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人生の短さに気づいていますか?

はじめに

突然ですが、あなたの人生の残り時間はどれくらいだと思いますか?
有名な言葉で、「人生は何事もなさぬにはあまりにも長いが、 何事かをなすにはあまりにも短い」というものがありますね。
人によって答えは変わると思いますが、私は「わからない」と思います。
ただひとつ確実に言えることは、自らの可死性を認知しないと充実した人生を送れないということです。

そこで今回は、セネカの『人生の短さ』を紹介したいと思います。

セネカの人生の短さについて

皆さんはセネカの『人生の短さについて』を読んだことがありますか?


あまり読んだことがない人が多いと思うので、簡単に紹介したいと思います。

セネカは紀元前のローマに生まれた政治家・哲学者で、知人に宛てた手紙が『人生の短さについて』です。
読んでみると、およそ紀元前に書かれたとは思えないほど現代に通ずる部分があり驚かされます。

セネカは、多くの人が自分の人生を自ら短くしていると主張します。

われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。けれども放蕩や怠惰のなかに消えてなくなるとか、どんな善いことのためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っていることである。全くそのとおりである。我々は短い人生を受けているのではなく、我々がそれを短くしているのである。
(中略)
多くの者たちは他人の運命のために努力するか、あるいは自分の運命を嘆くかに関心をもっている。
(中略)
かつて光輝いた天才のすべては、この一つの主題について意見を同じくしている。にもかかわらず彼らでも、このような人の心の闇には、どんなに驚いても驚き足らないであろう。どんな人でも自分の地所をとられて黙っている者はないし、また領地の境界について、たとえ小さなもめ事が生じても直ちに投石や武器に訴える。だが、自己の生活のなかに他人が侵入することは許している。いや、それどころか、今に自分の生活を乗っ取るような者でさえも引き入れる。自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが、生活となると誰も彼もが、なんと多くの人々に分け与えていることか。財産を守ることは吝嗇であっても、時間を投げ捨てる段になると、貪欲であることが唯一の美徳である場合なのに、たちまちにして、最大の浪費家と変わる。


そして、セネカはその原因を以下のように考察しています。

では以上の原因は何であろう。諸君は永久に生きられるかのように生きている。諸君の弱さが諸君の念頭に浮かぶことは決してない。すでにどれほどの時間が過ぎ去っているかに諸君は注意しない。充ち溢れる湯水でも使うように諸君は時間を浪費している。ところがその間に、諸君が誰かか何かに与えている一日は、諸君の最後の日になるかもしれないのだ。諸君は今にも死ぬかのように全てを恐怖するが、いつまでも死なないかのように全てを熱望する。多数の人々が次のように言うのを聞くことがあろう。「私は五十歳から暇な生活に退こう。六十歳にもなれば公務から開放されるだろう。」 では、おたずねしたいが、君は長生きするという保証でも得ているのか。君の計画どおりに事が運ぶのを一体誰が許してくれるのか。人生の残り物を自分自身に残しておき、何ごとにも振り向けられない時間だけを良き魂のために当てることを、恥ずかしいと思わないか。生きることを止める土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅し、ではないか。 有益な計画を五十歳・六十歳までも伸ばしておいて、僅かな者しか行けなかった年齢から始めて人生に取りかかろうとするのは、何と人間の可死性を忘れた愚劣なことではないか。
(中略)
誰しもみな自己の人生を滅ぼし、未来に憧れ現在を嫌って悩む。しかるに、どんな時間でも自分自身の必要のためにだけ用いる人、毎日毎日を最後の一日と決める人、このような人は明日を望むこともないし恐れることもない。なぜというに、新しい楽しみのひとときが何をもたらそうとも、それが何だというのだろうか。 こんな人には万事が知り尽くされ、万事が十二分に理解されている。それ以上のことは、運命の女神が好きなように決めるであろう。しかし、彼の人生はすでに安全の圏内にある。このような人生には、加えるものはあっても、引くものは何一つありえない。
(中略)
それゆえ、髪が白いとか皺が寄っているといっても、その人が長く生きたと考える理由にはならない。 長く生きたのではなく、長く有ったにすぎない。

上記の文章を読んでどう感じたでしょうか。
私は自らの可死性を受け入れ、毎日が人生最後の日と思いながら生活をしています。
スティーブ・ジョブズがスタンフォードで行った有名なスピーチの中で、毎朝鏡の前で「もし今日が最期の日だとしたら、今日することはやりたいと思えるか」と自分に問うていたと言っています。

最後に

「自分はいつ死ぬかわからない」
「それが今日かもしれない」
そう思いながら生活をすると、人生は必ず良い方向に進み、満ち足りた日常を送ることができます。
皆さんに、今一度人生の短さについて考えていただきたいです。

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