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この国から趣が奪われようとしている

ここ最近急激に気温が下がってきました。
9月の終わりまではいつまで暑いんだと不満を垂れていたのに、1週間経った今はもう世間的には「寒い」と言って差し支えない温度帯。

先週末は家の中で高めの温度設定で冷房をつけていた私も、昨日の朝目覚めたときのあまりの寒さにそろそろ暖房の季節か、とふいに考えてしまい、この短い期間でこんなにも気温が変わるなんてどうかしてるよな、と思ってしまいました。

近年の地球温暖化などに伴う異常気象が主な原因なんでしょうが、いくらなんでもその規模感というか、度合いがイカれてるんじゃないかというのは多くの人が語ってきたことだと思います。現在の状況を、Xで万バズするような人は「天気ちゃん」とかいう幼くて可愛らしい女の子のキャラクターが温度ゲージをうっかりぐーーんと下げてしまうみたいな絵を描いて表現するのでしょうが、ここはあくまで文章主体で情報を伝えるnoteというツールなので僕はそういうことはしません。


そんなことよりもふと思うのは「日本ってなんか、趣のない国になっちゃった感じがするな…」ということです。

私の覚えている範囲ではですが、ほんの10年前くらいまではいわゆる秋という季節は他と同等のレベルで存在していたように感じます。乾いた風が落ち葉のついた木を揺らし、夕方になると赤い夕陽が背中を照らして暖かみを感じるような、そんな季節。
最近大学と家の往復を機械のように繰り返しているせいで自然を見る余裕がありませんが、今ってそんな季節はあるのでしょうか。少なくとも1年を4 (四季) で割った3ヶ月は大いに下回るに違いありません。

そしてこのような秋の消失は、激しい気温変化によって私たちの健康を脅かすだけでなく、私たちが持つべき侘び寂びの心を脅かしかけているんじゃないかと思います。

古来より潮の満ち引き、月の満ち欠けなど、人は移り変わる物事に目を向けてそこに価値を見出してきました。もっと広くとらえるならこの現世も、生前の世界と死後の世界を結ぶ常にゆっくりと変わり続ける世界であり、だからこそ面白い。
「ゆく川の流れはたえずして…」って要するにそういうことです。

特に日本は世界でも珍しい四季がある国として、その時節の変化に無常観を感じ、趣を抱いて二十四節気なるものを作ったりなんかしました。そしてそれが遥か昔から続く日本特有の言語文化を生み出してきました。

ところが今、季節が少しずつ移ろいめぐっているという感覚はもはや私たちには持てなくなっているのではないでしょうか。
このままでは後代の子供たちが優れた日本の文学作品を読んでも、「うーん、意味はわかったけど、実感が湧かないなぁ」と感じてしまいそう、と懸念しています。

動画配信やゲームの台頭で、最近は夜に星や月を眺めることも減ってきたのではないでしょうか。変わりゆく時代を後戻りさせることはできませんが、国語教育はこれまで以上に徹底的に行う必要が出てくるように感じています。

難しい話をしてしまったかもしれません。あと私自身国語のスペシャリストでは全くないので一部おかしなところがあったらすみません。ご指摘ください。

それではこのへんで。

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