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多文化社会の申し子たちの居場所としてのインターナショナルスクール

プロローグ

その日の朝はいつもより早かった。私たちは6時前に起き、朝食を食べると、7時ちょっと前に家を出た。1月だったので外はまだ薄暗く、ちょうど日が出るか出ないかというところだった。車で数分走って、大通りの近くに車を停めた。KFCやファミリーマートが並ぶその大通りは私たちが普段から車でよく通る道だったが、こんなに早い時間に来たのは初めてだった。数分すると、その場所には他の親子が集まってきた。見た感じで判断する限り、欧米系の親子もいれば、アジア系の親子もいれば、日本人の親子もいた。ここに集まる人たちは、私たちの近所に住んでいる人たちなのだろうが、近所にこんなに民族的に多様な人たちが住んでいることが驚きだった。子どもたちが列を作って並ぶので、うちの娘も後ろに並んだ。しばらくするとバスがやってきた。青っぽいバスで、車体には特に学校名が書いてあるわけでもなく、ただフロントに紙で③と表示がされていた。うちの娘は他の子たちにつづいて、緊張した様子でバスに乗り込んだ。

娘がはじめてインターナショナルスクールに行った日の朝は、こんな感じだった。


私は日本生まれ日本育ちの日本人で、はオーストラリア生まれ韓国育ちの、オーストラリア国籍を持った韓国人である。二人の子供は日本とオーストラリアの二重国籍だ。妻の母語は韓国語で、オーストラリアの大学院を修了してから日本に来たため、日本語よりは英語の方ができる。夫婦での会話は主に韓国語である。

共働きの我が家では、上の子が一歳になると、近所のインターナショナルプリスクールに入れた。最近あちこちに出来ているような、日本人が経営し通う子供たちの大半も日本人であるというプリスクールだ。インターナショナルプリスクールに入れたのには、いくつか理由があった。一つには、子供たちが「普通の日本人」として育つことに、漠然とした抵抗があったからだ。子供は日本の名字だし、両親が東アジア人なので見た目は完全に「日本人」である。日本人の環境に入れれば、容易に普通の日本人として育つだろうことが想像できた。でも、子供たちには、日本と韓国という二つのルーツを持っていることを大切にして育ってほしかった。

上の子が小学校に入る年が近づいてくると、小学校をどこに入れるか悩んだ。子供たちがダイバーシティが尊重されるような環境で育ってほしいという気持ちはずっと持っていたが、インターナショナルスクール(以下、インター)は、最初はあまり選択肢に入っていなかった。

そんなあるとき、妻の知り合いからこんな話を聞いた。彼はアジアにルーツを持つアメリカ人で、子供のころ親の仕事の関係で日本のインターに通っていた。そんな彼が、今までの人生で一番幸せだったのは日本のインターに通っていたときだったと言うのだ。彼はずっと日本のインターに通っていたが、高校生になると親の事業がうまくいかなくなり、授業料が負担になってきたらしいが、学校のサポートがあり、無事卒業できたという。「将来のことはなんとかなるから、いま経済的に通わせられるなら、通わせたらいい」といって、彼は妻にインターを強く勧めてくれた。

私は日本のふつうの公立小学校の出身で、妻は韓国のふつうの公立小学校の出身だ。インターについては、授業料が高いらしいということ以外、ほとんど何も知らなかった。だから、その話を聞いてから、インターに関する本を読んだり、インターネットで調べたりした。インターが採用しているという国際バカロレアについても調べた。自分で調べることや、それらをもとに考えることに重きをおいたカリキュラムは、とても魅力的にみえた。高校卒業時に国際バカロレアの修了資格を得れば世界中の大学の出願資格が得られることや、最近では日本の大学でも国際バカロレアのスコアにもとづく特別入試を行う大学が増えてきていることを知った。

学校の見学にも行った。教卓に向かって児童の机がずらっと並んでいるのではなく、グループワークを前提としたような机の配置になっていた。教室の隅におかれたソファは古びていて、きっと子どもたちがそこで本を読んだり、ときにはふざけてジャンプしたりする様子が想像できた。全体的にリラックスした雰囲気の漂う教室は印象的で、親の私自身も、子供の頃こんな学校に通ってみたかったと思った。

このインターは日本の学校とは異なり、8月下旬に年度が始まる。見学に行ったのは8月上旬で、もう新年度が始まろうとするタイミングだったが、年度の途中、第三クォーターが始まる1月から通わせることができそうだった。

そういうわけで私たち夫婦は、授業料の負担を気にしつつも、幼稚園から高校まで一貫のインターに、小1から入れることに決めたのだった。

インターナショナルスクールとは何か

最初に断っておくと、私はインターの専門家ではなく、インターに子供を入れている一人の父である。私は研究者ではあるが、教育や多文化社会やバイリンガリズムの専門家でもない。ただ、研究者の性なのか、子供をインターに通わせ、他の家族の話を聞くうちに、インターについていろいろ調べられずにはいられなくなった。そして、多くの家族が抱えている悩みの背景を考えてみたくなった。そしてまた、インターの特徴やそこに通わせている人々の考えについて、インターネット上にはまとまった情報があまりないことを知り、記事としてまとめてみたくなったのだ。

さて、話の出だしとして、インターは世間ではどんなイメージが持たれているか、というところから書き始めたい。

ちょっと前、うちの子の通うインターで、新校舎完成記念のイベントがあった。そこに来賓として招かれた市長は、スピーチの中でインターのことを「アメリカンスクール」と言っていた。世間では「インター=アメリカンスクール」というイメージがあるのかもしれない。しかし、実際のところ、うちの子たちが通うインターをはじめ、多くのインターは実際のところそれほどアメリカンではない。(東京に所在する「アメリカンスクール・イン・ジャパン」は、校名にアメリカンスクールと冠しているぐらいなので、多少はアメリカ色が強いのかもしれないが。)アメリカ人の子供たちも通っているが、アメリカ人以外の子供たちも(というか、アメリカ人以外のほうが多く)通っている。教員の国籍も様々で、うちの子の通うインターの校長先生はイギリス人だ。インターの多くは国際バカロレア(IB)というカリキュラムを採用しているが、このIBはスイスのジュネーブで生まれたものだ。アメリカの公立学校が採用しているカリキュラムとはかなり異なる。

あるいは、インターはお金持ちの学校というイメージを持つ人たちもいるかもしれない。芸能人の子供がインターに入学したということが、芸能ニュースに出ることがある。子供を通わせてみると、確かに裕福な家庭が多いように思うし、そもそも授業料は高額なので、家庭の経済水準はそれなりのものでなければならない。ただ、後でも書くように、インターを選択する家庭には、様々な事情がある。何らかの事情があって、経済的に無理をしてでも通わせているケースもあるし、また、経済的に余裕があったとしても、日本においてインターというのは特殊な選択肢で、そのような選択をするに至った深い考えがあったりする。なので、「お金持ち」という括られ方には違和感を感じる。

ところで、インターにも様々な学校がある。『インターナショナルスクールの世界』(櫛田 2013)という本で、著者の櫛田はインターを大きく「老舗インター」と「新設インター」に分けている。また、昨今増えているインターナショナルプリスクール(英語ネイティブから英語を習える幼稚園)も、これらとは区別している。櫛田によれば、「老舗インター」を「古くは1900年代初頭に設立されたものから大まかに言って三十年ほど前から存在していたものを指す」と定義している。うちの子たちが通うインターは、1964年創立なので、超老舗とはいえないものの、老舗インターに分類していいだろう。櫛田によれば、老舗インターは「一番しっかりしていて、国際的にも通用する教育を行っている」のだそうだ。もっとも、これには老舗インター出身である櫛田のバイアスがあるかもしれないことには、注意しなければならないだろう。(開設時期や設立意図の異なる様々なインターナショナルスクールの特徴については、志水他編(2014)が参考になる。)

インターに通わせる家庭のタイプ

インターに子どもたちを通わせる家庭は、実に多様である。そんな多様な家庭を、ここでは大きく三つに分類してみたいと思う。(1) 駐在員家庭、(2) 日本人家庭、(3) 中間グループだ。

(1) 駐在員家庭

海外からのニューカマーで、親の職業は大企業の駐在員、日本にいるのは数年のみで、その後は出身国に帰るか、また別の国に行く(そこでまた、子供たちはインターに通う)。子供は英語母語話者だったり、すでに別の国でもインターに通っていて第二言語として十分な英語力を持っていることもあるが、非英語圏からのはじめての家族での海外赴任の場合、子供は英語をしゃべれないこともある。授業料は全額または部分的に会社持ちである。このタイプの家庭にとって、インター以外の選択肢はないし、学校側もこのタイプの子たちを優先的に受け入れている。

(2) 日本人家庭

日本人で、海外に特に縁のない家庭。家庭内の言語は日本語のみ。英語教育を重視していたり、インターの教育方針に賛同していたり、インターに子供を通わせる動機は様々である。子供が英語が全くできないと学校に受け入れてもらえないことが多いので、たいてい幼稚園からインターに通わせている。なお、子供たちを連れて海外に長期滞在した経験のある家庭(つまり子供たちが帰国子女である場合)は、複言語や複文化が家庭に(特に子供たちに)根付いているということで、次の「中間グループ」に含めることにする。

(3) 中間グループ

国際結婚の家庭、海外の長期滞在を経て日本に帰国した日本人家庭(帰国子女)、海外出身で日本に定住することになった家庭など。様々なタイプがあるので、一括りにするのが難しいところはある。我が家もこのタイプ。この記事で主に焦点を当てるのも、この「中間グループ」だ。

以上の三つのグループに分類してみたが、実際にはこれらは連続的である。海外から日本にきて最初の数年間は授業料を会社が負担し、そのまま日本にとどまることになって授業料が自己負担になる人もいる。つまり、駐在員家庭から中間グループに移行するケースである。また、両親が日本人である場合に、海外経験の違いによってここでは(2)と(3)を区別しているが、実際のところ海外経験の程度は様々だし、海外で生活をしたことがなくても海外と深く関わっていることもあるだろう。上の分類は、あくまでも話をわかりやすくするための便宜的なものである。

ところで、駐在員家庭の子供の在籍数は、変動が大きい。特にこの記事を執筆している今(2022年4月)はコロナ禍の真っただ中にあり、その影響で駐在員はかなり減っていると思う。その他にも、経済や国際情勢や、個別の企業の経営状態、経営方針にも左右される。うちの子の通うインターは、一時期特定の企業の関係者がすごく多く、そしてその企業の方針転換によって、その後ほとんどいなくなったということがある。インターが日本人家庭をどの程度受け入れるかは、おそらく駐在員家庭の増減に依存するところが大きい。駐在員家庭が多いときには、日本人家庭は受け入れの優先度が下がるが、駐在員家庭が少ないときには、その穴を埋めるように、日本人家庭が受け入れられやすくなっていると思う。

なぜインターに通わせているのか

インターに通わせる家族は、なぜインターを選択したのだろうか。上にも書いたように、駐在員家庭の場合、インター以外の選択肢はほぼない。以下では中間グループを中心に見ていくが、部分的には日本人家庭にとっての理由とも重なる。

(1) 言語

インターを扱った研究を見ると、興味深い事例をいろいろと知ることができる。たとえば東本(2018)は、海外生活を経験したあと日本に帰国した家庭に対するインタビューを行っている。そこに取り上げられている家庭の一つを取り上げよう。この家庭は、日本人の母とドイツ・日本のハーフの父のもとに子供たちがいる家庭である。この家庭の家庭内言語は英語で、子供たちを日本のインターに通わせた後、親の仕事の都合でのアメリカ滞在中は現地の公立学校に通わせ、日本に帰国後はふたたびインターに通わせている。子供たちは将来はアメリカの大学に進学予定だという。

同じ論文に出てくる別の家庭は、両親とも日本人だが、親の仕事の関係で、子供たちをアメリカの公立小→バングラデシュのインター→日本のインターに通わせている。教育の言語を一貫させたいという理由で、日本に帰国後もインターに通わせているのだという。

以上からわかるように、インターを選ぶポイントの一つは言語である。私の周囲を見ても、インターに通わせる上での重要な理由として言語の問題がある。ある家庭は、両親ないしは片方の親が英語圏の出身で、家庭内の言語が英語である。こういう家庭にとって、英語を継承していく上で、インターは有力な選択肢となるだろう。また別の家庭は、両親ないし片方の親が、ドイツやフランスや韓国出身だったりする。私たちの住む都市には、ドイツ人学校やフランス人学校や韓国人学校はないので(首都圏にはある)、これらの家庭では、普通の学校で日本語で教育を受けさせるかインターで英語で教育を受けさせるか、つまり母語ではない二つの言語からの選択となる。またある家庭は、日本人家庭だが、海外での長期滞在を経験している。子供たちが英語圏の現地の学校に通っていたり、非英語圏のインターに通っていた場合、子供に継続して英語での教育を受けさせることを望むこともある。

言語の問題は、家庭の将来の問題でもある。今は親の仕事の都合で日本に住んでいるとしても、ずっと日本にいるとは限らない。親の母国に、あるいはまた別の国に移る可能性もある。その国が英語圏であれば、英語が必要になる。英語圏以外の国だったとしても、日本語よりも国際語としての英語ができたほうが、役立つことは多いだろう。

あるいは、親は日本にとどまるとしても、子供に対しては日本以外という選択肢を開きたいということもあるだろう。そのとき、ほとんど日本でしか通用しない日本語よりも、国際語としての英語で教育を受けさせたいという考えは、十分ありうる。そのような考えは、日本にルーツを持たない親ほど持ちやすいかもしれないが、日本人の親でもそのように考える人はいる。この点では、子供の将来というファクターは、中間グループだけでなく、日本人家庭にも当てはまる。

(2) 教育システム

言語以外の動機として、教育システムがある。親が日本人でない場合、日本の教育システムの中に子供を入れることに不便さを感じたり、漠然とした不安を感じたりするかもしれない。また、片方ないし両方の親が日本の学校出身であれば日本の教育システムを熟知してはいるだろうが、それよりもインターの教育システムに魅力を感じることもある。

上でも少し書いたように、インターの多くは国際バカロレア(IB)のカリキュラムを採用している。IBの小学校版であるPYPのカリキュラムの中には、UOI(Unit of Inquiry)という科目がある。つまり、探求の時間だ。これに代表されるよう、各科目が個別にあるのではなく、それらを有機的につなぎ、覚えることよりも探求することに重きをおくようなカリキュラムが、インターの(特にIBに則っているインターの)特徴である。もっとも、IBによる授業は日本語でも可能で、日本のいくつかの学校(特に私立)でも取り入れている。

IBはインターの教育を特徴づけるものの一つだが、それ以外にも様々な面でインターは日本の学校と異なっており、それはインターの魅力としてよく挙げられるようである。以下のページはうちの子の通うインターによるブログ記事で、複数の親の声が取り上げられており、ここでも教育スタイルが強調されている。(この記事はインターの立場から書かれたものなので、客観的というよりはインターの広報的な面が強いかもしれないが、インターに期待されているものの一つの側面がよく現れていると思う。)

(3) 適応問題、アイデンティティー

このほかに、インターを選ぶ理由として、親子の学校への適応問題や、アイデンティティーの問題がある。日本の学校に入れたら、外国にルーツを持つ自分の子はいじめられるのではないか、という心配をすることもあるかもしれない。(例えば、インターを対象とした調査ではないが、林 2017 による在日外国人の学校教育に関する調査の中で、保護者の間でいじめに対する不安の声があることが報告されている。)また、そこまでの心配はしないにしても、マイノリティが子供たちに対して自らのアイデンティティーに誇りをもって育つことを望み、ダイバーシティが尊重されやすい教育環境としてインターを選択することがあるだろう。

これは我が家の例だが、子供たちをインターに入れたら、子供たちはそこで様々な文化的背景を持つ子たちと出会うことになった。親としても、様々な家族と知り合いになった。インターのコミュニティには、日本人もいるし、韓国人もいるし、その他の国の人たちもいる。このコミュニティでは、国際結婚の夫婦は全く珍しくない。そういう環境の中で、うちの子たちは自らのルーツの一部である韓国を尊重できるようになったと感じている。これが日本の学校だったら、日本以外のルーツの親子は、もっと孤立していたのではないかと思う。

このことを考えると、インターには多文化社会としての日本における、マイノリティの受け皿という側面があると思う。これについては、この記事の後半で改めて述べる。

先にインターを扱った論文を一つ挙げたが、他の論文として、Kuwamoto(2019)による非アジア人の父と日本人の母の家庭をインタビューした研究がある。ここでは、インターに通わせた家庭と日本の公立学校に通わせた家庭とを比較している。興味深いのは、インターを選択した家庭において、どのような要因が決定に影響したかに関する回答である。15名のうち、言語の維持・向上を挙げたのが13名、海外に住むための準備が8名、夫からのプレッシャーが6名、子供がいじめられることを心配してというのが3名となっている。「夫からのプレッシャー」というのが面白いが、これは日本人の母の視点から見るからそうなるのだろう。非アジア人の父の視点からみれば、そこにはアイデンティティーなど具体的な何らかの理由があるのだろうと思う。

サードカルチャーキッズ、移動する子どもたち

上で私が示した三つの分類は、家庭の観点からみたものである。子供の観点に目を向けた場合、これらの三つの分類に対応させるかたちで、駐在員の子供、(中間グループをのぞいた)日本人の子供、中間グループの子供に分けることができるだろう。これらは、既存のいくつかの概念とある程度重なるところがある。

1950年代に社会学者・文化人類学者のジョン・ウシームとルート・ウシームが初めて用いた用語に、 “third culture kid” (第三文化の子ども)というものがある。この用語は頭文字をとってTCKと略される。ポロック・ヴァンリーケン(2010)は、『サードカルチャーキッズ』と題した本の中で、サードカルチャーキッズ(第三文化の子ども、TCK)を次のように定義している。

第三文化の子ども(TCK)とは発達段階のかなりの年数を両親の属する文化圏の外で過ごした子どものことである。TCKはあらゆる文化と関係を結ぶが、どの文化も完全に自分のものではない。TCKの人生経験は彼らがかかわったそれぞれの文化から取り入れた要素で成り立っているが、彼らが帰属意識を覚えるのは同じような体験を持つ人々とのかかわりにおいてである。

ポロック・ヴァンリーケン(2010:34)

ここでいう「彼らが帰属意識を覚えるのは同じような体験を持つ人々とのかかわりにおいてである」というのが、サードカルチャーキッズの興味深いところである。つまり、シンガポールで育ったアメリカ人とオーストラリアで育った日本人は、(親の)母国も育った国も異なるが、同じような体験を持っていて、互いに通じ合うところがあるということである。

私の三つの分類でいうと、駐在員、特に母国以外で過ごす年数が長い駐在員の子は、典型的なサードカルチャーキッズと言える。中間グループの子どもたちの中にも、サードカルチャーキッズとみなしうる子供たちが含まれるだろう。

もう一つ、関係する概念として、「移動する子ども」がある。川上(2021:2)は、『「移動する子ども」学』という著書の中で、「小さい子ども時代から①言語間を移動する、②空間を移動する、③言語教育カテゴリー間を移動する」子供たちを「移動する子ども」と呼び、「移動する子ども」学の必要性を唱えている。「移動する子ども」(だった人)の例として挙げられているのは、テニス選手の大坂なおみや作家の温又柔などである。

「サードカルチャーキッズ」が空間的な移動にもとづいているのに対し、「移動する子ども」は言語間や言語教育カテゴリー間の移動を含めている。例えば、うちの子供たちは、日本人の父親を持ち、日本の一地方都市で生まれ、ずっとこの都市に住んでいるので、サードカルチャーキッズとはみなしにくいだろう。しかし、子供の頃から日本語と英語と韓国語に接し、さらに1歳のプレスクールから英語に接するようになったという点で、「移動する子ども」とはみなせるだろう。私の三つの分類でいえば、駐在員の子と中間グループの子は、何らかの意味で「移動する子ども」である。日本人家庭の子も、インターに入った時点で母語とは異なる言語で教育を受けることになるのだから、日本でインターに入る子供たちの全てが「移動する子ども」だということになる。

「サードカルチャーキッズ」や「移動する子ども」は、自らのアイデンティティーをめぐって葛藤することがある。『サードカルチャーキッズ』の本の中では、その葛藤の様子がよく描かれている。以下の動画もまた、このような子供たちの葛藤が伝わるものになっている。ちなみにこの動画はTEDの若者版で、ここで語っている子はうちの子と同じインターに通う生徒である。

授業料はなぜ高いか:(1) 法令上の位置づけ

ここで概念的な話から、現実的な話へと戻そうと思う。

これまでも述べたように、インターの授業料は高い。私立小学校の比ではない。そして、年々上がっている。

インターが高い理由の一つは、日本の法令上の位置づけにある。

学校教育法第一条には次のように定められている。

第一条 この法律で、学校とは、幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校とする。

学校教育法


この第一条に定義される学校はよく「一条校」と呼ばれる。インターの多くは、一条校ではない。インターをはじめ、民族学校や外国人学校の多くは、以下の第百三十四条で定義される「各種学校」として位置づけられている。

第百三十四条 第一条に掲げるもの以外のもので、学校教育に類する教育を行うもの(当該教育を行うにつき他の法律に特別の規定があるもの及び第百二十四条に規定する専修学校の教育を行うものを除く。)は、各種学校とする。

学校教育法

  各種学校は一条校と異なり、文部科学省の学習指導要領の制約を受けない。その一方で、国からの財政支援もない。例えば、私立の学校が受けているような私学助成を、各種学校は受けられないということだ。(ただし、自治体レベルでは外国人学校に補助金を出しているところもあるらしい。月刊イオ編集部 2022: 205-206)

家庭が国や自治体から得る助成制度も、各種学校では対象にならないことがある。例えば、2019年に始まった幼保無償化制度は、日本人を主たる対象としたインターナショナルプリスクールに通わせている場合には受けることができるが、各種学校に通わせている場合には対象にならない。だから、老舗インターの幼稚園部に子供を通わせている場合、この制度を受けることができない。

一方、2010年に始まった高等学校等就学支援金の制度(いわゆる高校無償化、ただし実際には無償になるわけではない)の対象には、インターも入っていて、授業料全体からすれば大きいとは言えないが、支援金を受けることができる。(ちなみに、この制度では、各種学校のうち朝鮮学校が対象から排除されており、そのことで裁判が起こされている。)

ところで、日本の教育制度は、インターナショナルスクールや民族学校などを一条校と区別することで、公教育の制度の外側に置いているということになる。では、世界ではどうなのだろうか。末藤(2005:33-41)は、公教育と外国人学校の関係について、以下の三つのように類型化している。

  1. 外国人学校を公教育制度に組み入れることが可能なケース

  2. 外国人を公教育制度から排除しているケース

  3. 組み入れと排除を並存させているケース

日本は (2) に相当するが、これと同様の例としては中国、台湾、韓国が挙げられている。(1)の例としてはアメリカ、カナダ、イギリスが挙げられ、(3) の例としてはドイツとフランスが挙げられている。

授業料はなぜ高いか:(2) エリート校志向

各種学校と位置付けられ国からの補助金がないという点では、他の民族学校と同じ条件なのだが、それらと比べてもインターはずっと高いと思う。そこにはまた、別の理由もある。

インターのターゲットの一つは、駐在員家庭にある。駐在員の多くは、その地域の大企業が呼び寄せている人々である。この点で、インターと大企業は密接な関係にある。実際に、インターを見ていると地元の大企業の影響力を感じることがある。例えば、インターの新校舎を建設するとき、高額寄付者に地元の大企業が名を連ねるといったところである。最初のほうで述べたように、新校舎完成の際には市長が来てスピーチをしたが(さらに、県知事も来たので、貴重なツーショットを見ることができた)、法的には各種学校に過ぎない学校のイベントに市長や県知事が訪問するところから、政財界にとってのインターの位置づけをうかがい知ることができる。これは、私たち家族の住む都市が、地方ではあるが国際的な企業の本社を複数抱える産業都市であるという事情もあるかもしれないが。

海外からやってくる駐在員はエリート人材である。そのような人材を海外から呼び寄せるには、ついてくる子供たちの教育の不安が取り除かれなければならない。そこでは、エリート人材を満足させるような教育の質が確保されなければならない。したがってインターは、エリート校志向になりがちなのだと思う。

エリート校志向のインターにとって、人件費は予算の大きな割合を占めているのではないかと思う。櫛田(2013)によれば、インターの教師は国際的な労働市場からリクルートされる。そこでは世界中のインターが人材を取り合っている。海外のインターに負けないような教育の質を確保するには、この労働市場から、優秀な人材を呼ばなければならない。したがって、人件費は高くならざるを得ないだろう。

教員以外の面でも、インターは充実している。たとえば、日本の公立学校でようやく動き始めたIT化は、インターではずいぶん前から進んでいて、学校では子供たちが一人一台のパソコンを普通に使っている。学校から一人一つメールアカウントも割り当てられている。学校としてオンラインの読書サイトや数学ゲームアプリなどを契約していて、そのうちの一部のサービスは、学校で割り当てられたアカウントを使って自宅でも利用することができる。最近話題のwordleも、親たちが知る前に、子供たちが学校で経験していた。学校からの連絡はすべて電子メールで届くし、親が先生にメールで質問などのコンタクトをとることもできる。もちろん、このような設備やサービスを維持するためには、それなりの費用がかかっているはずである。

充実した教育の結果か、インターの進学実績は良い(もっとも、どこまでが学校の教育の効果によるものなのか、判断は難しいところではあるが)。うちの子の通うインターからも、世界のトップ10に入るような大学に、毎年のように合格者を出している。インターは、激しい受験戦争を勝ち抜いた生徒が入学するような日本の名門高校とは違い、無試験で入ることができる。そのようなインターが優れた進学実績を出すのは、考えてみると驚くべきことだと思う。

中間グループの悩み

授業料の高さは、駐在員家庭の場合には問題にならない。会社が負担してくれるからだ。日本人家庭も、授業料が高いことは承知の上で、英語教育やその他の教育面で魅力を感じ、エリート校としてのインターに子供を入れるのだと思う。中間グループもまた、授業料の高さを覚悟して子供を入れるのだけれども、インターを選ぶかなり積極的な理由があり、経済的にけっこう無理をしていることもある、というのが私の印象だ。無理をしているから、通わせながらも悩み続ける。

なお、授業料が高いのであれば、もっと安い学校を選べばよいという意見があるかもしれない。実際、インターの中でも、従来のインターと比べて授業料の安い学校は生まれてきている。1997年に東京で開校したKインターナショナルスクールは、従来インターに通わせられなかったような層の人々に門戸を広げるべく、従来のインターよりも安めに授業料を設定しているという(渋谷 2014、渋谷・山本 2014)。(ただし、最近のKインターナショナルスクールのホームページを見ると、この学校の授業料も以前よりだいぶ値上がりしているようである。)私たちが住む都市にもまた、同様のコンセプトを持つと思われるインターが生まれている。ここでいう中間グループに相当する人々の中には実際に、そのような新設インターに通わせている家庭もあるだろう。

ただ、これはあくまでも私の印象だが、新設インターは日本人が多く、学校全体の雰囲気が日本的に見える。日本的であるということは長所でも短所でもあって、日本で教育を受けた親が違和感なく安心して子供を入れられる面がある一方で、日本的ではない教育を望む親にとっては否定的な評価につながりがちである。また、新設インターのうちでもごく最近できたところは、実績があがっていないので、子供の教育を任せてよいのか不安を感じるところもあるだろう。

それに対して、老舗インターは、中間グループにしてみれば、自分たちのための学校というイメージを持ちがちだと思う。学校の雰囲気そのものが多文化社会を体現していて、多文化社会の構成員という意識が強い人々にとっては、理想的な学校に見える。

学校もまた、そのことを意識しているようである。老舗インターの一つ、横浜インターナショナルスクールの教員デニス・スタンワース氏は、山本(2014)のインタビューの中で次のように語っている。

私たちの学校は、ほかのどこにも行く機会のない児童生徒たちに教育を提供する場所なのです。

山本(2014:311)

ただ、そうはいっても、「どこにも行く機会のない児童生徒たち」の家庭の経済水準は様々で、親が教育に対して期待するものも様々である。一つの学校であらゆる層のニーズを満たすのは容易ではなく、かといって、学校の選択肢がそれほど多いわけでもない。そこに難しさがある。

多文化の受け皿としての、(そして受け皿になりきれない)インター

外国人や民族的マイノリティの子供たちに対する教育に関する議論においてしばしば、日本語教育と母語・継承語教育が論点になる。つまり、日本語のよく出来ない子供たちをどうサポートしていくかということと、彼ら自身の母語、あるいは、彼らの親や祖先の言語の維持・継承をどうサポートしていくかということだ。

母語・継承語教育については、1992年に国連で決議された「マイノリティの権利宣言」の第4条3項において、次のようにうたわれている。

国家は・・・・・・マイノリティの属する者が、自らの母(国)語で学び、母(国)語で教育を受ける十分な機会を得られるよう、適切な措置をとる

「マイノリティの権利宣言」第4条3項(月刊イオ編集部 2022:203)

日本政府の対応はというと、日本語教育に関してはある程度の対応をしようとしている(ただし、決して十分ではない)一方で、母語・継承語教育に関しては、当事者たちが行うことを妨げないという程度の消極的な対応しかしていないように思える。このような日本政府の対応をどう評価するかは、政治的な論点であり、いろいろな立場がありうると思う。これについては、これ以上は立ち入らない。

さて、以上の論点とはまた異なるところに、インターに通う子供たちの問題がある。子供の親のうち少なくとも一人が英語母語話者である場合には、彼らが子供の言語教育に対して求めるものには、母語・継承語教育の側面があるといえるだろう。しかし、これまで書いてきたように、インターに通う子供たちの親のうちには、英語母語話者でない者も多い。母語にかかわらず、「サードカルチャーキッズ」や「移動する子ども」が集まってくる。それは、インターが、このような多文化主義的な家庭の受け皿として期待されているということなのだろう。

とはいえ、選択肢が少なく、たいていにおいて授業料の高い現在のインターは、このような子供たち全てに対して開かれているとは言い難い。これはインターを責めているのではなくて、インター自身ではどうしようもない事情によって、そうなっているのだと思う。

エピローグ

娘が3年生のとき(当時、公立小では2年生に相当する年だったが、インターは半年早く始まるので、インターでは3年生になっていた)、学校で次のような作文を書いた。学校での様子がよく伝わってくるので、日本語に訳し、固有名詞を伏せた上で、以下に掲載したいと思う。

私はNスクールに1年生から入りました。幼稚園のときは、Oという幼稚園に通っていました。友達がすぐ作れるので、私はNスクールが大好きです。

最初の日、私がバスに乗ると、一人の女の子が「ここだよ!ここに座って」と言いました。それで私はそこに座りました。そしたらその子が、「ゲームして遊ぶ?」と聞きました。私は恥ずかしかったので、何も言いませんでした。その子はただ、私にゲームを見せてくれました。バスが学校に着いたとき、とても遠いと思いました。女の子の名前はAでした。Aは私たちの教室を教えてくれました。私たちは同じクラスでした。Aは、「今からあそこの校庭で遊ぼう」と言いました。それで私は校庭に歩いていき、遊びました。私は二人の子とお話ししました。それからAは、「こっち来て!」と言って、私を音楽の教室に連れていってくれました。音楽の時間に、私たちはたくさんダンスをしました。音楽が終わると、私たちの教室に行きました。私たちはいくつもの教室を通り過ぎました。私はびっくりしました。それから私たちは勉強をしました。勉強はちょっと違いました。例えば理科でした。でも、それはとても面白かったです!たくさんの日が過ぎて、私は英語が上手になりました。それに私は他の国の言葉も覚えました!私のお父さんとお母さんはとても喜びました。なぜかというと、お父さんとお母さんが私をNスクールに入れてくれて、私が英語と他の国の言葉ができるようになったからです。ランチの時間には、私はカフェテリアで食べました。最初の日はB先生がランチをとるのを手伝ってくれました。それから私はランチをとるのがどんどん上手になりました。いろいろな種類の食べ物を食べるのは、とてもおいしかったです。私はいろいろな先生に会いました。例えば、音楽のC先生とか、美術のD先生とか、体育のE先生です。私はどの先生も好きです。

それから何日も何日も過ぎました。読書はだんだん楽しくなりました。今では難しい本も読むことができます!私は今まで知らなかったことをいろいろ習いました。今は私は何でもできます!私はときどき、学校の鶏にえさをあげます。それはとてもおかしな感じがして、楽しいです。

そしてある日、私は2年生になりました!2年生になっても、とても楽しいです。新しい友達もできましたが、ほとんどは前から知っていた友達でした。また新しいことを習いました。先生はF先生です。F先生はいい先生です!何日か過ぎたある日、G先生という新しい先生が来ました。G先生もとても親切です。私はよくG先生とお話ししました。G先生はとても面白いです!私は英語がもっともっと上手になりました。私は食品とかバイオームとか環境について習いました。ある日、Hという新しい男の子が来ました。体育の終わったあと、ランチの時間でした。私は友達のIと座っていました。Hはスクールランチを食べていて、Iもスクールランチを食べていました。Iはそれがspicyだと言いました。私がHに、spicyかと聞くと、Hは「No」と答えました。でもhotだと、Hは答えました。それで私たち3人は笑いました。そうやって私はHと友達になりました。それから私は、Jと親友になりました。私はいつもJと一緒に課題をしました。他の子たちはだいたい、授業中におしゃべりばかりするけれど、私とJは、話して作業して、話して作業して、話して作業しました。そうやって、私は課題からたくさんのことを学びました。今では私たちは専門家です!

ある日、Aが学校をやめることになりました。私はとても悲しくなりました。でも私にはもうたくさんの友達がいるから大丈夫です。でも、AがNスクールについて私が知らなかったことをたくさん教えてくれたので、私はやっぱり悲しかったです。最後の日にAはみんなに一つずつクッキーをくれたけれど、私には二つくれました。私はAにありがとうと言いました。私は、バスの中でAと一緒にゲームができなくなるので、Aがやめることが悲しかったです。でも私は気がつきました。私とAは同じバスに乗っています。ということは、私たちは近くに住んでいるということです。私はAの家に遊びにいくことができます!!Yay!私は家に帰ると、お父さんとお母さんに、Aの家に遊びに行ってもいいか聞きました。お父さんとお母さんは、「いいよ。もちろん。」と言ってくれました。私はうれしかったです。今では、私はたくさんのことを習っています。私はもう3年生です!

ちなみに、ここに登場するAちゃんは海外出身で、最初はうちの子と同じインターに通っていたが、事情があって今は地元の公立小に通っている。今ではAちゃんの家族とうちは家族ぐるみの付き合いで、Aちゃんがインターをやめたあとも、何度も会っている。

私たちは家族は、インターに子供を通わせている家族だけでなく、通わせていたけどやめてしまった家族、きょうだいの中で一人だけをインターに通わせている家族、インターに関心をもっているが通わせていない家族をいろいろ知っている。そのような家族はタイプとしても様々で、駐在員的な立場で来日して日本の会社にとどまった人の家族(つまり、駐在員家族から中間グループに移行した家族)とか、中間グループにあたる家族とか、日本人家族とか、多様である。皆それぞれにその家族なりの事情があって、悩みながら何らかの選択をしている。今インターに通わせている家族でも、このまま高校卒業までインターに通わせるか悩む家族は、おそらく少なくない。そしてたいていの場合、授業料の負担は、悩みの中で大きな位置を占めている。

さて、この長い文章の主人公は、子供たちのはずである。社会がますます多文化的な方向に向かい、子供たちの文化的な多様さが増す中で、子供のためにどのような場所を作ることが理想的なのだろうか。理想を実現する上で様々な現実的な制約はあるだろうが、私たちは子供たちのために社会をどのような方向に進めていくべきだろうか。


最後に。私は実は、この文章はおそるおそる書いている。民族的マイノリティというのは、この国ではとてもセンシティブな話題だからである。しかも、ここで語られている話は、社会全体から見れば、比較的恵まれた人たちの話だと思われそうなものである。ただ、ここで登場する人たちの世界に足を踏み入れ、その世界を知り、人々の考えと悩みを知った(そしてそれは、多くの場合私たち家族も同じように抱えている考えや悩みである)私としては、まずはこういう世界があることを文章にまとめることで、自分自身の考えを整理するとともに、他の人たちにも知ってほしいと思ったのだ。

参考文献

川上郁雄(2021)『「移動する子ども」学』くろしお出版.

櫛田健児(2013)『インターナショナルスクールの世界』Kindle電子書籍.

月刊イオ編集部(2022)『新版 日本の中の外国人学校』明石書店.

渋谷真樹 (2014) 「国際教育をより多くの人へ―ケイ・インターナショナルスクール」志水他編 (2014) 所収, 345-359.

渋谷真樹・山本ベバリーアン (2014) 「グローバル化時代におけるインターナショナルスクール」志水他編 (2014) 所収, 360-370.

志水宏吉・中島智子・鍛冶致 編著 (2014) 『日本の外国人学校 ―トランスナショナリティをめぐる教育政策の課題―』明石書店.

末藤美津子 (2005) 「外国人学校研究の課題」福田誠治・末藤美津子(編)『世界の外国人学校』東信堂, 3-47.

東本裕子(2018)「海外生活を経験した家庭が子供の教育機関としてインターナショナル ・ スクールを選択した理由」『横浜商大論集』 51(2). 155–168.

林恵 (2017) 「外国にルーツがある子どもの就学に向けた子どもと保護者への支援 ――外国人保護者への調査から――」『帝京短期大学紀要』19. 33-42.

ポロック、デビッド C.・ルース ヴァンリーケン (2010) 『サードカルチャーキッズ―多文化の間で生きる子どもたち』スリーエーネットワーク. (D.C. Pollock & R. van Renken. 2001. Third Culture Kids. Boston, MA: Interculturel Press.) ※原書は第3版が2017年に出版されています。 

山本ベバリーアン、渋谷真樹 訳 (2014) 「過去と現在との親密な結びつき ――横浜インターナショナルスクール」志水他編 (2014) 所収, 301-315.

Kuramoto, Makiko (2019) Cultural Identity Disequilibrium Experienced by Intercultural Parents During Their Children’s Elementary School Selection and Adaptation: A Qualitative Analysis of Interviews With Japanese Mothers Married to Non-Asian Fathers. The Japanese Journal of Educational Psychology, 67. 203–220.

謝辞

最初は気軽なエッセイのつもりで書くつもりだったのが、気がついたらエッセイと論文の中間のような、note記事としてはいささか長いものになってしまいました。論文の慣習にならい、最後に謝辞を書くことにします。

うちの子と同じインターに通う多くの家族や、インターの校長先生との対話が、この記事を書く上でのアイデアのもとになりました。皆様にこの場を借りて感謝いたします。

エピローグに載せるネタを提供してくれた娘にも感謝します。娘が成長して自分でこの記事を読むようになったときに、自分の作文を載せるのは恥ずかしいからやめてほしいと言わなければよいですが(笑)

研究者でもある妻(パクジュナ)は、この記事を下書き段階でよく読んでくれ、たくさんコメントをくれました。それはまるで投稿論文の査読者のようであり、私は査読に応じて論文を修正する研究者の気持ちで記事を手直ししました。そのおかげで、記事の論点がだいぶ整理できたように思います。

なお、最初の方でも書いたように、私はインターナショナルスクールや教育や多文化社会やバイリンガリズムの専門家ではありません。(私の専門は音声学であり、私のnoteの他の記事は音声学に関するものです。)この記事の中で書いたことには誤りや不正確な点があるかもしれませんが、その場合はどうか優しくご指摘ください。

追記(2022年10月23日)

子供の教育のことなどを呟くためのツイッターアカウントを(本アカウントとは別に)作りました。


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