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死にたい理由と、死ねない理由

「死ぬぐらいなら、入院しよう…?」

心理士さんの、呟くような声を聞いた。随分と久しぶりに、涙が溢れてきた。本当に、泣いたのは、いつぶりだったっけ?感情がストップしているし、ここ最近の記憶が曖昧で、わからないんだ。


最近の話。

主治医から入院を勧められた。それも当然のことで、主治医に「私の居室の窓を開けたら、人が1人飛び降りるために十分な隙間はあった」「ここ2週間ぐらい『もう薬はいらないです、これから死ぬんで』と言おうかと思ってた」とか言った私は、自殺の危険がかなり高いと判断されたのだろう。

私は憔悴しきっている。PTSDと解離性障害の症状に、迫り来る試験に、そして、謎の性被害の記憶に。

入院かぁ、休めたらどんなに良いだろうなぁ、と思うよりも前に、私は当然のように入院を拒否した。だって、私は、家族に精神疾患のことを言っていない。言ったらどうなるかわからない。「家庭内外での暴力によりPTSDと解離性障害になりまして入院です」とかなったら、家庭か私か…というかその両方が崩壊するに違いない。

主治医は私の両親に病気の事を伝えてしまったほうがいいのではないか、と何回か打診した。その度に私は拒否した。上記の理由により、ってやつで。

主治医は私に言った。

「僕たちは、空木さんの命を1番に考えなきゃいけないんだ」

「だけど、ご両親と20年近く一緒にいた空木さんがそう思うのなら、その通りなのだろうと思っているよ」

この言葉は、主治医が折れた合図だったのかもしれない。


心理士さんにもこの話を伝えた。入院を勧められた事、死にたいと思ってる事。そして、その手段までが具体的に思い浮かんでしまっている事。

そこで言われたのが冒頭の一言だった。心理士さんは落ち着いているけども感情豊かな人だと思う。「死ぬぐらいなら、入院しよう」、その台詞にのって聞こえて来たのは、呟くような声だった。泣きそうな声だった。

それに呼応するかのように涙が出てきた。

泣きながら心理士さんに問うた。なんで?と。

「私、おかあさんに『死ね』って言われたのに、おとうさんに『お前を産むつもりはなかった』って言われたのに」

なんで死んじゃいけないんだ。だって私は親の言うことに従うのだ、道徳的だろう?

「そんなの、聞かなくていいんだよ」

心理士さんがまた、呟く。もう、涙が出てきてしょうがなかった。

…その後のことはよく覚えていない。最近、本当に記憶が曖昧なのだ。


まぁ、案の定というか、私は結局死んでない。なんか生きちゃう。

なんでだろうか。確かに私は死にたいのだ。もう楽にしてほしいのだ。なんでわざわざ生きちゃうのだろう。

(まどろっこしい言い方をするのね。…解ってるくせに。あなた義理堅いんだから)

私のイマジナリーフレンドの宵ちゃん(参照)がツッコむ。そうね。そうなのよね。

私が死ぬのを止める存在がいる。

いつかの記事で書いた「ぜひとも、「頑張ったね」と言って頭を撫でてくれる大人の人と出会えませんかね」と言う文章を見ていたのだろうか、カラオケで「頑張ったね」といって私を抱きしめて頭を撫でてくれたあの人。

私の生い立ちを知って、悲しそうな顔をしてくれていた、今も試験の勉強をずっと見てくれている友人。

私の生い立ちを知って、「許せない」と怒りを露わにしてくれる、ただ一緒にいてくれるだけで安心する友人。

私の話を否定する事なく聞いてくれた大学の先生方。

そして、私が1番安心して話ができる、主治医と心理士さん。

この人達を悲しませるのは、できない、と思う。しちゃいけない気がする。


でも、「だから私は絶対に死にません!」とは安易に言えない。それぐらい辛い。何なら、上にあげた人々は私が大学に入ってから出会った人だから退学して、その後に死ねば、迷惑をかけないのではないか、私が死んだことが伝わらないんじゃないか、ぐらいのことは考えてしまう。


そんな中でも、やっぱり、私を助けてきた人たちの存在は、私の命綱になってくれているように感じる。

とりあえず、あと1日は生きよう。それが積み重なったら万々歳だ。
もし、死んじゃったら、ごめんなさい。今ちょっと弱気なんです。




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