヶ月間、わたしは湧き出るアイデアを持て余し続けた。
2週間毎のスクール開校日がやってくる度に2週間前とはまったく違うアイデアを次々に生み出した。
今考えると、躁状態以外のの何物でもないのだが、わたしも周囲もまったく気が付くことはなかった。
ただ、「この人は一体何がしたいんだろう」という印象だけは残したことだろう。 

結局、わたしはわたしの潜在的欲求を満たすサービス『アイデアファーム』を最終プレゼンとした。
次々に湧き出るアイデアを投げておけば、シェアされて誰かが勝手に形にしてくれる。アイデアを持て余すだけ持て余し、何ひとつ成し遂げられない躁鬱気質にはどれだけありがたいことだろう。
アイデアを次々に思いつくのはいいとしても、そのどれもが中途半端になってしまうことが大きな不安となってしまう。
だって、思い付いた時は必ず「これはいいぞ!絶対にやろう、それが世のためだ」と思っているのだから。 

世のために奮起したのに、次の日には別のことを考えていたり、急激にやる気を失っていたりする。
じぶんは、世のことをそんなに大切に思っていないんじゃないか?
いや、そんなことはない。昨日までは、実現の暁に救われる人々の姿がこの脳内にはっきりと映像化していたんだけど。
だったら、今のこのどうでもよくなっているじぶんは何なのだ?
そもそも、世って何だ。何なのだ? 

こうして、いつもすべてが混沌として、そんなぐるぐるとしたものが体の内側にどんどん溜まっていく。 

だから、出そうと思う。
これは排泄に近い行為。いや、きっと人間誰しもが『表現』しないと健康を害してしまうのではないか、とさえ今思っている。
排泄と同じように、『表現』は生命維持活動に欠かせない行為なのだ。

だから、出そう。

2019/11/20 05:21

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