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ひとりの人間として向き合うことの大切さ。1990年代、ベトナム留学へ

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.44 ベトナム/ベトナム国家大学ハノイ校ベトナム研究協力センター

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は岩月 純一先生に、ベトナム国家大学へ留学されていたときのお話を中心に伺いました。取り上げた場所については こちら から。


1990年代のベトナムへ。目的の資料へ行き着くまでに何年も通った

――今回は岩月先生が学生のとき、1996年から1998年にかけてベトナムに留学されていた当時のお話を伺えればと思います。
はじめに、留学に行かれた経緯などから教えてください。

岩月先生: 学部生の頃、ベトナムに興味を持ち、研究しようと思ったのですが、当時は渡航も自由にはできませんでした。大学院生になってようやく2週間行くことができましたが、自分が研究したい資料にアクセスするには長期間滞在しないと無理なことがわかり、2年間留学しました。ベトナム語の会話がなんとかなるまでに1年近くかかり、本格的に資料を調べることができたのは2年目になってからでした。ほんとうに見てみたかった資料の中には、留学後にも何度も通い、何年もかかってようやく閲覧を許されたものもあります。


単なる窓口でのやり取りから、やがてひとりの人間どうしとしてのやり取りへ

――研究への熱意を感じるお話です。ベトナムに滞在されて、印象的だった出来事はどんなことでしたか?

岩月先生: 一回の出来事ではないのですが、何か用事があってはじめて行った窓口で、その一度で用件が達成できることはまずなく、「今日(〇曜日)は休みだ」「この書類がないとだめだ」「今日は担当がいない」「もう営業時間は終わりだ」と言われ、出直さなければならないのが当たり前だったことです。何が必要か、知人に聞いたりあらかじめ調べたりしてから行ってもだめで、いったんは追い返されることがしばしばでした。そこに出ている利用案内の掲示を読むと違うことが書いてあったりもするのですが、窓口に座っている人が言ったことは絶対でした。


――調べて行ったのにだめなのはショックですね…。それから、どうされたのでしょうか。

岩月先生: 最初は単純に腹を立てていましたが、そのうちに「何ごとも一度ではうまくいかない」「最初に立てていた予定の半分もうまくいけばましな方なのだ」と考え方を変えました。さらに時間が経ってからわかったのは、何度も通って顔なじみになるとみんなだんだん親切になり、こちらが思いもしなかったことまで引き受けてくれたり、逆に個人的なことを頼まれたりするようになることでした。つまり窓口に座っていたのは人間であり、事務を処理する機械ではなく、ひとりの人間としてこちらに応対してくれていたということです。わたしも、人間として相手を思いやり、名前を覚え、声をかけ、世間話をし、時にはいただきもののおすそわけを持っていったり、相手の負担を考えてこちらからの注文を少なくしたり、いろいろ気配りを考えるようになりました。


帰国後も感じる、ベトナムで学んだ「人と人」としての向き合い方

――ただの事務的なかかわりを超えて、人間同士の交流が生まれていったのですね。ベトナムで過ごされた日々からは、どんなことが得られたと思われますか?

岩月先生: わたしは留学前にアルバイトもろくにやったことがなく、社会経験がまるでなかったので、今から考えると、ベトナムは自分にとって、楽しいことも厳しいこともひっくるめて、社会のしくみやマナーを教えてくれた学校そのものでした。そんなことは母国で勉強してから来いと言われてもしかたないところですが、あのときに悪戦苦闘した体験の一つ一つが、今こうして社会生活を営んでいる自分にとって、行動のためのヒントになっています。その意味では、わたしにとっての海外体験は、日本で得た体験と、究極のところはつながっているように思います。


――海外体験が今の社会生活のヒントになっているとのことですが、帰国後も海外での日々が活かされているなと感じた体験がありましたら、お聞かせください。

岩月先生: わたしは駒場の博士課程を退学してそのまま助手になったため、学校がそのまま職場になりました。駒場という空間は何も変わらないのに、通うオフィスと付き合う人ががらりと変わり、生活世界が一変しました。そのとき脳裏に浮かんできたのは、「窓口に座っているのは機械ではなく、ひとりの人間だ」というベトナムでの経験です。自分も窓口に座る立場になり、周囲の窓口に座っている人の実感をじかに聞く機会もできて、学生の頃に何とも思っていなかった当たり前の「サービス」が、実はその後ろ側にいる多くの見えない人たちの働きがあってようやく成り立っている現実を体感しました。ベトナムでの経験が、自分の長く親しんでいたはずの駒場という空間に対する新しい理解と結びついた瞬間でした。


――ベトナムでの日々が、今度は駒場での日々に結びついたのですね! ちなみに、留学でのお話にまつわる、こぼれ話などありましたらお聞かせください。

岩月先生: わたしの体験は、ベトナムがドイモイ(改革開放政策)を本格化させてからしばらく後のことで、今はずいぶん変わりました。留学した頃、ハノイには高層ビルがありませんでしたが、滞在中に13階建ての「ハノイタワー」というビルができて、仰ぎ見ていました。今は郊外を中心に高層ビルが立ち並んでいて、市内で一番高いビルは72階建てだそうです。いろいろな事務手続きも簡素化され、窓口に並ばなくてもネットで済むようになっていて、隔世の感があります。


「未知との遭遇」は、あなたの糧へと変わる

――ベトナムの窓口でのやり取りも、今では変わっているのですね…。
さて、最後になりますが、留学や国際交流がしたいと考えている学生へ、メッセージをいただけますか。

岩月先生: みなさんが「海外」で体験することと「日本」で体験することとは、どちらも「未知との遭遇」という点では本質的には変わらないかもしれません。けれども、「海外」には、「日本」に比べてはるかに落差の大きい、自分が意識したこともないような「未知」が広がっています。デバイスの電源を切ってしまえば消えてしまうバーチャルな空間ではなく、360度見回しても逃げ道がない現実の中で遭遇する「未知」は、きっとみなさんの心によりくっきりと刻みつけられ、終生の糧となることでしょう。

――ありがとうございました!


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