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リアルもSNSも緊張...自分コミュ障かもしれない[ミロク⇸ソワカ]

このマガジン”姉妹の往復書簡”って今やお便りに非ず!

...になってきている気がする(苦笑)。我らがお頭様には「二人それぞれの宗教観がすごい出てる。もはやお便りになっていない」とごもっともなコメント!今は毎日note更新を目標に日々書いているので物理的に記事を書く時間がタイトだからそれぞれ同時に執筆...そして最近なんだかスプリチュアルっぽいことや哲学の話が多くなってしまっているわね。ここで一つお断りしておかないとだけれど、特別な宗教を信仰している訳ではございません。”私とは何か?”を考えることが好きな二人にとって哲学や思想、宗教や文化、慣習を見つめることが楽しいというわけでございます。(そうよね?ソワカさん!)

今回は少し別のテーマを書いてみたいと思います。また恐らくそっち系の話もしますので脱線て感じで。

さて、店舗のInstagramTwitterの運用は基本ミロクが担当しているのですが、はっきり言って全然うまくいっていない。企業に勤めていた時はそれなりにブランドが確立した状態で運用していたから同じような感覚で運用していたけれど、なかなか苦戦中。もう一度ふんどしギューんと締め直してしっかりSNSと、自分たちと向き合いたいと思っているのでそれらについてあれこれ書いてみることにするわね。

来るもの拒む!去る者追わず!そして誰もいなくなった。

昔から人付き合いは苦手なわたし。いわゆる”いつメン”はないの。人数は友達の場合わたしを含めMax3名。それ以上だとしんどくなってしまう。「休日にお友達とお出かけ〜」なんてこと、最後はいつだっけ?っていう感じよ。みんな住む場所が違うということも大きな理由。適当なタイミングでLINEをして、言いたいこと言ってLINEで解散!のような流れね。これも以前より頻度としてはグッと減ってしまったわ。

学生時代は距離感が難しく、自分は友達と思って接していたけれどクラス替えなどで急に距離ができて、自分だけお友達がいなくなってしまったり。「こんなに人付き合い苦手だっけ?」と呆然ね。

積極的に関わることを恐れるためか、来るもの拒む!去る者追わず!になっている気がしてならないの。極力距離を詰めないようにと慎重になっているということかしら。または無理に距離を詰めすぎてしんどくなるパターンもあるあるね。そして離れるの繰り返し。

今となっては「そして誰もいなくなった。」状態よ、アガサ・クリスティ先生〜!

ソワカは友達付き合いはどうなのかしら?あなたよくわたしに「友達多いわね。」って言ってくれるけれど、自分としてはあまり多いとは思っていないの。こうなると”友達”の定義の問題になってくるけれど”友達”というキーワードにモヤモヤ感があるのは事実ね。厄介な性格だこと!

というわけで年々人付き合いが億劫になっていることは事実。
少し危機感が芽生え始めております。

人とどう接していいのかわからない...これがコミュ障なの?!

Buzzfeedの「あなたのコミュ障度はどれくらい? 診断します」というページを発見したの。

いくつかの設問の回答をクリックしていくだけで自分のコミュ障度がわかるとのこと。ミロク受けてみました。結果はこちらです。

おめでとう自分
コミュ障度 80%!!

仕事での評価では「コミュニケーション能力が高い」と言われてきたわたしだけれど本来の自分はがっつりコミュ障なのかもしれないわ。仕事中はバレないように”お仕事モード全開”とばかりに振舞っていたようなのよ。少し驚いたけれど、少し納得。自分の趣味は読書や動画みるとか、コツコツ何か勉強してみるとか、一人で旅するとか、そこに”人”いてないの。

そもそも「コミュ障」の定義を知りたくて、教えてニコニコ大百科とキーボード叩きました。こちらのページを参照いたします。

コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。

興味深い点は、元の言葉であるコミュニケーション障害とは少し異なる使われ方をしているということなの。こちらもニコニコ大百科さんより参照いたします。

コミュニケーション障害とは実際に存在する病気であり、主に幼児期・小児期・青年期に発病する心の障害である。インターネット上で使用されるコミュニケーション障害もこれに当たる。2ちゃんねるで話題に上がるほど。心的ショックなど後天的な場合もあるが、先天的な脳の障害である場合も多く、一口に語るのは難しい障害である。

生活に直接大きな弊害は今の所ないのでわたしの場合はこの定義でいうと「コミュ障」にあたりそうね。確かに年々他愛もない雑談ができない、非常に苦痛であるという感覚はあるの。

いつもソワカに「ミロクさん、真面目に返答したら会話がそこで止まってしまうでしょ。もっと面白い返ししないと。」と言われているけれど、実は人と話すことが少し苦痛でいつも緊張しているの。今判明したわ、わたしコミュ障みたい。

何かの役割を演じられる場合はペラペラ話せるの。例えばお仕事で自分が話さないといけない時とかは全然億劫じゃない。またはお店に行ったら自分がお客さんの立場で接するからなんの問題もないわけ。

でも一度一人の人間”ミロク”として接する時は何を話したらいいのかわからなくなるし、異様に緊張してしまうの。困ったわ、どうすべきかしらね。

リアルな人付き合いが苦手なら、SNSも苦手だよね

SNSは双方向のやり取りが最大の魅力。世界中、いや宇宙に滞在中の宇宙飛行士の方ともやり取りができるもの。個人のInstagramを毎日更新していた時は、家族への生存確認と日々の記録用に作ったから「誰かと繋がる」意識ゼロだったじゃない?たまにコメントいただくこともあるけれどごく稀だったしね。

でもなんとなく言語化できないのだけれど直感的に、これからはよりSNS含め、リアルな場でも、人との繋がりを大事にした方が人生面白く、豊かになるのではないかと感じているの。殻に閉じこもっていては勿体無いなと。

ただ、診断でも出たけれど(これを信用する根拠はどこに?と思うけれどBuzzfeedの記事だしと開き直って)コミュ障度80%のわたしがこれからどのように人とコミュニケーションを取っていくべきか。試行錯誤していきたいなと思っているの。

このnoteでも読み手をあまり意識せずに書いているので皆さまに伝わっているのかどうなのか。合わせ過ぎる必要はないと思うけれど、頭の隅に置いて書いてみることも一つ訓練なのかもしれないわ。

また、”ミロク”というペンネームで人格をスイッチさせることも有効かもしれないわね。何かの役割があれば今の自分にはハードルが高いことでもひょいっと越えられる時もある気がするし。

ちょっとだけでも人付き合いをよくしたいものです

“人脈づくり”ってわたし好きじゃない言葉なの。その人の、その先の何かを期待して繋がる関係。それも時には必要だし、上手にされる方もいるので羨ましいのだけれど自分には合わない気がしている。

さてどうしたものか。
まずは何かしら発信する訓練が必要かしら。それがこのnoteであり、TwitterやInstagramであり。受け手の方に自分たちを知ってもらう努力をしてみたいと思っているわ。

自分らしい人付き合いの方法を模索すること。それが今の自分が必要としていることのような気がするの...

Cao Cao
それは英語表記

草々

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