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カリフォルニアの「日本町」コミュニティで過ごした日々

「私を変えたあの時、あの場所」

~ Vol.60 アメリカ/在サンフランシスコ日本総領事館 および カリフォルニア大学バークレー校

東京大学の先生方から海外経験談をお聞きし、紹介する本コーナー。

今回は小田 隆史先生に、アメリカの領事館で外務省専門調査員として勤務された経験やカリフォルニア大学で留学された経験についてお伺いしました。取り上げた場所については こちら から。


現地調査員としてアメリカの日系コミュニティに浸る日々

——カリフォルニアで領事館に勤務されています。働かれるまでの経緯についてお聞きできますか。

小田先生: 学部生時代に、アメリカ・ミネソタ州の大学の地理学部に交換留学した経験や、培った語学力を活かして、国際的な仕事を経験したいと思っていた博士課程1年目のある日、国際協力系の雑誌の求人広告で偶然見つけた外務省専門調査員のポストに応募したところ採用され、休学してカリフォルニア州の在サンフランシスコ総領事館に3年間在勤しました。任国に関する知見と修士号を持つ若手の人材を在外公館に赴任させ、調査・研究や実務に従事させるという制度です。地域社会や政財界の一線で活躍する多様な人たちと手がけた仕事が、外交の一助になることを実感でき、とても貴重な経験となりました。


——若手の方が外務省専門調査員に着任する制度があったのですね。着任されて、具体的にどんなことをされたのでしょうか。

小田先生: 領事館着任後、私は、政務班の外政担当として、日系など現地のアジア系コミュニティとの連携強化を任されました。日本政府は、在米日系人リーダー招聘プログラムを実施して、米国社会で活躍する日系三世、四世などと交流を深め、日米関係強化を図っています。日頃から、管轄地域のサンフランシスコ市やサンノゼ市に現存する「日本町(Japantown)」に足繁く通い、日系人コミュニティの現状を調べ、縁ある日本に関心を持ってもらう人的交流を企画・実行する仕事です。

“What do you know about Japanese Americans?”
着任の挨拶に出向いた際、最初に放たれた日系三世の言葉は、冷ややかなトーンを伴っていました。無知な私を察したのでしょう。第二次大戦中、日系人は「敵性外国人」に指定され、過酷な強制収容所での生活を強いられました。米国生まれの米国籍をもつ二世も含め、自らの政府が強制的に人里離れた土地に住まわせたこと、そして、その過ちを認めさせるべく、戦後、日系三世の若手弁護士らによって権利補償運動(Redress)が展開されたこと、さらには戦時中、全ての日系人が去った日本町を再興させ、維持させようとしていることをほとんど知らないまま「日本町」に飛び込んで行ったのです。日本をルーツに持つゆえ差別され、収容された経験から、戦後の日本との関係に距離を置き、自分たちを守ってくれなかった政府や権力に嫌悪感を持っていた日系人も少なくありません。そんな人たちと日本の領事館員としてどう関わっていけば良いか当初は戸惑いましたが、いっそ仕事のカウンターパートとしてだけでなく、個人的に深く付き合い、コミュニティの一員と思ってもらえるようにと考えるようになりました。その頃は、日本町が形成されたちょうど100周年にあたり、記念事業の実行委員になったり、友人宅でお盆や餅つき、カラオケを楽しんだりと、昼夜問わず、公私ともにどっぷりと日系コミュニティに浸る3年間でした。

サンフランシスコ日本町の中心街
河野洋平衆議院議長(当時)の日本町視察にアテンドする様子
写真提供:北米毎日新聞社
クリントン政権で商務長官・ブッシュ政権で運輸長官をつとめた故ノーマン・ミネタ下院議員と


「外部者」だからこそ見えてくるものを大切に

——着任当初は戸惑いもあったものの、深くコミュニティにかかわることで仕事以上の関係を築いていかれたのですね。
3年の調査員としての期間が終わってから、そこでの体験はどのように展開されていったのでしょうか。

小田先生: 任期を終えて帰国した後、東北大学大学院に復学した私は、戦後の日系人社会の変容と日本町の再開発をテーマにした博士研究を続けました。フルブライト奨学金をいただいて、カリフォルニア大学バークレー校に留学し、現地でフィールドワークを行いながら仕上げました。「にわか外交官」として、あるいは地理学のフィールドワーカーとして、対象地に通い続けること、かかわることの意義を問い続けたことは、後に3.11を機に新たな「フィールド」として東北に向き合うことになる私のスタンスにも、大きく影響を及ぼしていると振り返っています。領事館着任時に懐疑的だった日系人の一人は、帰国の際、私をHonorary JA(名誉日系アメリカ人)と称してくれました。最高の褒め言葉をいただいたと素直に喜びました。しかし、戦時収容の受難の歴史を共有していない日本人の私は、所詮「外部者」であり、どれだけ土地の人々と深く関わっても、「異人(stranger)」としての居心地の悪さを禁じ得ないもの——かつてフィールド調査法の授業で習ったフィールドワーカーが直面するわびしさ——も自覚していたのです。もっともそれは、距離感を保つことや他人行儀に振る舞うべきことを意味するわけではありません。過去を知り、<共感>することは誰にでもできます。信頼を築いた外部者だからこそ気付くこと、伝えられることもある。そう理解できた経験は、研究者としての私の糧となっています。

帰国の際に日本町の人たちからいただいた寄せ書き


東日本大震災の被災者と日系人との交流の実現

——「外部者」であることをネガティブに捉えるのではなく、「外部者」という立場だからこそできることに目を向けるのが大切なのですね。
話は渡航体験からそれますが、東北をフィールドにされているお話が出たので、その件も少しお聞かせください。

小田先生: 東日本大震災で郷里の福島いわき市を含め縁ある東北の沿岸が被災しました。震災直後に、サンフランシスコの日系人たちが募金活動を開始し、様々な支援活動を展開しました。日系三世のフィギュアスケート金メダリスト、クリスティ・ヤマグチさんをはじめとするサンフランシスコの日系人の有志が、ハワイからフラダンサーたちを伴って、いわき市に慰問に来てくれました。歴史的にハワイと関係が深い日系人が映画『フラガール』で知っていた福島・いわきの震災、原発事故からの再起を応援したい。そう私に打診があり、いわきの有志たちと一緒に実現しました。米国務省は米国人に対し、福島への不要不急の立ち入りをいまだ制限していた時期のことです。震災被災地の人々と、日系人とのこうした交流の軌跡は、ダイアン・フカミ監督のドキュメンタリー映画『Stories from Tohoku』で描かれています。あの震災を機に、私自身、当たり前に過ごし育った東北に向き合い直し、復興や防災をテーマに研究をしていくことになったのです。


船をずっと眺めていた、カリフォルニアでの思い出

——小田先生のご専門である地理学にはこのようにつながっているのですね。
お話はまたカリフォルニアに戻りますが、滞在されていて他にも思い出に残っていることなどありましたらお聞きできますか?

小田先生: 北カリフォルニアの大自然も満喫しました。休日には、同僚や友人たちと国立公園やワイナリーなどへよく出かけました。船好きの私は、太平洋を渡って金門橋を通過してサンフランシスコ湾の各港に出入港する大型貨物船や客船を見によく出かけました。地中海性気候の乾燥した心地よい夏の日に、ゆっくりと進む船の動きをコーヒー片手に飽きもせずずっと眺めていた日々が懐かしいです(笑)。

金門橋を通る客船クイーン・メリーⅡ


海外体験がその後の基盤に。ぜひ「旅に出よ」

——ただ光景を眺めているだけの時間も豊かで、良いですよね。
カリフォルニアを振り返られて、当時の経験が活きているなと感じることはありますか?

小田先生: 留学や海外勤務を経験していなかったら、全く違う自分がここにいると思います。それはそれできっと幸せに暮らしていたとは思いますが、世界の見方、かかわる人たち、手がける仕事などすべてにおいて、米国での留学と勤務経験が基盤になって今の自分があるといって過言ではありません。アカデミックな面でいえば、今もカリフォルニアなど米国西海岸を研究対象フィールドにしていますし、「都市地理学」や「アメリカの自然と社会」といった担当する授業でも、昔の思い出話を交えながら、まちづくりを始めとする現代アメリカの諸問題について学生たちと考える機会を持ち続けられています。


——当時の経験が色濃く今も影響しているのですね。
最後になりますが、これから留学や国際交流がしたいと思っている学生へ、メッセージをお願いします。

小田先生: ある地理学者は、高度に発達した交通・通信技術により進展するグローバル化により、あたかも地球の大きさが小さく圧縮されているかのように思えてくる感覚を「時間―空間の圧縮」という言葉で表現しました。空間的に離れた場所と相互に関係し、依存度を増す現代が直面する諸問題に向き合うためには、遠く離れた場所に対する「地理(学)的想像力」が不可欠です。それを喚起するためにも、異なる文化、社会に身を置き、あえてカルチャーショックを受け、翻って自分や自文化、自地域について省察する経験が活かされるはずです。月並みですが「『百聞は一見にしかず』ゆえに『旅に出よ』」ってなところでしょうか。

——ありがとうございました!

東京大学には「UC派遣プログラム」があります。これはアメリカ カリフォルニア大学バークレー校、およびデービス校の2校との協力により本学の学生を1学期~1年派遣する留学プログラムです。
バークレー校のAmerican and International Study Program(AISP)ではアメリカ政治と国際関係を勉強します。デービス校のGlobal Study Program(GSP)ではデービス校で開講されているほぼ全ての授業から履修することができるほか、語学コースも実施されています。
詳しくは こちら をご覧ください。

*2024年7月25日(木)17:00、一部誤字を改めました。


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