うとQ世話し 続「子、親を選べず」その四
2021/2/7
(うとQ世話し 続「子、親を選べず」その四 )
口ではあれこれぶつくさ言っている真之介君でしたが、正直な気持ちを言うと、お父さんといるのは、満更でもありませんでした。
気を張らなくて済むし、カッコも付けなくて済む。気が楽で結構話が面白くもある。見ていると漫画の実写版みたいで、飽きが来ない。
しかし、自分がそれと同じ事を学校や友達の家でやる勇気はありませんでした。
曰く
「あれをそのまま外でやったら何を言われるか分らない。分らないどころか、村八分にされてまぅ」
なので、真之介君は外に出る度、自分の振舞いをどうしたら良いのか、いつも迷いながら歩いていました。
そんな自分のフラつきから来る居心地の悪さからお父さんを改めてみてみると
「あれはあれで、結構勇気がいるねぇやもしれんなぁ」
と思う事もありました。
それである時、真之介君はお父さんに尋ねました。
「おとぅ、おとぅは人の目とか気にならんの?村八分とか、怖ぉうなぃん?」
するとお父さんは
「んっ?なんや又、改まって。熱でもあるんちゃうかぁ?」
「平熱や」
「で、又なんでそねぃな事、訊きよる?」
「おとぅみたいに脳天気に暮らせたら、楽やろぅなぁ、思ぅて」
「真之介は、楽やなぃんか?」
「楽やなぃ、言うよりなんやら、ふわふわ、グラグラ落ち着かんねぇや」
「さよかぁ。そりゃ、難儀やなぁ」
「おとぅは、昔からそんな、やったん?子供の頃から」
するとお父さんは暫く思い出す様な目になってから
「うんにゃ。子供の頃は、親戚の集まりで、みんなが海老を生きたまま食べる「躍り食い」するのを見て、泣き出したりしたものやから、その時以来、弱虫がんちゃんとか臆病風の雁之助とかいわれよったなぁ。学生時代にも、アルバイト先の社員の人から「社会のお荷物でしかないなぁ、お前」とよく言われたし、勤めにでるようになってからは上司に「何度いったらわかるんだ。何故マニュアル通りにやらん?自分流でやるな」と怒られてばかりで、自信の「じ」の字もなかったわ」
「へぇ、意外なやぁ。知らなぁんだ。せやけど、いつから180度変わってもぅたんや?今の羽目外しでお気楽満載のガキンチョタイプに」
「ガキンチョ?なんや、それ。わしは大人や、ぞ」
「まぁ、細かいことは気にせんで」
「そんな自分が、や、ある時命に関わる様な大手術をする事になったねぇや。麻酔が醒めて目を開けた時にこの世の景色が見えるか、もうそのまま見えないで終わりか、いぅようなやっちゃ、な」
真之介君は、知らない間に身を乗り出していました。
「己は未だ小さい頃やったから、覚えてひぃんやろ。父ちゃんが三ヶ月位、家にいんかった事」
「おらなんだぁのは、おぼえとぉ。しやけど、おかんにおとぅはどこいったんやぁ?訊いても、お仕事で、いぅてた」
「さよかぁ、心配させとぅなかったんやろぅ」
そこに電話が掛ってきました。
「続きは明日。これから仕事や」
お父さんはそう言い残して出かけていきました。