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「恥ずかしがること」はいけないことか?

柄本明の『「絶望」の授業』を読んだ。これは俳優の柄本明が「課外授業ようこそ先輩」で行った授業を書籍化したものである。授業は小学六年生が「絶望」をテーマに演劇を作ることがメインであるが、僕はそれよりも冒頭の内容が印象に残った。

授業が始まって柄本明は簡単に自己紹介をした後、何人かの子供にも自己紹介をさせる。そして次のように問う。

見られると恥ずかしい。見られることによってもう一人の自分、恥ずかしがる自分と出会えた。では、恥ずかしがることはいけないことですか?

そしてこうも言う。

みんなは他人の自慢話を聞くのは好きですか?自慢話というのは、罠があるよね。人の話を聞いていて、『自慢するな』って感じるときがあるでしょ。自慢話の手口には、いろいろあるよね。芝居が上手くなるってことは、どこかそういうことが含まれている気がしないかな。

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僕はインプロ(即興演劇)を教えていて、全く演劇をやったことがない人にもインプロを教えることがある。そして多くの場合、初心者のインプロはとっても面白い。

初心者は人前で演じることを恥ずかしがる。でもだからこそひとつひとつのことに新鮮に反応していて、それは見ている人にとってはチャーミングで面白いものに見える。

しかし人前で演じることへの恥ずかしさが無くなっていくと、そのような面白さは消えていってしまう。それは「演技に集中している」と言えばそうなのだけど、そのぶん見ている人からは離れていってしまう。

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僕は人前でパフォーマンスをする時の一番いい状態について考える時に、クラウンのことを考える。クラウンとは舞台に出てきて、お客さんに笑われて(もしくは笑われず)、帰るという存在である。僕はクラウンを究極の即興で、そして究極のコメディーだと思っている。

クラウンは自分にとって都合のいい何かを見せようとしたり、都合の悪い何かを隠そうとしたりするとお客さんは一気に冷めてしまう。都合のいいことも悪いことも含めて、ただありのままに見せる。そうすると感動的に面白いことが生まれてくる。

パフォーマーにとって人前で何かをすることは喜びであるだろう。でも同時にやっぱりどこか恥ずかしいことでもあるのだと思う。そして僕はそのことを大事にしていたい。

柄本明はインタビューで次のように答えている。

いやがってるやつの芝居だったら見たいけど、やりたがってるやつの芝居は見たくないって感じがするんです。そこらへんの八百屋のおじさん連れてきて、「悪いけど、ここに立ってマリコさんに“愛してる"ってひとこと言ってくださいよ」「いやだ、そんなことは言えねえ」っていうのは見たいけど、“ガンバリます!"とかって言われると、もうけっこうって感じだよね。

芸術は本来人に見せびらかすようなものではない。でもやってしまう。だからこそ人は興味を惹かれるのだと思う。


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