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悩み多きマルチリンガル子育ての記録

「家では何語で喋るんですか?」

私たち家族がよく受ける質問の一つに、「家では何語で喋るんですか?」というのがある。しかし、この質問に答えるのはけっこう難しい。我が家には三つの言語(日本語・韓国語・英語)が混在しているし、そのバランスは絶えず変化してきたからだ。

私と妻は韓国で出会った。私の韓国留学中のことだった。私は韓国語を留学前から長く勉強していたし、妻は当時日本語を全く知らなかったので、出会ったばかりの頃には韓国語のみで会話していた。今では妻は日本語がずいぶん上手くなったけれど、夫婦での会話は今も韓国語を使うことが多い。

妻は韓国人だけど生まれはオーストラリアで、オーストラリア国籍を持っている。韓国で学部を卒業したあと、オーストラリアの大学院に行った。私は日本で大学院を終えたあと、スコットランドで少しポスドクをした。私達は結婚し、私が日本の大学でポジションを得たので、日本で暮らすことになった。そして子供が生まれた。生まれたばかりの可愛い娘とともに、私たちのマルチリンガル子育てが始まった。

子供たちが小学生になった今、これまでを改めて振り返ると、そのときどきで言語に関するいろいろな悩みがあった。それらの悩みは、お互いにモノリンガルとして育った私たち夫婦にとっては、子供ができる前には想像していなかったものだった。

カタコトの頃

娘が生まれてまだ数ヶ月の頃、スコットランドでお世話になった先生に再開する機会があった。そのときにこんな会話をした。(実際は英語)

先生:子供には何語で話しかけるの?
私:韓国語です。
先生:うん。そうだね。それがいいね。日本に住んでいたら周りの環境が日本語で、日本語は身につけられるだろうから。

実際に私も同じように考えて、娘には韓国語で話しかけていた。(ちなみにこの先生はアメリカ人、奥さんはイタリア人で、お子さんは英語とイタリア語のバイリンガルらしい。)

ただ、私たちが娘に一貫して韓国語で話しかけていたかというと、そうでもなかった。特に母語が韓国語の妻は、娘への話しかけは必ずしも韓国語ばかりではなく、日本語になることも多かった。私が韓国語で話しかけたほうがいいよと言っても、ときどき日本語モードになることがあるようだった。これは考えてみると興味深い。もし妻が韓国語モノリンガルの人に話しかけるとしたら、自然に韓国語モードで話しかけるだろう。しかし、話しかける相手が何語も話さない赤ちゃんであるときには、自分の母語が韓国語であっても、自然に韓国語モードになるわけではないようだった。

むしろ私のほうが娘に対して一貫して韓国語で話しかけていた。最初のうち意識的に韓国語で話しかけているうちに、だんだんそれが自然になり、娘の前では韓国語しか出なくなった。こういう言語モードの選択の仕方には個人差があるのかもしれない。

ところで、その頃私たちの住まいの近くには、インターナショナルプリスクール(インタープリ)があった。多言語・多文化な家庭の私たちは「インターナショナル」という言葉に敏感だったし、その保育園は私たちのためにそこにあるように思えた。日本の普通の保育園に入れたら、娘はあっという間に「普通の」日本人になり、片方のルーツが韓国であることを忘れて育ってしまうかもしれない―そういう思いがあり、私たちは娘をそのインタープリに入れた。1歳から入れることができ、延長保育を午後7時までやってくれるというのも、共働きの私たちにとっては好都合だった。

一方で、インタープリに入れる以前から、ベネッセの英語教材ワールドワイドキッズ(WWK)を利用していた。たまたまダイレクトメールで見たのだと思う。問い合わせたら営業の人が訪問してきて、ライバルの某教材と比べてWWKが如何にお手頃かを説明してくれた。そんなわけでWWKを契約すると、家に7回に分けて教材が届いた。教材のメインはDVDで、初回の教材セットにはDVDのほかに登場キャラクターのパペットが含まれていた。娘のお気に入りはキリンのZiziだった。教材セットには英語の絵本も含まれていて、絵本はよく読んであげた。今でも覚えているのは Good Night Gorilla だ。この本にはセリフは "Good night" ぐらいしか出てこないのだが、絵の中のバナナを探す遊びを勝手に考案して、娘と遊んだりしていた。

今流行りの「おうち英語」をやっていたわけだが、その頃は「おうち英語」なんて言葉は知らなかった。

ベネッセ教材以外にも英語の絵本を買ったりしたし、アメリカやオーストラリアに住む妻の友人からも英語の絵本が送られてきた。韓国の妻の家族からは韓国語の絵本をもらったし、私の両親やその他日本の知人から日本の絵本ももらった。その他、自分たちでも日本語や韓国語や英語の絵本を買ったりした。娘にはそれらの絵本の読み聞かせをよくした。例えば、Anthony Browneの絵本 “My Dad” の韓国語版 “우리 아빠가 최고야” をよく読んであげたのを覚えている。

そんなうちの子の発する言葉は、一語文の時期、日本語だったり、韓国語だったり、英語だったり、あるいはそのどれかわからないものだったりした。ママは "엄마"、リンゴは "apple"、バナナは「ナナ」だった。

そこから、表現はだんだん広がっていった。「開けて」は “Open it”、「ない」は “없어”、「うんちした」は “똥 쌌어”と言っていた。日本語は少なかったと思う。

ただ、二歳ごろ一気に、日本語が増えていった。親から話しかけるのは韓国語が多く、日中はインタープリで英語を使っているはずなのに日本語が出来るようになるのは一見奇妙なのだけど、これには主に二つのことが影響をしたのだと思う。第一に、祖父母の影響だ。第二子の出産予定日の一ヶ月前ぐらいから、上の子は東京の祖父母(私の両親)に預けた。その間は日本語モノリンガル環境だった。第二に、インタープリの友達の影響だ。うちの子はインタープリの延長保育でわりと遅い時間まで預けていたのだが、ある日迎えに行くと、一歳上の子がうちの子に一生懸命日本語を教えていた。もちろんその子一人のおかげではないだろうけど、9割以上日本人というインタープリだったので、友達と接する中で自然と日本語を身につけたようだった。

家での娘の言葉は、だんだんと日本語が優勢になっていった。私が韓国語で話しかけ、娘は日本語で答えるということが多くなった。一方で、弟と遊ぶときにはもっぱら英語を使うという時期もあり、周囲の人々を驚かせたりもした。韓国の妻の実家に行って帰ってきたり、韓国のいとこが日本に遊びに来てしばらく過ごした後などは、韓国語がしばらく優勢になったりもした。三つの言語のどれが優勢かが、そのときどきで入れ替わるような感じだった。

複数の言語が混じることもよくあった。例えば、「入れて」というところを「のおって」ということがあったが、これは韓国語の넣다 ~ 넣어 に日本語の「て」がついたのだと思う。

「いろんな言葉を使ったら頭が混乱するんじゃない?」

こういうことを周囲からよく言われたが、あまり気にしなかった。言語学者の私としては、世界的にみて多言語環境で育つ子供は少なくないということを知っていたし、せっかく自然にマルチリンガルな環境になっているものを敢えてやめてしまうのはもったいないと思ったからだ。

実際に、複数の言語の混ぜこぜは次第に少なくなっていった。娘の頭の中で混ざっていた三つの言語が、それぞれ独立のものとして分離していくかのようだった。

娘はマルチリンガル環境の中で、すくすくと育っていった。いつからか娘は、世の中の人を三つのタイプにカテゴライズするようになった。日本人と韓国人と「エイゴ人」。私は韓国語を話すので韓国人だと思われていた。

悩みの始まり

あるとき、娘が「こ、こ、これ」のように話すようになった。しだいに顕著になり、吃音であることが明らかだった。何か対応をしたほうがいいのかなと思っていると、数週間で自然に治った。かと思うと、しばらくして再びどもりだしたりした。

また、こんなこともあった。娘はインタープリのクラスではお友達と話すのだけど、お迎えの時間になって廊下に出てくると、一言も言葉を発しなかった。靴をはいて外の駐車場に出ると、堰をきったように話し出すのだった。「場面緘黙」(選択的緘黙;selective mutism)という言葉を知り、うちの娘はこれかもしれないと思った。

ところで、上にも書いたように、私たち夫婦は娘が自身の多文化的な背景をいつまでも尊重しながら育ってほしいと考えていた。どうすれば小学校に入ってからもそのような環境を維持できるかが問題だった。妻がどこからか、ある私立小学校の話を聞いてきた。公立小出身の私にしてみれば私立小は何か「お高くとまった」ようなイメージがあったのだが、学校のホームページなどをみると、確かにカトリック系のその小学校は国際性を一つの売りにしているように見えて、うちの娘にとって理想的な学校であるように映った。

インタープリという環境も、私立小学校志向に拍車をかけた。娘の通うインタープリの子たちのうちの結構な割合が、年中ぐらいになると「お受験」の塾に通い始めていたのだった。インタープリが実は「インターナショナル」というよりも地元の富裕層(特に開業医が多かった)の子弟のための保育園という性格があるようだと、私たちはうすうす気づいていたのだが、年中あたりでその傾向が顕著に目につくようになっていた。上に書いたように私立小学校に関心を持っていたこともあり、私たちは娘を連れて、インタープリのお友達が多く通っているらしい「お受験塾」に見学に行った。お受験の世界にはまりすぎないように気をつけながら。

不思議なもので、「お受験の世界にはまりすぎないように」、「一校だけ受験して落ちたら公立小でいい」、と気軽に見学にいったのが、気がついたら私たちは、周囲のお受験家族と同じようにファミリアの紺色の手提げバッグを片手に持ち、受験塾に言われるままに週にいくつかのクラスに通わせるようになっていた。

娘はペーパーテストに対しては、意外なほどあっさり適応した。が、上に書いた場面緘黙のような面は、受験塾でも出ていた。塾では一言も言葉を発することができなかったのだった。先生に「こんにちは」も「ありがとうございました」も言うことができなかった。もちろん言葉を知らないわけではない。どんなに促しても、ただの一言も口に出すことができなかったのだ。これでは、一次試験のペーパーテストの対策がどれほどできても、二次試験の面接で絶対に落ちると思った。

吃音にせよ場面緘黙にせよ、娘が自分の日本語に自信が持てるようになれば良くなるかもしれないと思った。確かに娘の日本語力、特に語彙力は、同じ月齢の平均的な幼稚園児たちと比べて貧弱だった。例えば、right、leftは知っていたが、「右」「左」は混同していた。日本語をもうちょっとなんとかしたほうがいいのかもしれない・・・そう思って、私が娘に使う言葉は、韓国語から日本語にかえた。

何が効いたのかは知りようがないが、やがて娘は吃音は出なくなり、塾で少なくとも「こんにちは」と「ありがとうございました」は言うことができるようになった。

その後、娘が年長の夏になったところで、私たちは突然方針を大きく変え、娘を私立小学校ではなくインターナショナルスクールに入れたいと思うようになった。インターナショナルスクールに問い合わせてから入学を決めるまでは、あっという間だった。私立小への準備とは対照的に、なんのテストもなく、なんの対策もすることなく、あっさりと入学が決まった。(インターナショナルスクールの様子については、以前の記事に書いたとおり。)

娘の最近の言語状況

娘が年中のときに私が日本語で話しかけるようにして以来、娘の日本語はだいぶ上手になった。とはいえ、インターナショナルスクールの授業が(日本語の授業以外)すべて英語のせいか、公立小に通う同じ学年の子たちと比べれば、 日本語の語彙力は貧弱だと思う。日本語力のために最初は公文の国語をやらせていたが、問題さえ解ければ先に進んでしまう公文だと、進度が進むにつれて本人の語彙力と問題文のレベルの乖離が大きくなっていくようで、8歳のときに公文国語はやめた。かわりにとにかく本をたくさん読もうということで、毎週図書館に通っている。最初に角野栄子の「小さなおばけ」シリーズにはまり、9歳の今あんびるやすこの「ルルとララ」シリーズにはまるのは、平均と比べてレベルが低いと思うが、幸い読書は楽しいようで、このままちょっとずつ読書のレベルが上がっていくのであればいいと思う。

英語は今のインターナショナルスクールに入った当初は、先生の言っていることがわからないこともあったらしい。おまけに、入学してすぐコロナ禍になり、オンライン授業がしばらく続いたので、スクールで友達と自然にしゃべったりする機会が失われていた。その後対面授業に戻り、今ではすっかりインターナショナルスクールに馴染んでいる。日本人の友達もいれば日本人以外の友達もいて、友達と遊ぶときは英語を使ったり日本語を使ったりしている。

一方で韓国語は、娘が自分から話すことはなくなった。最近は毎週末に韓国学校に通わせて読み書きを習わせていて、ハングル(文字)はなんとなく読み書きできるようになった。そんな娘が書いた韓国語の日記はこんなかんじだ。誰の助けも借りず自力で書いたらしい。

娘の韓国語の絵日記から

娘が書きたかったのは、こういうことだと思う。

ハロウィーンにネコになりました。私はお菓子をたくさんもらいました。とても面白かったです。

娘の韓国語作文は意外と書けているとも思うが、 "ㅓ" と "ㅗ" (それぞれ /ʌ/ と /o/ に対応する母音字母)を混同したり、パッチムの "ㄴ" と "ㅇ" (つまり、音節末の /n/、/ŋ/ に対応する子音字母)を混同したりするところなど、おそらく音としても弁別できていないのだろうと思う。他にも音声・音韻面と関係しそうな気になるところはいろいろある。総じて、如何にも日本語母語話者的な特徴が多い。韓国語の音韻体系を韓国の母語話者と同じように修得できていないのだろうと思う。

文法面でも、例えば「猫になりました」の「猫に」のところで "~에" という日本語の「~に」に相当する助詞を使っている。「~になる」は韓国語では "~가 되다" で、直訳すると「~がなる」のような言い方をするので、娘の韓国語は日本語の影響を受けているのだろう。

娘の韓国語が不完全で日本語母語話者的になっていることを、親としては残念に思ったりもする。ただ、そう思うこともないのかもしれないとも、最近は思う。これについては下で改めて書く。

下の子の場合

ここまで第一子の娘のことを中心に書いてきた。うちのもう一人の子の言語の状況は、またちょっと違う。

娘の二歳下の息子は、娘よりも英語を使うことが多かった。二・三歳の頃は英語が優勢だった時期が多く、特に妻と息子の間では英語で話していて、周囲のママさんたちに「かっこいいねー」とか言われたりしていた。(英語をしゃべる子が「かっこいい」というのは、世間にありがちな評価なのかもしれない。)娘と同じインターナショナルスクールに入ってからも、授業で困難を感じることは特にないらしい。

家庭では今は日本語を使う。ただ、日本語の話し方にはちょっと独特な癖があると思う。日本語の本はドラえもんぐらいしか読まず、たいてい英語の本ばかり読んでいる。英語の読書に関しては、おそらく同年齢の平均的な水準以上のものを読んでいるのではないかと思う。例えばこんな本など。

一方、韓国語はどうかというと、娘と二人で週末の韓国学校に通わせてはいるが、娘よりも出来ないと思う。妻が子供たちに韓国語で話しかけると、娘のほうは理解するが息子のほうは理解できていないということは多い。考えてみると、私が子供たちに韓国語で話しかけるのをやめたとき、娘は5歳で息子は3歳だった。この2歳の差は大きかったのだなと思う。ただ、インターナショナルスクールでは何か名前を書く欄があったときにわざとハングルで書いたり、友達に韓国語の単語を教えたりしているようで、自分が韓国語ができることを自慢したいらしい。

ここまでを振り返って

子供が生まれる前や生まれたばかりの頃は、バイリンガル環境・マルチリンガル環境にあれば、子供は自然にバイリンガル・マルチリンガルに育っていくのだろうと思っていた。ここまでの我が家を振り返ってみると、確かにそういう面はある程度あるものの、簡単にバイリンガル・マルチリンガルになるわけではないとも思う。そのときどきで子供に関する悩みも多い。

特に、上でも書いたように、うちの子たちの韓国語については気になっている。今の状況としては、娘にしても息子にしても、韓国語は日本語や英語ほどには出来ない。特に音声の産出と知覚(つまり、発音や聞き取り)に関していえば、ネイティブっぽいとは言えないし、今からネイティブっぽさを身に着けるのは難しいかもしれない。ただ、最近は私は、ネイティブっぽい発音やネイティブと同様の音声知覚にこだわる必要もないと思うようになった。そう考えれば、韓国語を上達させる機会はこれからいくらでもある。『バイリンガルの世界へようこそ』という本の中で、心理言語学者のフランソワ・グロジャンはこのように言っている。

もう一度繰り返しましょう。第二言語を付け加えること、バイリンガルになることは、人生のどの時期でも可能なことで、幼少年期でも、思春期でも、大人でさえも可能なのです。

フランソワ・グロジャン(2018)『バイリンガルの世界へようこそ:複数の言語を話すということ』勁草書房. p.109.

思うに、むしろ大切なのは、うちの子たちのルーツの半分を成す韓国や、母親の母語である韓国語を大切に感じ続けることだと思う。その点では、今のところ成功しているのだろうと思う。

というわけで、我が家のマルチリンガル子育てはまだまだ続くが、今回はここまで。

補記

バイリンガルと吃音の関係については、研究もなされている。以下のレビュー論文によれば、モノリンガルとバイリンガルの吃音発症率を比較した研究報告は様々あり、その中ではバイリンガルのほうが吃音発症率が高いという研究報告が多いという。

もっとも、発症率が高いという報告においても僅かに高いというだけであって、バイリンガルであれば必ず吃音になるという話では全くない。

場面緘黙(選択的緘黙)についてもいろいろ調べたが(例えば以下の本)、バイリンガルと場面緘黙の関係に関する言及は見当たらなかった。

[追記:2023年3月7日]
前掲のグロジャンは、バイリンガルと言語障害について次のように述べている。

繰り返しになりますが、バイリンガリズムは言語の遅れや言語障害を引き起こすものではありません。マリー=ローズ・モロはとりわけこの点について断言しています。「今日、経験からみても先行研究からみても、バイリンガルの子どもに言語障害が多くみられると言えない。同様にバイリンガルの子どもに言語発達障害の子どもが多く見られるとも言えないのだ。」

フランソワ・グロジャン(2018)『バイリンガルの世界へようこそ:複数の言語を話すということ』勁草書房. p.136.


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