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パニック障害が教えてくれた事〜③子供の手術でパニックになった時の話

パニック障害になり、1番症状が重かった時期の話をします。前回の記事の続きです。


前回の記事 私のパニック症状 1番症状が重い時期の話 その1
https://note.com/utsurogi/n/n7709b89b152a


2010年に子供が先天性疾患の手術をしました。(ちなみに手術は無事成功し、数年毎の定期検診は行きますが、良好です。)

その時もパニック症状が出ました。
手術の前日に担当医師から手術についての説明がありました。
どのような手術をするか、そしてその手術についてのリスクや後遺症が残る確率など、とても詳しく説明して下さいました。
夫と一緒に説明を聞いていましたが、私は手術のリスクを聞いた時点から動悸がして、不安感が強くなりました。
「失敗する確率は低い手術だけど、もし子供の手術が失敗したらどうしよう」
「後遺症が残ったらどうしよう」
大きな不安感でいっぱいで、先生の説明を聴きながら涙が出そうになりました。
夫の方を見ると、全くいつもと同じ様子に見えました。

先生の説明の後で夫に「明日の手術が心配でたまらない、怖い」と言うと
夫は「なんで?大丈夫でしょう、先生もよくやる手術って言ってたし」と言い、普段と全く変わらないテンションでした。
夫は結婚以降、終始このような淡々とした様子でした。

子供の手術の日は実家から両親がやってきてくれました。
実家のある場所は私の住む町から高速を使って車で3時間ほどかかる県外です。
子供が手術室に向かう時、子供を不安にさせてはいけないと思い、子供の前では泣かないようにしていました。                  しかし、手術直前に子供が緊張を取るためにガスを吸入され、ヘラヘラと笑いながら手術室に入っていくのを見た時は涙が止まらなくなりました。

「手術が失敗したらどうしよう」
「もし子供が死んでしまったらどうしよう」
と悲観的な考えが頭の中を駆け巡り、心臓の鼓動が強く響き、居ても立ってもいられないほど落ち着かないのです。
まるで車の運転をイメージしただけでパニックの症状になるような感覚と同じでした。

まだ4歳の小さな体にメスを入れ、骨を切り、内臓を切り開いて処置されているところを想像すると、叫び出したくなるような意識が遠くなるような感覚がしました。
考えないようにしようにも、手術のイメージ映像がぐるぐる見えて消えないのです。
すると横に座っていた母が手を握ってくれて、「大丈夫だから」と何度も言いながら私の背中をさすってくれました。
お陰でパニックの症状はそれ以上酷くはなりませんでしたが、手術中涙は止まりませんでした。

手術は無事に終わったのですが、その日からは子供は3日間ほど集中治療室に入ることになっていて、手術後その日に会う事は出来ませんでした。
その日の夜も自宅でパニック症状のような強い不安感と恐怖感と孤独感が襲ってきました。
娘が生まれてからずっと2人で布団を並べて寝ていたので、子供が不在の夜がこんなにも寂しく、不安なものだとは思いませんでした。
「このまま帰ってこない状態になったらどうしよう」となかなか寝付けず不安なまま一夜を明かしました。
結婚しているのに、1人暮らしの時より孤独を感じた夜でした。

パニック障害になった2005年から、子供の手術をした2010年くらいは体力気力がどん底で、パニックの症状が1番酷い時期でした。
ただ、この時期は一刻も早くパニックの症状を改善して車を運転できるようになろうと焦っているばかりでとても空回りしていました。
具体的にどうしたら症状が改善するかなどの分析はしていませんでした。
分析するようになったのは、このずっと後です。


ただ、今思うと、人間は段階があると思うのです。
「どうしたらこの状況が良くなるだろう」と分析したり、分析した結果を受け入れ、より良くする為に行動するのはまだ先に進んだ段階の事ではないかと。

起こった事をありのまま受け止める事、その時に生じた感情をありのまま味わい尽くす事、咀嚼する事がベースになるのではないかと思っています。
なので、一番パニックの症状が重く辛かった時期は、物心ついた時から見なかった事、なかった事にしていた辛い感情や悲しい感情と向き合う時間だったのではと思います。
一見何も収穫が無いようで、実は成長のために必要な時間だったと今では思います。

続きます。

(写真・文 うつろぎ)


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