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ウクライナの方との日本語授業を始めました。

こんばんは!

 3週間前から、ウクライナから日本に来られている避難民のかたとの日本語授業をはじめましたー!ついに、ついに。
こちらはボランティアとして行っています。

 なぜ、侵攻から1年も経った今支援を始めたのか。それには二つ理由があります。
 一つ目は、私はもともとロシア語を使って仕事をしたりロシアで日本語を教えていた経歴があります。そのことが複雑な気持ちを生み、必要以上に今回の決断を自分にとって大きなことと捉えてしまっていたからです。
というのも、英語がさほど得意ではないし、ウクライナ語も学んだことがないし・・・、つい自分がロシア語を授業中に使ってウクライナ人の生徒さんを不快にさせてしまわないか、何かデリカシーのない発言をしてしまわないか、という不安があったのです。

 みんながみんなそういう訳でもないですが、中には侵攻が始まってからロシア語は使わなくなった、嫌いになったという方もいます。今回授業を担当させていただくことになった生徒さんで、実際に人道回廊を通って大変な目に遭いながらウクライナを出国した方もいます。

 二つ目に、侵攻一年目の去年は、多くの日本語学校が無償で授業の提供を行っていたため、さほど需要がなかったからです。
ところが、今年はウクライナ避難民の方への無償授業を取りやめる学校が多く、もうサポートしきれない、という声が出ているというのです。
おそらく、昨年はまだコロナがようやく収まってきた時期であり、外国人の日本語学習者が実際に日本に来る人数は今年より少なかったはずですので、その中で避難民の方を受け入れられるキャパシティがあったのだと思います。 とはいえ、語学学校の中には様々な国からいろいろな状況の中、日本語学習と日本での生活を求めて生徒さんたちが集われています。
先生たちも特定の国だけに支援をするということが難しかったということが想像できます。
ロシアからの渡航者も増えてきていますし、なかなか日本語学校の教室の中は大変なんだろうな・・・と思います。
私は日本語学校では教えずに個人授業を主におこなっているため、そういった葛藤がありません。そしてついに今年役に立てるのならば、と志願してみることにしたのです。

 と、二つ私が尻込みしていた理由を書きましたが、逆に、背中を押してくれた理由が存在します。
それはトルコ・シリアでの地震です。
あの悲惨な地震があったとき、私はとてもいたたまれない気持ちになり、少しばかりではありますが、国境なき医師団へ寄付をしました。
そのときに、
「こうやってお金の支援はぱっとできるのに、なぜ自分が動こうとはしなかったんだろう。別にマイナスになるようなことなんて特にないのに。人が人を助けるのにどうして躊躇がいるのか」と、自分の中で張っていたビニールテープの線のようなものが廃れてほどけた気がしました。
「自分は日本語教師だから、しかもロシア語ができるからやれることがあるじゃん」ようやくそう思えるようになったのです。

 そうして、すがすがしい気持ちでボランティアを始めることに決め、それと同時に今まで日本語を習ってくれていたロシア人の若者で、戦争が理由で勉強から遠ざかっている生徒にも無償で授業を行うことにしました。
その生徒は現在ロシアを出て、ほかの国で生活しています。彼の弟と父親はロシアに残ったまま。きっと、声には出さなくても不安定な気持ちはあるだろうと思います。

 と、ここまで日本語支援を行うまでの気持ちを綴りましたが、次回はこの数回の授業のうちで感じたことをすこし、書きたいと思います。もちろん、生徒の事はプライバシーに触れないよう、おおまかな感想だけになるとは思いますが、是非読んでいただけましたら幸いです。

また、もしこの日本語授業無償支援をするために応援してくださる方がいらっしゃいましたら、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。!!
現時点でクラウドファンディングを行う予定はまだ立てていませんが、授業時間の確保のためには生活に支障が出ない余裕が、私自身にも必要となってきます。
もし「応援してあげるよ!」という方がいらっしゃいましたら、コメントくださいますよう 何卒なにとぞ、よろしくお願い致します。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
それではまた次回~!


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