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人との出会いが世界を拓いてくれる。「第二の故郷」パラオでのフィールドワーク

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.43 パラオ共和国

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、ご紹介している本コーナー。

今回は松本 和子先生に、大学院生時代に「出会った」パラオでのご体験談について伺いました。取り上げた場所については こちら から。


「10年後に再訪したい場所」として博論のテーマをパラオに決定

――松本先生はパラオ共和国を何度も訪問されています。パラオに行こうとなった初めのきっかけからお聞きできますか?

松本先生: 英国エセックス大学の大学院生だったとき、博士論文のテーマ設定に随分悩みました。ウエールズ人の友人と相談していると、指導教官が「10年後に再訪してみたいと思える場所を選ぶと良いよ」とアドバイスしてくれました。先行研究が少なく自分の好みに合いそうな場所をあれこれ検討して、ペンギンの好きなその友人はフォークランドへ、ダイビングの好きな私はミクロネシアに照準を定めました。しかしイギリスの大学図書館にはミクロネシアに関する情報が極めて乏しく、またインターネットもまだ黎明期で「ミクロネシア」という検索語にはほとんどヒットしないような時代でした。広大なミクロネシア地域の中から、私の専門とする社会言語学の調査に適した島を見定めるために、まず2カ月間、「放浪調査」で複数の島々をめぐり、小規模な調査を繰り返していきました。その中での様々な発見、出会いからパラオを自らのフィールドと決定しました。


「アイランドタイム」とはうらはらに焦る日々

――「放浪」の末にパラオに行きつかれたのですね! 実際にパラオに行かれて、印象的だった出来事についてお聞かせください。

松本先生: 驚いたことに、パラオ語には「計画・約束・時間」などの言葉が元々ありませんでした。現在は日本語のこうした言葉が借用語 (keikak, iaksok, sikang) として使われています (パラオは戦前、南洋群島として日本の統治下に置かれたことから日本語の影響が色濃く残っています)。そこから想像できると思いますが、調査でのアポは悩みの種でした。いくら事前の確認を繰り返しても、遅刻や無連絡のキャンセルはごく当たり前。悪びれる様子もなく、「暑かったから椰子の木陰で休んでたの」といった調子です。パラオには「アイランドタイム」という表現があり、時間の流れ方が日本より遥かにゆったりしているのです。

帰国する日程から逆算して、いつまでにこのデータを何件、あのデータを何件、などという皮算用は見事に吹き飛んでいきました。郷に入っては郷に従え、異文化を受け入れなければならないのは自分だと頭では理解していても、焦る気持ちからこの時間感覚の違いに苛立って、最初の頃は相当疲弊していたことを覚えています。


発見したのは、「調査者」だけでなく家族・仲間になることの重要さ

――借用語や「アイランドタイム」の表現についてのお話、とても興味深いですが、環境や文化が異なる中での調査は、その分、焦りも大きくなってしまいそうですね…。それからどうされたのか、気になります。

松本先生: 異文化を頭で理解することと、皮膚感覚で体得することには大きな隔たりがあるということを実感しました。そもそも「調査する」とは何なのか真剣に考えました。調査をすることで私は博士論文を執筆でき、将来の仕事にも繋がるけれども、被験者であるパラオの方は善意で協力をしてくれているわけです。でもいくら頭ではそう理解しても、キャンセルが数日続くとストレスでいっぱいになり、焦燥感に苛まれました。

そのような状況からの突破口となったのは、「調査者」としての役割を脱ぎ捨てて、家族、仲間としてパラオ人たちの中に飛び込んでいった経験です。私を養女として住まわせてくれた家族の冠婚葬祭などの手伝い (パラオは大家族制で「siukang (これも日本語の「習慣」を借用した語) 」と呼ばれる贈答慣行によって相互扶助的な経済援助を行う慣わしがあります)、パラオ環境保護協会 (Palau Conservation Society)、コロール州レンジャー (Koror State Ranger)、 老人会 (Senior Citizens Center) でのボランティア活動を通じて幅広い人間関係を築くことができ、「アイランドタイム」にも慣れ(笑)、精神的に楽になりました。

パイロット調査で出会った元ファースト・レイディー (2代目大統領Lazarus Salii の妻Christina Salii) とのツーショット。1997年撮影。
「私を娘として迎え入れてくれ、私にとってパラオの母となった人物です」と松本先生。
「パラオの伝統的な儀式 (siukang) のひとつであるomengat (初産後の母親の健康を祝う儀式) で祝福される友人・親戚のMichelle Mosesです」。2004年撮影。


松本先生: そうしているうちに毎日朝から晩まで自分の車を使って私の調査に協力してくださるパラオ人の老紳士の方々まで現れました (この方々は私のPh.D取得の大恩人です!)。このように直接調査とは関係のないパラオ人コミュニティーへの積極的な参加によって、本来の目的であった調査も徐々に軌道に乗っていったのです。

自発的に調査の手伝いを数カ月間、毎日のように行ってくれたパラオの恩人3人組。1998年撮影。
左:琉球出身の父とパラオ人母の間に生まれた奥原和男さん (Kazuo Okuhara)。
中央:愛知県出身の父とパラオ人母の間に生まれた小田愛知さん (Aichi Oda Ngirchokebai)。
右:パラオ人のエリス・テラメスさん (Ellis Tellames)。
パラオでの恩人たちのサポートもあり、英国エセックス大学で博士号を取得。


松本先生: ちなみに東大に着任し、結婚・出産してからは子連れでフィールドワークを続けています。調査中は地元の学校へ子供を通わせていますが、そこでも思いがけず調査の助けになるような出会いに恵まれました。同じく子育てと仕事の両立に苦しむママ友から理解を得て、データの最も取り難い働き盛りの年代からのデータ収集も順調に進めることができました。

2018年、国際学会 (Sociolinguistics Symposium 22, ニュージーランド、オークランド大学開催) で女性研究者に関する特別企画「Narratives of Motherhood」に米国、カナダ、スウェーデン、ノルウェー、南アフリカからの研究者らと登壇した際に使ったスライド。写真はどれも2015年にお子さんを連れて行かれたフィールドワークの様子。地元の学校やパラオの家族、パラオの伝統的衣装 (usaker) をまとい夕陽を知らせるほら貝 (debusech) を吹く姿を撮影したもの。


「他者」との出会いが、自分の視野を広げるきっかけになる

――調査以外の場面で現地の人々と関わりを持ったことが、結果的に実りの多い出会いに繋がったのですね。今でも大切な出会いが生まれていることに、感動を覚えます!

松本先生: 最初の調査ではパラオの「アイランドタイム」に苦しみ、焦りを募らせた私でしたが、今となっては間違いなくパラオは居心地の良い第二の故郷です。10年後、20年後だけでなく、確実に30年後、40年後にも帰省するでしょう。

パラオに限らず留学先のイギリスもそうですが、若い頃に自分にとっての「当たり前」が通じない社会でもがき苦しむことによって新たな価値観を見出し、心に柔軟性がもたらされたように感じています。若いときに異文化の中で格闘した経験を持っていれば、少なくとも一見理解できない相手であっても、その相手の考えに一旦寄り添って理解してみようという態度を持つことができると思います。理解できない「他者」のお陰で自分を相対化することができます。理解できない「他者」が目の前に現れたら、それは自分の殻を破り視野を広げるチャンスなのかもしれません。そういうチャンスを得る機会として海外留学というのはとても有効なのではないでしょうか。


違和感や不快感を乗り越えた先に、新たな世界が広がっている

――もがき苦しむことで得るものがあるという言葉は励みになります。
留学や国際交流がしたいと考えている学生たちに向けて、さらにメッセージをいただけますと幸いです。

松本先生: 20代の頃は「自分の目で見て肌で感じたい」という強い思いに突き動かされ、学部時代はニュージーランドやフィジー、ニューカレドニアなどの大洋州に、大学院生としてイギリスで留学中にはヨーロッパ内だけでなく、モロッコやチュニジア、イスラエルなど北アフリカや中東へも何度も足を運びました。こうした経験は人種や言葉、宗教の垣根を越えた世界観を持つことに大きく役立ったと思います。皆さんも、学生時代にぜひ積極的に異文化に接する機会を持ってみてください! 異文化というのはエキゾチックで旅情をそそるだけではなく、時に非常な違和感や不快感ももたらします。でもそれを乗り越える過程で新たな視点が生まれ世界が広がり、人生が豊かなものになると確信しています。

――ありがとうございました!

松本先生より、本記事に関連するさまざまな情報をお寄せいただきました。
ぜひあわせてご覧ください!

■松本先生よりお知らせ
1.東大の着任時に『教養学部報』で書いた自己紹介文「時に沿って:出会い」の中で、留学や現在の専門にたどり着いた経緯を書いています。関心を持ってくださった方はこちらをご覧ください。

2.ミクロネシアでの「放浪調査」に関心を持ってくださった方は、以下をご覧ください。
 ●Matsumoto, Kazuko (2018) Encountering Micronesia through sociolinguistic fieldwork. People and Culture in Oceania 34, 89-100.

3.パラオ語やサハリン(樺太)のロシア語で使われている日本語由来の借用語に関心を持ってくださった方は以下の文献をご覧ください。
 ●Matsumoto, Kazuko (2016) The role of domain and face-to-face contact in borrowing: The case from the postcolonial multilingual island of Palau. In D. Schmidt-Brücken et al. (eds) Aspects of Postcolonial Linguistics: Current Perspectives and New Approaches. Berlin: Mouton de Gruyter. 201-228.
 ●Matsumoto, Kazuko and David Britain (2019) Food-related lexical borrowings as indicators of the intensity of language contact in the Pacific. In G. Balirano and S. Guzzo (eds) Food Across Cultures: Linguistic Insights in Transcultural Tastes. London: Palgrave Macmillan. 127-167.
 ●Fajst, Valeriya and Kazuko Matsumoto (2020) Japanese and Korean loanwords in a Far East Russian variety: Human mobility and language contact in Sakhalin. Asian and African Languages and Linguistics 14: 155-195.


📚 他の「私を変えたあの時、あの場所」の記事は こちら から!

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次回の記事も引き続き、お読みいただけるとうれしいです^^


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