モルフォジェネティック・フィールドへようこそ

目覚ましネコ或いは時計ネコなんてものまで使って、わたしがこうして朝方から綴っている言葉に意味はあるか。 

もちろんない。 

「でも…不躾で恐縮ですが、それではなぜ書いていらっしゃるのですか?」
と、独学者たるオジエ・pにそう尋ねられたロカンタンのように
「ええと…何と言うか、まぁ、書くためですね」
と鮮やかに答えられたらいいのに、とは思うけれど。 

「無人島にいてもお書きになりますか?人は常に読まれるために書くのではないでしょうか?」
と、独学者にさらに突っ込まれれば
「ええと…何と言うか、まぁ、そうですね」
と、たじたじとして答えるしかないわたしだ。   

この言葉の群れは、わたしだけのためのものでもあるけれども常に読まれることを待っている。
言葉は流れていなければならない。澱んでしまってはいけない。 

実はこうして、解りやすいネットワークに乗せなくても常に言葉は流れてはいる。言葉だけではなく、あらゆる記憶、知恵、意識も。
言葉ー言語とはそれらを伝えるための道具に過ぎない。 

その解りにくい方のネットワークのことを、心理学では『集合的無意識』と言うし、スピリチュアル的には『アカシックレコード』と言う。
そして、科学的には『形態共鳴』と言うらしい。

一匹の天才的なサルが海水で芋を洗ったのをきっかけに、群れ全体の猿をはじめ、ずっと遠くにいる猿まで芋を洗い始め、とうとう島全体のサルに芋洗いが波及したという『百番目のサル』という話を聞いたことがあるだろうか。それだ。
さらに、うちの目覚ましネコ或いは時計ネコが、5分も10分も前から玄関に座って主人の帰りを待っているのも驚くなかれ、それなのらしい。 

その記憶や知恵や意識を拾ってくることのできる場所のことを『形態形成場(モルフォジェネティック・フィールド)』と名付けたのが『形態共鳴』を提唱する生物学者のルパート・シェルドレイクである。
『アカシックレコード』と呼んでも問題はないのだけれど、響きがよりカッコいいのでわたしは『モルフォジェネティック・フィールド』と呼ぶことにする。 

前置きが長くなってしまったのだが、実はここからが本題。
『色即是空』は、この『モルフォジェネティック・フィールド』からわたしが拾ってきた。 

いやいや、『色即是空』なんて『般若心経』を読んだら拾うも何もないだろう。日本の古墳時代には既に形になっていた仏教の根本原理だよ。
と、思うかもしれないがちょっと聞いてほしい。
『色即是空』は、間違いなくわたしの頭の中に流れてきたのである。
確か、3年ほど前だっただろうか。入浴中のことだった。
聞いたことはある。意味はわからない。
そんな『色即是空』の4文字が突如頭の中に浮かんだのである。
わたしは、お風呂に持ち込んでいたスマホで『色即是空』をググった。

その意味を教えてくれたのは、解りやすい方のネットワークであったのは間違いないけれど、何もないところから繋がったのは解りにくい方のネットワーク『モルフォジェネティック・フィールド』の方であったことも間違いない。
この経験というのは、何も特別なことではない。
誰もが一度は経験のある“直感的なひらめき”というやつだ。   

『色即是空』ひいては釈迦とわたしが繋がったように、
レヴィ=ストロースと坂口恭平は繋がった。


坂口恭平氏の『まとまらない人 坂口恭平が語る坂口恭平』の中で氏の言う“トンネル”こそ、『モルフォジェネティック・フィールド』のことなのだと思う。
第二章の2 『記憶からこぼれ落ちた過去を探して』のあたりで語られていることは、氏が盛んにこの解りにくい方のネットワークと現実世界とを行き来していることを意味しているのではないだろうか。
『0円ハウス』の2004年頃から、『思考という巣』の具現化を目指してきた坂口恭平氏にとって、『モルフォジェネティック・フィールド』と現実世界との行き来は“日課”である。
セーターを編む。織物を織る。作品という生きたネズミたちをつくる。陶器の器をつくる。ギターを奏でる。身体を楽器として空気を震わせる。
これらすべてが“トンネル”を通ってこちらにやって来る。 

もはや、氏にとってそれは“日課”なのだから、あちらもこちらもない。
そんなわけで、氏が「他人はいなくてぜんぶ自分」と言うのがよくわかる。
無我。
氏曰く、無我無考。  

いのっちの電話を“働き”と言う。
あちらこちらの境界、他人自分の境界。
それは、ひとつの生命体を構成する細胞の細胞壁のようなものだろう。
壁はあれど、ひとつ。
人間ひとりの身体と、地球ひとつとその成り立ちを分け隔てないとすれば、地球上に死にそうな人あれば、死なないように“機能”する。それが“働き”。

細菌が入って身体に危機が迫れば、熱を出して菌を殺そうとする。
熱が上がれば発汗して今度は体温を下げようとする。
免疫系が菌と闘い、排出しようとしてくしゃみ、鼻水、咳、痰などの症状がでる。
それと同じように、“危険信号”を受信して“機能”する。
だから、いのっちの電話は“働き”。

人間の臓器にいらないものなどひとつもないように、
それぞれの臓器、細胞がそれぞれの固有の“働き”をするように、
低下した機能はまわりの細胞で補われるように、
人間も“働け”ばいいのかもしれないよ。  

2019/11/21 04:55

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