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『やまなし 二.十二月』(宮沢賢治)

蟹の子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので睡ねむらないで外に出て、しばらくだまって泡をはいて天上の方を見ていました。
『やっぱり僕ぼくの泡は大きいね。』
『兄さん、わざと大きく吐いてるんだい。僕だってわざとならもっと大きく吐けるよ。』
『吐いてごらん。おや、たったそれきりだろう。いいかい、兄さんが吐くから見ておいで。そら、ね、大きいだろう。』
『大きかないや、おんなじだい。』
『近くだから自分のが大きく見えるんだよ。そんなら一緒に吐いてみよう。いいかい、そら。』
『やっぱり僕の方大きいよ。』
『本当かい。じゃ、も一つはくよ。』
『だめだい、そんなにのびあがっては。』(本文より)

以前もnoteに掲載した『やまなし』(宮沢賢治)の物語は大きく二つに分かれていて、一章でまだ小さかった蟹の兄弟たちが二章では少し成長して登場します。タイトルにある「やまなし」という木の実(人間が食べる梨とは違い、もっとずっと小さくて良い香りがするらしいです)も、ようやくここで姿を現します。

一章については、もう何十回となくレッスンで朗読してきました。この秋からは、オンラインで「初めてコース」を新設して、朗読教室ウツクシキを訪れてくださる方が必ずこの『やまなし』の物語を通過してくださるように。可能な限りここから朗読の世界が始まるように、設定しています。

そのとき、トブン。
 黒い円い大きなものが、天井から落ちてずうっとしずんで又上へのぼって行きました。キラキラッと黄金きんのぶちがひかりました。
『かわせみだ』子供らの蟹は頸くびをすくめて云いました。
 お父さんの蟹は、遠めがねのような両方の眼をあらん限り延ばして、よくよく見てから云いました。
『そうじゃない、あれはやまなしだ、流れて行くぞ、ついて行って見よう、ああいい匂においだな』
 なるほど、そこらの月あかりの水の中は、やまなしのいい匂いでいっぱいでした。
 三疋はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。

物語の始まりに、まず遠くの山なみと、そこを流れる小さな谷川が見えてきます。カメラが遠景でそれを捉えた後、ぐぐぐーっと川に寄って行って、ぽちゃん!と水の中へ入っていきます。すると、小さな谷川の浅い底に、やっぱり小さな蟹の兄弟が見えます。その小さな蟹の兄弟が、さらに小さい小さい声で上のように会話していて、そのまたさらに小さな小さな泡がつぶつぶと水面へ流れていくのが見えます。この、小さな小さな世界観が、たまらなく好きなのです。それを賢治は、「小さな谷川の底を写した、二枚の青い幻灯です」と冒頭で語りかけてもきます。

「これでいいな。」

って、「やまなし」を読むたびに思います。「これでよし。」と。

何十年も生きていると、良いことも悪いことも、いろんな出来事が起こったりいろんな感情が湧いたり、そして過ぎてみると瑣末なことであったりしてまたそれに落ち込んだり、心がいつも揺らがされます。外からのものなのか、自分の内から湧き起こるものなのか。でも、「やまなし」の蟹の二人が泡の大きさを競い合ったり、カワセミがやってきて怖がったり、やまなしが落ちてきて喜んだり、そしてなおつぶつぶ小さな泡が流れていく、その景色をかわいらしいと思えます。自分の周りのことも、きっと、そんなこと。

12月の賢治コースは、いつかの続きの、「やまなし 二.十二月」です。
やまなしのいい香りに包まれて、2023年の最後をご一緒できたらと思います。

12月のスケジュール

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